先入観を捨てたいけど,先入観ってそこまで悪者でもないよねって話

ふと思ったことを書きたいだけのnoteなので内容薄めです。

今日のテーマは「先入観」。


人間だれしも(強弱はあれど)「先入観」を何かに持つと思うんですよ。


たとえば僕なら

顔が整っている人と話すときは(この人はいい人だろうな…)という先入観を,

顔が整っていない人と話すときは(この人はいい人じゃないかもしれないな…)という先入観を

もっています。

いや「は?」って話なんですけど,でもそういう見た目の印象って少なからず内容から受ける印象にも影響するじゃないですか。

僕はそういう先入観が,その人から受ける印象に結構影響しているなぁ,と25年間生きてきた自分の生きざまを振り返ると思うことが多いです。


でもそういう先入観ってはっきり言ってじゃまじゃないですか。


顔が整っている人の意見ばっかり聞くの?って話じゃないですか。

ちゃんと平等に話を聞いて,内容で,自分がいいと思う意見を取り入れるべきじゃないですか。

そこに顔関係ないじゃないですか。

だから先入観捨てたいなって思ったんです。


そもそも先入観についてまじめに考えるようになったのは高2のとき,英単語の勉強をしていた頃でした。

prejudice

という受験頻出単語があります。

意味は「(名)偏見,先入観 (他)~に偏見を持たせる」といった単語です。

大学受験の英語って,人種差別などをテーマに扱った長文問題が多いんでしょうね。知らんけど。

大事なのはそこじゃなくて,この単語を勉強しているときに思ったんです。


「偏見」「先入観」どっちもprejudiceなのか。この2つの概念,似てるんだな,と。


それまで僕は「偏見」という言葉には悪いイメージを持っていました。偏見はしてはいけない,そう思っていました。


でも「先入観」にはあまり悪いイメージを持っていませんでした。先入観なんてみんな持ってるし,しょうがない,そう思っていました。


でもここで,「あっ先入観って偏見と同じじゃん」って思うようになったんですね。

じゃあ偏見やん。先入観もつなや…。ってなります。



でも…

そもそもなんで人間は先入観をもってしまうのでしょう??

と考えると,それはすなわち

人間にとって先入観を持つことのメリットがある

ということですよね。


僕はこの先入観を持つことのメリットはこれだと思います。






先入観を持ったほうが「ラク」




これです。


先入観を持たないで,全部フラットに,平等に考えるのって,よくよく考えるとすごーーーく大変なことなんです。

本当にそうしなきゃいけないときはそうするべき。

でも,そこまで労力をかけたくない案件には先入観を使ってラク~~~に意思決定をする。


これが本質だろうなぁ,と思うようになりました。



じゃあやっぱり


・ラクしたいときは先入観とか気にしてたらキリがないし疲れるから,まぁあんまり気にしない。

・ちゃんと考えたいときは,しっかりと先入観を捨ててフラットに物事を見る。


これが先入観を捨てたい僕に,一番求められていることなんでしょうね。


そう思うようになりました。

完璧な人格者目指したら疲れちゃうからね。


こうやってアウトプットするの,気持ちいいです。

はぴもみでした。

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