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長野県へ一年間移住した④最終回

その① その② その③ からの続きです。

【泰阜村での1年間】

私は横浜で生まれ、大学まで横浜の学校に通い、横浜市の教員になったので、横浜を出て生活をするというのは泰阜(やすおか)村が初めてでした。

山々に囲まれて空気がよく、景色がよく、空が澄んでいて、星がとても美しい。夜は暗い。真っ暗で何も見えない。食べ物がおいしい。村の人たちは親切で仲がよい。村の子はきょうだいが多い。(長女のクラスメイトは5人きょうだいの子がいて、一番多いのが3人きょうだい、一人っ子はいない。)村のイベントがいろいろあって、村のみんなでそれぞれの力を出し合ってイベントを運営する。

夏のロードレースは村外からたくさんのランナーが集まります。ぜひ、泰阜村へ行ってみてほしいな。癒されます。泰阜村HPはこちら!

次女は週末あんじゃね学校環感自然村のイベントに参加し、横浜ではなかなかできない自然をあちこちで体験する豊かな1年を過ごしました。

自然豊かで人々もあたたかく、このままここで過ごしたい!と思う反面、長女は行きたい音楽科のある高校が神奈川県にあり、泰阜村で暮らすのは1年間のみ。

長男も横浜でサッカーを続けたい希望があり、週末に横浜に帰ったときに1つだけセレクションを受けることができたジュニアユースに入団が決まりました。

夫は横浜市の教員を続けています。家族5人でやっぱり暮らしたい。こんなにいい体験をさせてもらったのに残念ですが、1年間の泰阜での暮らしを終え、2020年3月末、横浜へ戻ってきました。


【子どものやりたいを応援する母でいたい】


泰阜村に引っ越すことを決意できたのも、長女のもつエネルギーが失われていく様子を見ていられなかったから。彼女のよさを取り戻してほしいと思ったからです。そして、毎週末横浜に帰る長男を応援できたのも、長男が「やりたい」と言って頑張る姿を応援していることが楽しかった。

1月は最後の公式戦があり、応援のために2週連続自分で運転して横浜との間を往復しました。その3日前は冬休みで帰ってきたばかりだというのに。毎週のように高速道路を4時間以上運転するなんて、ちょっと前の自分では考えられなかったことです。

「よくできるよね」と言われることがありましたが、私が一番やりたいことは、子どもたちのがんばる姿を応援すること。伸びようとする子に力を貸したり背中を押したりすることなのです。

だから、できたし、楽しかった。

何よりここでの生活は、体も頭の中もずっと忙しかった私に、心のゆとりを取り戻し、子どもと過ごす時間を楽しむことができました。

中学での仕事も楽しかった。すてきな先生にたくさん出会いました。担任の先生は言うまでもなく、校長先生も、ALTの先生も、社会科の先生も、用務員さんも……、みんななのよ。とにかくいい職場でした。生徒たちもかわいかった。

家族が離れて暮らすのも、lineやzoomでつながることができるので、「離れ離れ」という感覚はありませんでした。

寒くなってきたら週末は近くの温泉巡りをしたり、一緒におやつを手作りしたり。二女がママと一緒にできるささいなことを大きな喜びで表現してくれるので、一緒に楽しむことができたのもよかった。授業参観に時間通り現れるだけで喜んでくれるのがうれしい♪

長男は6年生で、サッカーの卒団式用に生まれた時から6歳までの写真を見返す機会がありました。週末公園で遊ぶ写真、動物園で過ごす写真、スキー、保育園の運動会やお遊戯会。豆まきの様子、初もうでの様子。たくさんの写真から、「自分は仕事ばかりで子どもと過ごす時間が足りていない」と思っていたけれど、案外そうでもなかったのかもしれない、ずっと私は子育てをこうやって楽しんでいたんだなと感じることができました。

私にとって、かけがえのないこの1年。

大切にしたいです。

出会いも、美しい景色も、感じたこともすべて大切な宝物です。


「決断する」「今いる場所から離れる」って、怖さがあるのだけど、怖さを乗り越えて進んでみると素晴らしい景色につながっている♪

ってことを記録しておきたくて、書きました。


長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。





子どもの生きる力を育み、子どものもつ才能や輝きを引き出す教育をテーマに記事を書いています(^▽^)/