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なぜパンイチでおじさんは公園で寝ているのか

 公園で寝ているパンイチのおじさんを見て、おじさんは、日焼けをしたいのだろうとずっと思ってきた。ならばなぜ、日焼けサロンに行かない。節約か?いや日焼けサロンに行きそうなおじさんには見えない。なぜだ、なぜパンイチでおじさんは公園で寝ているのだ。私はその答えを湖で知ることとなる。

 今週も湖にお昼ごはんを食べにやって来た。今週のメニューは鶏と舞茸の天丼。

今週もお昼ごはんはスーパーで購入。ハズレだった。そんな日もある。おかずには春巻を買った。ご覧の通り、しんなりしている。春巻はもちろん揚げたてで皮がパリパリの方が美味い。それは承知の上でしんなりした春巻を購入した。春巻は最近、自分の好物と気がついた食べ物だ。

 私は人生のほとんどを実家で過ごしてきた。母はきちんと食事を作る人で、夕食をいらないと言うと、では夕食をいらないと言った時間、誰と何をしているのかと必ず、しつこく聞く人だった。私が20歳を過ぎようが、30歳、40歳を過ぎようが関係なかった。うんざりだった。答えるのが嫌で嫌で、答えたくないがために何も言わずに夜遅くに帰ったりしていた。また誰かに誘われても、母に問い詰められると思うと、先にうんざりして誘いを断ったりもしていた。
  母が亡くなってからは、私が父の食事を用意せねばならなかった。父は母が亡くなっても、今までと同じ様に食事が用意されると疑わなかった。
 母の葬式が終わったその日の夕方「お父さん、焼きうどんとかで良いから」と言って父はスポーツジムに出かけた。この台詞は今でも忘れない。
 焼きうどんが作れる材料が冷蔵庫に入っているのかと思ったら、冷蔵庫にそんな材料はなかった。父は私に気を使い、簡単に作れるであろう「焼きうどん」を夕食のメニューに提案してくれたのだ。材料も何もないのに。そして父はスポーツジムから帰れば夕食が用意されていると信じている。結局どうしたかはもう忘れたが、スポーツジムから帰ってきた父に、私はちゃんと夕食を作っていた。

 私が春巻が好きだと最近になって分かったのは、実家に住んでいたために食べたいものを食べたい時に食べられなかったからだ。それまでも春巻は好きだなぁとは思っていた。中華料理店行くと必ず注文したいと思っていた。だけど春巻を3週連続で買うほどとは思わなかった。こんなに買う自分に、ようやく私は春巻が好きなんだなと自覚したのだ。

 春巻の具材には、やっぱり筍が入っていて欲しい。揚げたてでパリパリなら多少具材が寂しくとも、パリパリさが具材の味を上回ってくれる。しかし今日のように、しんなりを覚悟の上で食べる時は、具材に注文を付けたくなる。今日買った春巻には、しっかりと筍が入っていた。シャキシャキと噛む音が脳内に響き、それだけで嬉しくなる。春巻は1パックに5本も入っている。絶対に多い。今週もお腹がパンパンになってしまう。買う前から分かっていた。でも買ってしまった。だって今は大好きなものを好きなだけ、好きな時に好きな場所で食べれるのだ。私は大好きな春巻を食べているだけじゃない。大好きな春巻と共に解放も味わうのだ。だから沢山あったって構わないんだ。

にしても苦しい。今週もやっぱり食べ過ぎた。

さて、そろそろ最初の問いに戻ろう。なぜパンイチでおじさんは公園で寝ているのか。私は、おじさんは日焼けがしたいから公園で寝ているとずっと思っていたのだが、この考えが間違いだった。おじさんは日焼けがしたいんじゃない。開放感を全身で味わうためにパンイチで寝ているのだ。日焼けは開放感の副産物でしかない。
なぜ、こんな簡単な事に気が付かなかったのだろう。おじさんのパンイチ状態にばかり気を取られ、真の目的に気が付けなかった。
 おじさん達が求めているのは、開放感たと気づいた時も私はスーパーで買った弁当を食べていた。湖で過ごす2回目の春だった。それにやっと気が付いた時、ここでパンイチで寝転がったらどんなに気分が良いだろうと想像し、私もパンイチになりたい!と本当に思った。心の中のもう1人の私はシャツのボタンを外そうとしていて、イヤイヤ…と自分を抑えた。今もその時の事を思い出すと、パンイチで開放感を味わうおじさん達が心底羨ましくなる。私はまだ、好きな食べ物でお腹がいっぱいになるくらいの解放しか味わえていないけど…。

そんな事を考えながらポリポリ食べていたのはコアラのマーチ。そう言えば柄を全然見てなかったと思ったら、振り返りざまに、にしむらが私を見つめていた。

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