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原飛鳥
2024年2月3日 17:09
私の曾祖母は、つい近所の藍染業をいとなむ家からヨメにきた。実家は「紺屋(こんにゃ)どん」とよばれ、「どん」と敬語が付くのは金回りが良く村内のヒエラルキーの上位にある家を指したから曾祖母が嫁入り道具として持参したタンスは桐材を使い立派なものだったという。しかしその桐タンスは敗戦後、満州から命からがら逃げ帰った末娘をあわれがり曽祖父がくれてやったため、い