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臭いものには蓋をする?

ってことわざがありますが、
悪臭(この場合は、自分の醜聞や都合の悪いこと)の原因を断つことなく
一時しのぎの方法で隠すこと
という意味があります

最近、不登校訪問支援をさせていただいている
あるこどもとの関わりの中で
その保護者と活動団体の代表の大人2人と話をした時に

活動団体の代表(元教師)
吉川さんはどこか上から目線でこどもと関わっていませんか?
元々教師上がりだから、そういうのが染み付いている気がします
こどもの保護者
「こどもは〇〇と思っているかもしれない」って言いますけど
それは吉川さんが考えることじゃないです

こんなことを言われました。
私としてはこどもたちと同じ目線で、同じ人間として、
「人対人」
で関わることを心情として
教員時代からこどもたちと関わってきていて
そこには自信もあったし、そこが自分の良さだと思っていたわけで
深く深く傷つきました。

私にとっては、嗅ぎたくなかった悪臭(聞きたくなかったこと)なわけです。

客観的な意見としてそう捉えられたのであれば、
そういう側面があるのかもしれないと謙虚に受け止めなければいけないかもしれないと自分に言い聞かせているのですが、

その大人2人は
こどもと関わっている私の姿を見ているわけではなく
話の中でそう感じただけのようなので
そのまま真に受けるのも自分自身の良さを失ってしまいそうで
ここ数日、とても心が揺れ動いています。

培ってきた私らしさを大事にしてその人たちから距離を置くか
自分の未熟さや力不足を受け入れ、新たな可能性を模索して関わっていくか

ここ数日は
シーソーゲームのような脳内会議を繰り広げては傷つき
自問自答し
感情と向き合い
葛藤しています

大人2人から
「吉川さんは真面目すぎて殻を破れていない」

「吉川さんが悪いって言ってるわけではないけど、(つらつら……)」

こんな前置きをしつつも、上から目線で私を評価し
人格否定をされたように感じていて
私の良さや強みではなく、足りないところやできていないところを
こうして欲しい、ああして欲しいの連続

臭い物に蓋をするか
積極的に立ち向かっていくか

今も迷っているところです

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