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『チヨの森④』子どもサスペンス劇場

第四章 出発

 明日、もしかしたら、この世とのさよならかもしれません。

この三十年あまりの間、ひたすらだんまりを決め込んでいた森に行くのです。森は一体、何を隠し、そして溜め込んでいるのでしょう。大げさだけれど、そのくらいの気持ちで夜を明かしてしまいました。
これが、徹夜というのでしょう。興奮して頭の細胞が無駄に活性化して、どうしても目を閉じることができませんでした。
授業の時も、このくらいの集中力があったらいいのに・・・・・・。
こんなことは、今まで十一年間生きてきて、初めての体験です。
少し重たい瞼を両手でこじ開けて、泡立つ手で顔をいつもより念入りに洗いました。鏡に映った顔は二歳くらい年を取ったように見えます。

「本当に行くの?」
研究会に?という言葉は抜けていましたが、母親は気にかけているのです。
「うん、行ってみるよ。榊君の事件とは関係なく。特に意味はないけど、少し興味を持ったんだ」
怪訝な面持ちで、「そう」とだけ言った母親。今日も弟をスイミングスクールに送り迎えです。
「じゃあ、早く帰ってくるのよ。今日はすき焼きにするから。ほら、パパの誕生日だから」
「ああん?」と、寝ぼけ眼の父親が、食卓で食塩不使用のトマトジュースを飲んでいました。
「そうだっけ?俺、いくつだっけか」
「いやあねえ、四十五歳でしょ。おめでと」
他人事みたいに、父親はテレビのニュースで報道されている政治家の汚職事件に見入っていました。
いつもと変わらない風景です。

「いってきまーす」の元気な声と共に、弟と母親の二人は出て行きました。きっと帰りには、二年前にできた近所で評判のケーキ屋に立ち寄ってくるのでしょう。去年も、僕らの誕生日の時に予約していました。スウィーツ好きの母親のことですから、誕生日にかこつけて、やたらと大きなホールケーキを買ってくるのが恒例ですから。

シーンと静まりかえったリビングに、父親と二人。庭には、いつも通りミーが遊びに来ていました。大きな窓の隅に右前足を当てて、まるで僕を呼んでいるかのように、上手に招く仕草を見せています。
「ああ、そうだ。ダイ」
タイミングを計っていたらしく、父親が僕の方に寄ってきました。それはまるで、スライムのようにねっとりと、じわじわと。
「友達のこと、かわいそうだった」
どうやら母親が話をしたらしいのです。家族だから当たり前だけれど、僕の知らない間に母親から父親へなんでも筒抜けで、ときどきうんざりすることもありますが、仕方ないことです。
「その、何とか君という子。突然いなくなったんだってな。神隠しみたいに・・・・・・」
まさか、父親の口から神隠しの話が出るなんて思ってもみなかったので、正直驚きました。
日頃から、父親は心霊番組やUFOの存在などを馬鹿にしていたクチですから。だから、そんなことに関心があるようには見えなかったので、とても意外でした。
「どんな子だったんだ?その子」
いつもは、あまり僕の友達について詳しく聞くことはなかった父親が、今回はとても突っ込んで聞いてくるのが不思議でした。
「そんなに話をしたことはなかったんだけど。取っつきにくいというか、あまりクラスでは喋らない奴だった」
クラスに居た時は、特に気にならなかった存在だったけれど、今となっては、気になりすぎる程気になる存在になっています。
「実はな、ダイに言ってなかったけれど、パパ、元は第三小学校出身だったんだ」
「えっ」
驚きました。父方のおじいちゃんの家は、今は神奈川県にあります。いえ、ずっと昔から住んでいたのだとばかり思っていました。海の見えるとてものどかな町で、僕らの暮らす内陸の森神町とは違う、少ししょっぱい空気が流れていて、その空気を吸いに毎月のように遊びに行っています。父親は横浜の出身で、正真正銘の「浜っ子」だと言っていたので、この森神町周辺の心当たりはまるでありませんでしたが、元々はこの辺にニューファミリーとして入った家族だったようです。

「パパは、生まれた時こそ横浜だったけれど、幼稚園から小学校四年生まで、この森神町で育ったんだ」
「そうなの?知らなかった」
こんな話を聞いたのは初めてだったので、面食らってしまいましたが、どうやら本当のようです。父親はそのあとも、堰を切ったように話を続けました。
「その当時、『神隠し』っていうのが、もう、そりゃぁ馬鹿みたいに流行っていてな。猫も杓子も『神隠し』って叫んでたよ」
当時、父親はまだ小学校に入ったばかりで、『神隠し』のブームについては、細かいことは妄想なのか現実なのか今となっては自分でも分からないらしいのです。しかし、こう続けました。
「同じクラスのまこと君という小柄な男の子が、小学一年の遠足の帰り道に行方不明になったんだ」
同じ団地の棟に住んでいたこともあって、頻繁に行き来をしていたらしいのです。その行方不明になった日も、遠足を無事に終え、学校から一緒に帰っていたそうです。
「ほんの数歩、まこと君がパパの後ろを歩いていたんだ。そう、じゃんけんしながら歩いてた。ほら、例えばチョキで勝ったら『チ・ヨ・コ・レ・イ・ト』って進むゲーム。今日はこうだったねとか、あそこでどんぐりを拾ったとか、なんとか話しながら」
そして、それは突然起こったのだそうです。
「パパが、まこと君に何かの質問をしたら返事がなかったんで、どうしたんだろうと思って振り返ったんだよ。そうしたら、もういなかったんだ。ほんの数秒の間に。風のように」
父親はソファーの前の方に座りながら、癖の貧乏揺すりを始めました。何か緊張や恐怖を感じた時に出るんだと、自分で言っていた治したい癖だそうです。
「パパが付いていたのに。どうしていなくなったんだろう。最初は、まこと君がパパを脅かそうとして隠れたんだと思ったんだ。でも、隠れられるような木や建物も無かった。名前を呼んでみても返事がない。落とし穴もない。四方八方見渡したけれど、どこにもまこと君はいなかった。ただ、パパの目の前に『チヨの森』があった」
「チヨの森・・・・・・」
しばらくは名前を呼んで探していたけれど、ふと恐ろしくなって、父親は泣きながら全速力で走って団地に帰ったのだそうです。
「慌てて横浜のバアバに説明したよ。まこと君がいなくなっちゃったんだって。そうしたら真っ青な顔で、バアバはまこと君のお母さんの所に、小さなパパを引っ張って行ったんだ。それから、本当にまこと君が帰っていないことがわかり、大騒ぎで警察に届けた」

それから、父親はお巡りさんと一緒に現場へ行き、まこと君が忽然と姿を消したポイントに再び立ったのです。
「その時、まこと君の声が聞こえたんだ。不思議だろ?最初、風の音かと思ったんだけど、違った。確かに聞こえた。しかも、他にいた大人達には聞こえずに、パパだけが聞こえたんだ」
「・・・・・・神、隠し・・・・・・」
僕は、父親の話に息を飲みました。両手の平が、汗でびちょびちょです。
「そう、あれは多分神隠しだったんだと思う。だって、あれっきりまこと君は、二度と戻ってこなかったんだから」
リビングの壁に掛けてある、文字盤のはっきりとした時計が、飛行機の形をした針の先を点滅させながら午前十一時を指しました。時間は止まることなく、水が流れるように過ぎていきます。点けっぱなしのテレビが、拍子抜けするほど賑やかなバラエティー番組を映していました。
「それから、一年二年、三年と経って。パパ達家族は横浜に引っ越してしまったから、まこと君の家族は、あれからどうしたのか分からないけど」
するとふいに、父親はきちんとした姿勢に座り直して、僕にこう言いました。
「パパは森へ探しに行かなかった。まあ、行くきっかけも掴めなかったし、恐くて恐くてどうしていいのかわからなかったから・・・・・・。ただ、それにしたって、まこと君のこと、探しに行かなかったんだ。小さかったせいもあるけれど。だから、後悔してる。ものすごく」
時間が止まりました。父親に見つめられて、僕はドキリとしました。なんだか、小学一年生の父親がそこにいるような、時代が逆行したような変な気分です。

「ダイは、友達探しに行くのか?ママが朝言ってた。だから、万が一にでもダイが出かける時は、台所のおにぎりを持って行くように言ってって」
手の大きな母親が作るおにぎりは、いつも梅とオカカと明太子の三種類です。食べきれないと何度言っても、どうしても三つ持たせるのがウチの流儀なのです。
「おにぎりって、気持ちを込めながら握るからおにぎり。おむすびとも言うだろ?パパの予測だけど、大事な人との絆を結ぶってことなんじゃないかな。大切な人の安全を祈りながら握るから、お守りになるって。お前も知ってるけど、ママ、そう言う願掛け的なこと、こだわるタチだからな」
アルミホイールに包まれて、黄色をした惣菜屋のビニール袋に入れられたおにぎりは、手にどっしりと重みを感じさせました。
「ママの愛情の重さだ。これ持って、あの何とかっていう爺さんの所行ってこい。でも、今日の夕飯までに帰って来るんだぞ。それだけは約束」
さっきから、待ち遠しそうに庭の外で鳴いているミーの姿をみとめると、僕は玄関に向かって歩き出しました。それと同時にミーも庭から姿を消して、お勝手の方を回ってくるようです。近づいてくる茶色の玄関のドアは、いつものドアのはずなのに、いつもとは違う場所へと誘われそうに思えました。
「ダイ」
だらしのないはずのジャージ姿の父親が、右手をお巡りさんがするようにコメカミに当て、敬礼のポーズを取りました。
「無事、帰還するよう望む。ダイ隊員、わかったか」
僕が小さい頃夢中になった、アニメーションの真似です。少しポーズが違うし、キャラクターの、痩せて精悍なスタイルとは似ても似つかないほどメタボなお腹に思わず笑ってしまうと、
「ふざけるんじゃない!わかったか、ダイ隊員!」
「了解!」
僕もコメカミを右手で押さえ、主人公になりきりました。まるで、これから宇宙船に乗り込み、何万光年も遠くの星へと向かうかのようです。玄関ドアは、さしずめ宇宙船の搭乗口とでも言いましょうか。

「夕飯は、お肉たっぷりゴージャスすき焼きだ。それまでに任務完了し、その後パパと一緒に夜のダイエット作戦、ウォーキング及び入浴。以上!」
それを聞き終えるとすぐに左足を下げ、右のスニーカーをクルリと滑らせました。僕が両足を揃えて後ろを向くと、
「行ってらっしゃい。気をつけてな」
聞き慣れたいつもの優しい父親の声が、僕の背中に覆い被さってきました。その声に頷いて、僕はまぶしい日差しの中へと振り返らずに進んでいくのでした。

「ミー、お前付いてくるの?」
「みゃー」
玄関先で待っていたミーは、僕の右足に時折体を擦りつけながらこうしてずっと一緒に歩いています。
「着いちゃったよ。ここ、猫入ってもいいのかなあ。いいわけないよなあ。ダメだよなあ、多分」
「みゃー」と一声、のんきな鳴き声を上げると、当たり前とばかりに市民会館の自動ドアに右前足をかけました。
「待って。これに入って」
ミーを柱の陰で抱き上げると、急いで青いリュックサックに入れました。
「みゃ」
「念のため。かわいそうだけど、絶対に声出しちゃだめだよ」
「みゃーん」
二階のその部屋だけがぼんやりと人のぬくもりを感じさせましたが、他の部屋は電気も付いておらず、冷たくて誰もいないようです。カツンカツンと、僕一人だけの足音が建物に響き渡りました。それは丁度、一回だけ行ったことのある国立博物館の灰色の廊下を歩いている時のような、音の響きです。
次の展示会場には、一体何が待ち受けているのだろうと、緊張とワクワクした気持ちで歩いていたあの廊下の音の響き。
重いけれど好奇心の混ざった足取りでドアの前まで行くと、一瞬ためらいました。
もしかしたら、向こう側にはとんでもない展示があるのではないか。まるでブラックホールのような世界が広がっていて、吸い込まれて異空間に引きずり込まれるのではないか。そんな妄想をしながらモジモジしていました。
「よ、よし」
覚悟をもう一度決めようとしていた、その次の瞬間でした。

「遅い」
キィーっと耳障りな音で、ドアが鳴き声をたてました。
「あっ、宇宙人!」
ではなく、山中さんが表情一つ変えずに、つっけんどんに中から出てきました。博物館の展示だったら、最初から避けている展示でしょう。
「何が宇宙人だ、くだらん。それより一分遅刻。時間は厳守だ。最近は学校でそんなことも教えないのか」
「す、すみません」
そこには、宇宙人よりも恐い知的生命体がいました。
「ふん」
どうやら、僕の最初の冒険は山中さんと打ち解けることのようです。

第5話 『チヨの森⑤』子どもサスペンス劇場|さくまチープリ (note.com)

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