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ひいおじいちゃんとひいおばあちゃん

みなさん、こんばんは☽
最近なかなか会いたい人に会えない中で、ふと亡くなってしまった父方の曽祖父母のことを思い出します。ということで、今日は韓国人である私の曽祖父母のお話をしたいと思います。


曽祖母とはきちんとコミュニケーションを取ったことがない

父のおばあちゃんに当たる人、"ひいおばあちゃん"とは小さい頃から定期的によく会っていました。私が小さい頃でも、当時もう既に90歳を超えていたのではないでしょうか。曽祖母は寝たきりで生活していました。そんな曽祖母は日本に渡ってきたいわゆる在日韓国人1世で、彼女はいつも韓国語を話していました。でも、自分が韓国にルーツを持っていることを知らなかった当時の私は、「ひいおばあちゃんは、もうお歳でうまく言葉が話せないから疎通できないんだ」と思っていました。今考えるととんでもなく失礼です…。曽祖母は私が家に行くと、毎回「アイゴ〜アイゴ〜」と涙ぐんで迎えてくれていました。今だからわかること。「アイゴ」は韓国語の感嘆詞。当時の私は理解できていませんでしたが、曽祖母は私にたっぷりと愛情を伝えてくれていたのです。日本語しか話せないひ孫とほとんど韓国語しか話せないひいおばあちゃん。だから私たちはノンバーバルコミュニケーションで繋がっていました。
今は亡き曽祖母ですが、お墓参りに行くたびに、「もう少し早くから韓国語を学んでいたら、想いを言葉で伝えあうことができただろうか」「今私が韓国語を学び、自分のルーツに興味を持っていることを曽祖母はどう思っているのだろうか」と考えます。ひいおばあちゃんとちゃんと言葉で会話してみたかったなあ…。


大好きで尊敬している曽祖父

父のおじいちゃんにあたる"曽祖父"。曽祖父は曽祖母よりも歳下でした。といっても結構お歳を召されてたと思います。にも関わらず、私が幼い頃の曽祖父は自転車は乗りこなすわ、しっかりと歩くわ、ハキハキと喋るわで、介護とは縁がないと言っても過言ではないほど元気でした。曽祖父は曽祖母とは違い日本語を話すことができました。そのため、私は曽祖父とよく会話し、とても仲良くしていました。しかし、これは曽祖父が亡くなってから知ったことなのですが、曽祖父は日本語の読み書きは出来なかったようで、中々苦労していたそうです。私が気づかないくらい自然と振る舞えていた曽祖父がすごいなと思います。曽祖父は家に遊びに行くたび、近所のイカ焼き屋さんでイカ焼きを買ってくれました。今でもお店の前を通ると曽祖父との思い出が蘇ります。そんな曽祖父なのですが、本当にいい人すぎるくらいいい人でした。心が綺麗というかなんというか。絶対に人を傷つけないし、人を傷つけるような言い方をすれば叱ってくれる、そんな方でした。私は直接耳にしたことはないのですが、父曰く、曽祖父は時々「戦争は怖い。戦争怖かった。絶対にもうしたらあかん」と口にしていたそうです。曽祖父は他国から日本に渡ってきたこともあり、戦争で辛い経験をきっとたくさんしてきたのだと思います。本当はもっと曽祖父の口からたくさんお話を聞きたかったのですが、私が今のように物事を深く考えれるようになる前に、旅立ってしまいました。


もしもう一度会えるなら

もし、もう一度曽祖父母に会えるとしたら、なんと声をかけるでしょうか。私は韓国語が話せるようになったこと、今は日韓の架け橋になるために日々勉強しているということ、そして生前は一度も言えなかった「大好き」と「ありがとう」を伝えたいです。


天国の曽祖父母は今の私を見てどう思っているのでしょう。それは私には分かりませんが、曽祖父母が喜んでくれていたら、誇らしく思ってくれていたらいいなと思います。


증조할머니, 증조할아버지 사랑합니다.
많은 사랑을 주셔서 감사합니다.

(ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃん、大好きです。たくさんの愛を注いでくれてありがとう。)

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