自分の幸せ、相手の幸せ。
私の現実は私が創ると思っているから、私が幸せなら相手も(関係する周りも)幸せなのだ。
かつて自己否定が強かった頃があって、私は不幸だとか、こんな私なんかという気持ちでいたから、私の周りにいる人達は、いつも悲しそうな顔をしていたように思う。
幸せも不幸せも、周り影響を与えるのだ。
不幸に感じている人は、幸せかどうかを他人のせいにする。
〇〇してくれたから幸せ。
〇〇されたから怒る。
というような「他人軸」だからだ。
私も他人軸で生きていた頃は、まわりに当たり散らしていたときもあった。
どうせ私なんかという、卑屈な態度もしていた。
まったく可愛くない女だった。
その頃に関わった男性がいたけれど、一生懸命私を幸せにしてくれようと頑張って、頑張って、頑張るほどに疲弊していったことを覚えている。
本当に申し訳ないことを、私は知らぬ間にやっていた。
私がそうさせたのに、当時の私はその人のせいにして不満をためていた。
「幸せにしてくれるって言ったのに全然幸せじゃない!」
八つ当たりまでしていたよ。
そしてその男性も、ごめんね、どうしたら満足してくれるんだ?
みたいに言ってたっけ。
結局、その人は私から去ったわけだけど、その時は「ひどい男」だと思っていた。
いま振り返るとそうは思わない。
その人のことを「解放」してあげられて、良かったなと思っている。
いまの私でその人と関わっていたなら、また違っただろうと思える。
いまの私は「幸せ」や「楽しむ」で構成されているようなものなので、間違いなくまわりも巻き込んで幸せに過ごせると思うから。
旦那さんが亡くなって、一時的に昔の私みたいなグズグズ、自己否定の女になっていたけれど、それはそういう状況であったなら、誰しもそうなるものだと思うから、そんな私にもOKを出せた。
旦那さんのことは、完全に忘れることは不可能だと思っているけれど、日に日に落ち着いてきているのはわかる。
ようやく冷静に自分のことも、まわりのことも、またこれからのことも見ることができ始めたなと感じる。
旦那さんが亡くなった当初は、誰かに助けて欲しいとか依存気味ではあったものの、その時期は無事に越えられたと思う。
依存を終えれば次は自立なのだ。
自立と言っても、誰の助けも借りないで、ひとりで生きてくってことではない。
人間関係、友達関係は、このまま継続してゆくことは大切で、お互いに助け合ったり、励まし合ったり、楽しんだりすることも、自立となる。
物理的な自立が出来ている人は、世の中の大人なら多く見られるけれど、精神的な自立と言うなら、さほど多くはないかもしれないと思う。
意地を張り、誰の助けも借りない!
みたいな気持ちでは、それは精神的自立ができているとは言わない。
むしろまだまだ幼稚な精神なのだ。
本当に心の広い人、器の大きな人ほど、優しいと思う。
ただ、間違えてはいけないのは、
「嫌だな」
って思っているのに
「いいよ、いいよ」
って許容した振りをすることかな。
それは許容ではなく、単なる甘やかしだから。
人をダメにすることは、許容しないほうがいいと私は思う。
いろいろと長々書いたけど、相手や周りを幸せにしたいと思う気持ちは大切だ。
でもその前に、果たして自分は幸せなのかな?
って自問するといいね。
私って幸せ。
私といると、みんな幸せなはず。
冒頭にも書いたけど、現実は自分が創ると信じているので、私の世界は私の「好き」でいっぱいにしたい。
私の幸せに、みんなを巻き込んでしまいたいと願っている。
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