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世界の大きさ ーweb3の片隅でー

 人には皆、自分の世界がある。
 新しいテクノロジーと社会のあり方についてのカンファレンスの仕事をした。登壇者は20代が多くいて、もちろんおじさんおばさんもいるが、十数年関わってきたカンファレンス仕事の中では今回は特に若かった。皆自分の世界を持っていた。
 最新のweb3,NFT,メタバースなどなどの技術だけでなく思想や文化まで掘り下げるとても面白くてためになるカンファレンスで、高校生になる自分の子供にも聞かせたいと思った。今までの中央集権な考えかたでなく分散型で合議でルールを決めていくのがこれからの世界だというように話していた。
これで世界はより良い世界になっていくのだそうだ。素晴らしいと感じた。
 その後カンファレンスの機材などを撤収した深夜の帰り道、渋谷スペイン坂をを歩いていたら、路上で抱き合って泣いている女の子たちがいた。通りすがりなので細かくは聞こえなかったけど、友達とのトラブルを抱えて悩んでいるようだった。さっきまで登壇していた子たちとそんなに歳は変わらないだろう。そこでふっと思った。今の世界をより良い方向に変えようとして世界を俯瞰で見て大きな世界を感じている人と、周りの人間関係に執着して飲みつぶれる人。後者の世界は狭いだろう。自分の周りの友人との世界が全て、だからそこでトラブルが起こると世界が終わったような気持ちになる。私はいい歳になってしまって昔より少し世界が広がっているのだと思う。親友や恋人と喧嘩しただけで世界が終わってしまったように感じていた10代の頃。仕事など新しい世界への順応に悩んだ20代、家族や子供たちの自分では関われない世界に翻弄された30代、社会的責任や道徳的であろうともがいた40代。そこからさらに年月が過ぎ、やってることはさして変わりがないが、もはやちょっとした人間関係のトラブルに昔ほど心を痛めることは少なくなった。そんな悩みはちっぽけで些細な事で、日々生きていく中では気に留めないような今では重要ではない出来事。いつの間にか消えてしまった泡のようなもの。渋谷の路上に座り込む子供たちからそんな泡のようなものが溢れ出していた。
 新しい世界に生きる人は先んじて情報を得て、それを活用して利益を産んでいく。それは昔からそうだったし今に始まったことではない。でも中央集権ではなくと言うなら、その分権を主張するコミュニティーすら入れない人々はどうなるのだろうか?それは中央集権ではなくなったではなく、その大きさが広がっただけではないのだろうか。もしくは小さな中央集権が増えただけではないのか。変革はまだ始まったばかりで、少しずつ変わっていくのだろう。カンファレンスの登壇者の一人が言っていた。スマフォで全部できるようになるくらいじゃないと広まらないと、、。でも実際はすでにほとんどのことがスマフォで出来る。でも使い方がわからない。そもそも考え方がわからない。面倒臭いなどなど、理由はいろいろあるだろうが、そう言ったツールをある程度使いこなしていても難しいことを、そもそもその世界に入れない年寄りやSNSや動画しか見ない若者に理解させ活用させるのには、なかなかにハードルが高いとおもう。そもそも考え方の話なので仕組みはその次だと思うが、何か具体的に目に見えるものを示さないと乗っかれない人の方が多いだろう。最初はエロか怪しいビジネスにつながり金の話が先に立つ。ビジネスのネタして使うのは全然ありだとおもし、そもそも金がある程度回っていかないと社会も回わらない。だから取り残される人も生まれる。
 でも、それならweb3でみんなが幸せになるとか世界が良くなるって断言するのはまだちょっと言い過ぎではないか、スペイン坂でしゃがみ込む女の子と未来を信じて自分たちが変えていくと目を輝かせて語る若者、そして私の母親のような使いこなせない人と商売のネタ探しで来てるおっさんたちのギャップが激しすぎて、なんだか混乱する。その人が全部幸せになる世界はなかなか遠そうだ。
 一方で別の意味でも世界の大きさの差は開いていく。バーチャルな世界は大きく広がって繋がり、リアルな世界は小さくなっていく。中高年がリアルな友達をつくれないというニュースをよく耳にする。逆に若者はバーチャルな世界で仲間を増やしていく。なんだか、年齢的というか精神的には狭い世界を全てと感じながら、実はネットワークの世界では広い世界を泳いでいるということなのか、この年代はアバターとリアルが重なっているように言われることが多いけれど、案外そうでもないのかもしれない。無記名の書き込みにはある程度慣れてしまっているが、リアルな友人、彼氏、彼女に言われた言葉にはショックをうける。当たり前っちゃ当たり前だけど、そんなことは超越した昔でいう、新人類とか宇宙人と言われたような子ばっかりなのかとおもっていたが、逆に昭和っぽい若者が増えているような気がする。とはいえデジタルネイティブでもあるのでまるで同じではないけれど、、、若者に昭和レトロが流行っているのも、そういった意識というか世界観が関係しているのかもしれない。そして世界は縮小して言っているのかもしれない。特定の友人とリアルタイムでしかコミュニケーションが取れないとか相手がUPして初めて見れるSNSなど膨大に流れ来る投稿に嫌気がさしより小さなコミュニティの世界を作る。正直グループLineとの違いがまだわからないけれど、それも分権という名の小さな中央集権グループの始まりなのかもしれない。
 新しい世界をまだよく理解出来ずに世界の淵で落ちないようにしがみついているのは、出来上がる世界を見てみたいから。そこは、淵から落ちていく人、淵を登って来る人、そもそも興味ない人。を全部見れる場所でもある。真ん中にいる人や上がって来ない人はその景色を見れないけれど、その新しい世界が大きくなれば良いとおもう。ただ小さな島世界がたくさん出来るとそこにお互いの世界どうしの戦いが生まれそうで怖い。願わくばその小さな世界がお互い対等につながって大きな世界を形成するようなものになれば、分権と対等と平等。それはその世界に乗らない人にもちゃんと恩恵がある。そしたら世界を変えると言っていた若者の言うことが実現するのかもしれない。

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