ありがとう~ずーっと一緒~
昨日の土曜日は知人2名と食事会だった。
2名のうち1名がお料理の先生なので、その方のご自宅に伺って会費制のお食事。
遅めの2時スタートのランチだったのだが、気づけばあっという間に午後6時。大慌てで辞去してきた。
実はこのメンバーで食事をするのはまだ2度目、前回も同様で1時スタートのランチが気づけば6時近くとなっていた。
初めて会ったときから、話はつきることなく、お互いを尊重した会話が進んでいく。
とても気持ちのいい穏やかな時間が過ぎていくのだ。
どういうつながりかというと、過去記事で書いたが、昨年の三月に大事な友人を見送った。
自分を含めた3人ともその見送った友人とそれぞれつきあいがあったのだ。
彼女が生きていた時は、お互いには全く交流がなく、3人一緒に顔を合わせたのは、四十九日の法要をやりましょうということで、今回の3人と彼女のもと上司という方と4人で会ったのが初めてだった。ちょうど1年前になるだろうか。
その時もさほど話す時間もなかったけれど、ぜひ一度会いましょうとなり、前回の食事会となったのだ。
3人ともがそれぞれ、彼女との思い出があり、それを分け合うかのように、お互い話をしあった。
会場のお料理の先生のご自宅は雑誌に載ったこともある、すてきな料理スタジオだけれど、何より彼女がとても気に入って何度も来ていたということで、本当に一緒に彼女がいるような気分になった。
いやきっと一緒にいたのだ。
生きているときはそれぞれとつながっていたが、今は3人がつながっていることに感謝しかない。
2月、3月は昨年の彼女のことを思い出すことが多く、そのたびに、亡くなった直後の哀しみとはまた別の、本当に、切ないとしかいいようのない気持ちが湧いて、そういった気持ちを共有できる相手がいるというありがたさを改めて感じていた。
そして3人がつながったことを一番喜んでいるのは彼女かもしれない。
たくさんのこまごました愛用品を彼女は託していったのだけれど、その中に一冊の絵本がある。
ずいぶん長い間、それを読むことはできなかったけれど…。
ベストセラーになった絵本で知っている人も多いかもしれない。
森の中でなくなったキツネのことを森の仲間たちが話すたびに木が育ち、大樹になって、またみんなを守っていく、そんなお話。
絵本そのままに、私たちはそれぞれの彼女の思い出を語って、目には見えないけれど、大きな木を育てているのだ。
季節が一巡りして、相変わらず、彼女が自分のそばにいるように感じている。むしろ、亡くなった今のほうが、いつも彼女が見守ってくれているのを感じているのだ。
たぶん、昨日の食事会にも来ていて、うふふっとあの素敵な笑顔で笑っていたに違いない。
目には見えないけれど。
いつも見守ってくれている。
ありがとう。
たぶん次に会う時まで、
ずっとずっと一緒。
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