渾身のジンジャーブレッドハウス
毎年この時期になると思い出す。
私がまだパティシエとしてお店で働いていた頃のことだ。
お店のディスプレイ用にジンジャーブレッドハウスを作って外からも見えるように窓辺に飾っていた。
ジンジャーブレッドハウスとはシナモンやジンジャーパウダーなどのスパイスを入れたジンジャーブレッドビスケット(クッキー)を家の形に組み立てて粉砂糖などを降って雪に見立てたクリスマス風の可愛いお家である。
実際に食べることもできる。
ある日、女性のお客さんが私と話をしたいと入ってきた。
そのお客さんは私にジンジャーブレッドハウスを作って欲しいという。
出来るだけ大きく、しかも期限は5日とのこと。時間が無い。
このお客さんのお友達がオックスフォードに住んでいて、週末訪れる時にジンジャーブレッドハウスをプレゼントに持っていきたいという。
お友達には息子さんがいて、当時11歳くらいだったと思うが、重い病気で多分これが最後のクリスマスになるであろうとのことだった。
どうしても、その子を特大ジンジャーブレッドハウスで喜ばせたいという。
こんなお願いを断れる訳が無い。
早速その日の夕方、仕事が終わってから作業に取り掛かった。
まず、部品ごとの設計図作成。
ジンジャーブレッドハウスは部品ごとに焼いて組み立て、部品間はロイヤルアイシングなどで接着するので時間が掛かる。
お店のディスプレイ用は小さめで、部品をいくつも同時に焼いて作った。
今回は一辺の壁の大きさがオーブンに入るトレイの幅ギリギリという特大サイズで、この壁同士や屋根を接着するにはある程度の強度が必要だった。
必然的に壁は厚め、屋根は若干薄めと調整しなければいけない。
しかも長距離の移動もある。
車の振動で壊れない強度も必須だ。
ロイヤルアイシングごときで接着が上手くいくかもどうかも不安だった。
翌日の閉店後から部品を何度にも分けて焼いた。
部品の強度を高める為には、少し焼き時間を長くした方がいいと思ったが、硬くなり過ぎると実際に食べたときに美味しく無い。
この辺を考慮して何度か材料や焼き時間を替えて試作してみた。
ある程度自分で納得できるものが出来たので、全ての部品を焼き上げた。
一晩完全に乾かして、翌日から部品を組み立て始めた。
やはり接着が難しい。全てに厚みがあるので乾きが遅く、完全に乾かないと次の作業に移れない。
なんとか家の形に組み立て屋根には煙突を取り付けた。
次は飾りを付けていく。シュガークラフトで柊の葉っぱなど作った。
屋根に瓦の模様を描き、家の壁に窓やドアを書いていく。
ドアにはその男の子の名前を書いた。
ここは君のお家だ。
閉店後4日間の作業の末なんとか完成した。
最後の1日は完全に乾燥させ、粉砂糖で屋根に雪を降らせた。
翌日ジンジャーブレッドをオーダーしたお客さんが受け取りに来店した。
そのまま直接オックスフォードまで運転して行くという。
ここからオックスフォードまでの距離は約200マイル(360km)もある。
パン屋さんの配達用の頑丈なプラスチック製の箱の中に動かないように固定をしてお渡しした。どうか無事に到着することを願って。
数日後、戻ってきたそのお客さんから、私が渾身の力を込めて作ったジンジャーブレッドハウスは無事にその男の子の元へ届いたことを聞いた。
ちゃんと味見もして貰えたようだ。
今でもクリスマスが近づくと多分天使になってしまったであろうその男の子を思い出す。
会ったことも写真さえも見たことも無いその男の子は、ずっと私の思い出の中にいる。
私が作ったお菓子を食べて貰えて、とてもとても嬉しかった。
残念ながらそのジンジャーブレッドハウスの写真は見つからないので想像にお任せする。
読んで下さってありがとうございます💝