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三輪神社「どじょう鮓」を見た! その1 滋賀県栗東市大橋集落

滋賀県で有名ななれずしと言えば「鮒寿司」であるが、滋賀県で一番変わったなれずしと言えば、「どじょう鮓」だろう。ちなみに、どじょう鮓とは言え、ナマズも一緒に漬けられる。どじょうはなんと、生きたまま漬けるという。生きたまま漬けるなれずしは、私は他に知らない。

ということで、神事として今でも漬けられている栗東市大橋集落の許可を得て、調査をさせていただきました。毎年9月23日と決まっていますが、漬ける場面は神事のため、基本的には非公開。出来上がった「どじょう鮓」は5月1日に口開け、5月3日にふるまいされる。

「ふるまい」は現在の状況が状況だけに非公開になってしまっているが、一般の方にもふるまいするのが習わしだったという。ちなみに、私は今年の5月1日の口開けにも参加させていただいたので、今回のnoteは2回にわたり、漬け込み〜出来上がりをレポートします。

できる限りグロテスクにならないように配慮しましたが、やっぱり神饌なので、それなりの画像はあります。覚悟の上、ご覧くださいませ。

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なぜどじょうなのだろう?それは、この三輪神社は白蛇が祀られているという話から始まる。白蛇とは水田豊かなこの集落を流れる5つの小川の象徴。そして、田んぼの側の川にはどじょうがたくさんいて、漬け込む日に合わせて川を堰き止め、どじょうと鯰をゲット。泥吐きをした後、なれずしにされる。ちなみに、どじょうは必ず生きたものを使う習わしとなっていて(生贄)、弱ったものや余ったものはどじょう汁にしたり、炭火で焼いたりして、子供たちが喜ぶご馳走になったという。

ちなみに、数十年前、集落の川の上流の工場排水で川が汚れてしまい、魚が使えなくなってしまった。悲しいことであるが、それ以来、どじょうも鯰も、仕入れることになった。どじょうは島根県安来から(どじょうすくいで有名ですよね)、鯰は琵琶湖のエリ漁で確保する。活きの良い材料が確保し続けられるというのも、文化継承には大切なことなのですね。どじょうは活きたまま(酸素が封入された袋)、チルドで配送されるらしい。


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やすぎどじょう生産組合、からの配送でした。

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こちらは鯰。前もって琵琶湖のエリで確保、捌いて塩をしておいて冷凍し、鮮度を保つんだそうな。この後頭を落とします。

ちなみに、現在は川は美しくなり、見た所小鮎が遡上していました。よかったけど、失われたものは、元には戻らないですね。本来ならば地元のどじょうで漬けるべきところ、と、地元の方はなんどもおっしゃられてました。

さて、いよいよ漬け込み。神事ということで、なれずし用のご飯炊きは女性がするものの、いざ漬け込みは男性のみのお務めとなる。

まずはご飯に蓼をまぶす。はい。蓼をご飯にまぶす、、、、。
蓼(たで)!!!!なんじゃそれ?

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真っ白なご飯を用意します。

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乾燥の蓼を水に入れて土落としをします。

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こねこねして洗って(水も吸わせていると思う)

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ギュギュッと水を搾り

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お団子状にしておきます。

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蓼をまぶします。爽やかないい匂いです。見た目よりもずっといい匂い。

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私は麹屋をしていますので、麹菌(緑のカビ)をまぶしているような、神様の前でご飯を緑色にするってのは、何かしら意味があるんじゃないかって思ってしまいますね。命が生まれる、生まれ変わる、芽吹く、というような。根拠はありませんけども。

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かなり念入りにまぶしてます。曰く、「白い部分があったらダメなんだ」とのこと。丁寧な仕事です。

ちなみにこの蓼は本来は当番の人が育てるものであったそうですが、大変なので現在は隣の野洲市から。野洲の御上神社には「ずいき祭り」(これも奇祭と言っていいでしょう)にて蓼寿司を神饌する文化があり、地元の人に食べられている。なので蓼の栽培農家が存在するんだそうです。

こちらの蓼寿司はちらし寿司のような見栄えで、ジャコのすし飯に蓼を振り掛けてあるものです。個人的にはこの蓼寿司と、どじょう鮓の関係は、古く古くのどこかで、絶対に繋がっているだろうと想像しています。(素人的ロマン)

ちなみに、後で残ったこの緑飯を内緒で食べてみたら、結構ピリリと辛い。香辛料ですね。蓼って、ポリゴジアールという辛味成分があり抗菌作用があるとのこと。滋賀県でも鮎の塩焼きの際、蓼酢で食しますし、他県では味噌汁に入れたりもする、つまりは薬味・薬草として使われているそう。

隣では塩を枡で均等に計ったり、

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表の水場では鯰の頭を落としたりしてました。

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そして、主役のどじょうです。

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活きてるどじょうをざるにあげて

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水で清めます。

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逃げないようにザルで蓋をし、セット完了。

そしてひとつかみの塩!

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すぐに蓋をします。なぜ蓋をするのか、、、、お察しください。

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この場面、動画で撮っているのでアップしようか悩んだのですが、、、、。幾ら何でもお見せできないな、と思いました。控えめに言っても、壮絶でございます。

ということで、準備完了です。
年代物の木桶。

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まずは緑色のご飯を敷き詰めます。

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そこにどじょうを入れます。

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上から見てみましょう。

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「蓋せないかん」
蓋は、鯰です。大きすぎる場合は切り身にします。

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ちゃんと計っておいた、1合分の塩を鯰にまぶします。

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そして、緑色の蓼ご飯を乗っけます。

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空気が入ったらあかんのや、とぎゅうぎゅう押し込みます。

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最初に戻ります。どじょうを入れて、、、。

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これを5層ほど繰り返し重ねまして、一番上に、
「おこげを載せるんや」

おこげ???

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鏡餅のような。でも、おこげ、じゃないといかんのだそうな。
役割としては、漬物桶の、中蓋のような。

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摩訶不思議です。でもみんなにとっては当たり前。

おこげの周りの凹んだところに蓼の茎を縄のように埋めます。

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その上に、集落の稲わらで編んだ蓋、縄をセッティングします。

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押しぶたを載っけます。

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完成です。この上に重石を乗せるんですね。

この鮓は集落の東側用、西側用と計2つ漬けられます。
昔は当番のお宅で漬け込んでいたのですが、今は神社の社務所で同時に漬け込み、持ち帰るそうです。当番はこの大橋集落の農家の間で持ち回りとなっており、今は農家が少なくなっていて、数年に一度回ってくるそうな。

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当番のお宅に鎮座させ、10日ほど重石をした後、塩水を張るそうです。それらの発酵管理に関しては、当番のお宅が守りをするのではなく、ちゃんと守り人が決まっていて、度々観察にやってくるそうな。

出来上がりの口開けの儀は5月1日と決まっています。約7ヶ月発酵させる。使う塩の量のMAXも決まっています。守り人は、発酵の様子を感じ取りながら、蒸発した塩水を足したり調節します。これが守り人の責任です。勘が命なので、経験のある人が長年務めています。

大変貴重なマニュアルも、拝見させていただきました。歴史的なこと、神事の内容、具体的な作業まで、網羅されていました。

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貴重な神事を拝見させていただきました。

ちなみにこのどじょう鮓、せっかくなので自分で食べる用には漬けないのですか?とお伺いしたところ、
「絶対にしてはいけない」
のだそうです。
一度、隠れて自分用に漬けたものがあり、なぜかその家は色々とロクなことにならなかった。なので、周りから「隠れてどじょう鮓を漬けたからだ」と叱られたそうな。
集落の「戒律」のようなものをひしひしと感じ重いお話でした。

9月23日に漬けられたどじょう鮓は7ヶ月後、来年の5月1日に口開けとなるわけですが、私は今年の5月に昨年漬けられたどじょう鮓の口開けを拝見させていただいておりますので、次のnoteにてレポートさせていただきます。

これが、予想以上に、、、。苦笑

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