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白黒二分法でない判定があっていい

 注目される判決の直後に若手の弁護士が裁判所から飛び出してくる。広げる文字が「勝訴」か「不当判決」かによって、待ち受けた関係者の表情が一瞬にして変わる。
 ドラマチックな場面ではあるが、裁判の判定が白黒二分法というのは、どうなのだろう。一部勝訴という判決の多くは賠償の論拠を一部認めた場合で、因果関係を程度で判断することはまれだ。

 ルンバール事件という医療過誤をめぐる最高裁判決がある(1975年10月24日)。とても重要な判例だが、自然科学を少し学んだ人は、エエッと首をかしげるだろう。
 <訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである>

 経験則としてまず間違いないというレベルの立証でよいという結論はわかる。よけいなのは自然科学への言及で、裁判官がいかに自然科学を知らないかをさらけ出した。
 一点の疑義もない証明があるのは数学ぐらい。化学反応、生物の観察、病原体の発見などはまあ確実だが、各種実験の生データには必ずばらつきがある。ニュートン力学も3体以上の運動は厳密には解けない。熱力学、量子力学は統計や確率が基盤である。進化論、大陸移動、ビッグバンは極めて有力な理論としか言えない。
 人体、気象、環境、人間行動、社会事象になると、たくさんの要素が関係する複雑系である。法則性を見つけるのは重要だが、メカニズムまではそう簡単にわからない。
 医学研究も今は統計が重要だ。個人差、環境差がある中で病気の原因や治療法の有効性を探る。p値や95%信頼区間が十分でも、結論が間違っている可能性は残る。
 医療事故にしても、患者側の要因、医療側の要因、それ以外の要因が複合的に影響していることがあるだろう。

 一方、法律実務は、科学というより論理の世界。事実をベースに理屈や解釈をどう組み立てるか。交通事故などで過失相殺があったり、疫学的証明が採用されたりすることはあるものの、複雑系、複合要因という観点は乏しい。

 もっと白黒二分法なのは行政による判定である。
 過労死・職業病をはじめとする労災の認定、アスベスト被害、公害、原爆、医薬品やワクチンの被害といった問題では、因果関係の有無の判断によって被害者や遺族の明暗がくっきり分かれてしまう。
 実際には白黒つけがたいケースもあるのだから、確度、寄与度、確率的判断といった考え方を導入してはどうか。依拠できるデータがなければ、最後は人間がざっくりと何割程度と判断すればよい。
 そもそも因果関係、必然、偶然とは何なのか、本質はよくわかっていない。
 法律や行政の仕事に携わる人たちに、こういう発想がどれぐらいの確率で伝わるか、自信はないけれど・・・。

(2021年5月10日 京都保険医新聞コラム「鈍考急考」18を転載)

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