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ヨークシャー行き当たりバッタリ人生その4 『試験不合格』不運のアンサンブル事件   社会人音大生の奮闘記

前回からの続き。
この編成変更で私はあるピアニストの子とデュオを組むことになった。
それはまぁいい。私は早速先生の勧めた楽譜を購入し、ピアノ譜を渡しておいた。
ところが最初のレッスンの時、彼女は練習をしてこなかった。
みんな忙しいから、そういう事もあると思った。
次の週もピアノをちゃんと弾いてくれなかった。
1ヶ月後にやっと一番易しい曲だけ合わせる事ができた。
でも、それまでだった。
彼女は学習するのが遅い障害があると言った。
パニック障害にも悩まされていたらしい。
私もパニック障害持ちだから苦しみは分かる。続くとほんと辛い。
しかし以来、さっぱり合わせができなくなった。
アンサンブルのレッスン中、何故か担当のバイオリニストの先生が彼女にピアノを教えている。私は音を出す事すら出来ずにぼーっと座っていた。
そして3月、担当先生は中国へ3週間の出張へ行ってしまった。
3週間後、先生が戻ってきてレッスン再開になった。しかし状況は3週間前と同じだった。
彼女は合奏中に間違えると止まってしまう。
合奏の基本は間違えても止まらない事だ。
私だってボロボロ間違う。でも止まってはいけないのだ。The show must go onなのだ!
続けて!といくらお願いして、間違えるたび止まって彼女は自己嫌悪で落ち込み、時には泣き出してしまうのだ。
レッスン以外に私と自主練習をする事を提案した。でもうまくいかなかった。
ある日アンサンブルレッスン時に先生が彼女に聞いた。
「毎日どのくらいの時間練習しているの?」
彼女とその話をしたことがあった。私は通学時間に往復3時間かかるし、オケリハーサルが頻繁にあった為、練習に当てられるのはせいぜい5、6時間だった。
彼女は先生に「3、4時間くらいです。私はノニのように音楽マシーンでは無いですから」と答えた。
温和な先生が珍しく声を荒らげた。
「音大生が沢山練習するのは当たり前です!何の為に大学来ているのですか!」
彼女の大きな美しい青い瞳からポロポロ涙が落ちていくのを私はただ見つめていた。
どうやら先生もお手上げだった。彼女自身が一番辛いのは分かっていた。
でも助けることは出来ない。彼女は私の顔を見ると避けるようになった。
試験まで時間が無いのに、一度も通しで合わせたことが無い。
担当先生が私の大好きなおじいちゃん先生に相談してくれた。
おじいちゃん先生は実際はおじいちゃんでもなく肩書きだけで2行くらいなってしまう偉い教授なのだ。寿限無寿限無みたいだ。
しかし、もうアンサンブル編成は変えられない。他のチームは準備できているのだ。
おじいちゃん先生が手配してくれて、私の試験は別に行われることになった。
先生が手配してくれたピアニストさんとリハーサルする時間が1時間だけ貰えた。
ピアニストさんはリーズに住んでおらず、結局リハーサルは試験の前日に初めて2回通しただけだった。

当初は私はピアニストの彼女の試験の為に演奏することになっていたが延期になった。彼女は試験前日に試験延期申請を出した。パニック障害だった。

そして、私の試験日が来た。
試験時間の30分前に試験会場に来たが、どうやら前の組の試験が遅れているので私の試験も遅れると言われた。
本番は試験会場で15分のウォーミングアップができる。
カフェで待っていると、入学前に私を面接した先生がやってきた。この先生が学部主任である。私の事情を知っているので、カフェなどで偶然出会うと声を掛けてくれた。だいぶ気心は知れてきた。
そして、私のウォーミングアップの時間がきた。
会場はリサイタルルーム。本来なら大きいホールで試験だった。
私はピアニストの彼女の一件で同級生たちとは違う試験会場に変更になったのだ。
同級生たちは皆2週間以上も前にすでに試験が終わっていた。
私とピアニストの彼女だけ試験日変更。彼女の試験は私より更に4週間ほど後だった。
リサイタルルームは100席ほどの差狭い空間だった。
ステージも狭く、客席の間の階段は急でその真ん中にさっきまで試験官が使っていた折り畳みテーブルが置いてあった。
ピアニストさんとウォーミングを始めて数分後、突如轟音と共に階段の一番上に置いてあったテーブルが勝手に折り畳まれて階段を私目掛けて滑り落ちてきた。
私にはジェットコースターが突っ込んでくるように見えた。
ステージの真ん中、後ろにグランドピアノのボディがあって後ろに逃げられない。
突然過ぎて固まって動けなかった。突っ込んできたテーブルは目の前の譜面台にぶつかって止まった。
パニックアタック始動。鼓動が激しく聞こえた。倒れそうだ。
ピアニストさんが私の無事を確認後、その折り畳みテーブルを退けようとしていた。すると、突然彼は叫んだ。「ぎゃー!ヘルプー!」
なんと指が折り畳みテーブルに挟まったのだ。もう踏んだり蹴ったり。
ピアニストさんの指は赤くなって痛そうだった。
ウォーミングアップどころでなかった。
そうしている間に試験官の先生たちがリサイタルルームに入ってきた。

今ここで起きたことを説明したが、この部屋はダブルドアで外に音が漏れないので誰にもあの轟音は聞こえていない。
凄い災難に見舞われたことをいくら説明しても事の大きさは伝えられない。
ドラマや小説のように天井のスポットライトが落ちてきて押し潰された方がむしろ良かったかもしれない。
試験官の先生達に「準備はOK?いつ始めてもいいよー」と言われ、まだパニックアタックから回復していない私は演奏を始めた。
もう何やってるんだか分からない状況だったが気がついたら終わっていた。
ピアニストさんは、ちゃんと吹いていたよー大丈夫!と言っていた。

しかし、私は試験に落ちていた。かなり辛辣なコメントと共に。
ショックだった私は試験事務局へメールをして事の次第を話し、再試験を希望した。
事務局は試験終了後10日以内だったら、試験破棄でやり直しができたという。
試験ガイダンスに書いてあったようだ。そんなとこまで読んでいなかった。
再試験は前期試験との結果の平均点で落ちていた場合は受けられるとの事だった。
前期試験との平均では合格していたので再試験ならず。
ただ不合格の文字を記録に残した。
幸いピアニストの彼女はギリギリで合格していたらしい。

このトラウマがあったので、昨日の3年次最終試験の結果が出るまで不安だった。
昨日の合格の発表を見たとき泣いた。ずっとトラウマになっていたからだ。

3年生になってからは私の希望通りクラリネットデュオとピアノのトリオで信頼の置ける友人達と組むことができた。
2年生の最後におじいちゃん先生にお願いしておいた事だった。
このトリオでの室内楽アンサンブルレッスンは毎週楽しかった。
そしてこのトリオは解散せず、卒業後も演奏活動する事に決めた。
この試験時のアクシデントは絶対危険なので、大学側に全ての職員に注意喚起を要請した。
3年生になってから、最初に例の学部主任の先生とカフェであった時、先生は試験の事には触れなかったけど申し訳なさそうな顔をしていた。
誰のせいでも無い不運な出来事だったので水に流す事にした。

某クラリネット奏者さんにこの話をした時「じゃあ、もうこれ以上ひどい事態ってなかなか起きないと思うから、今後は何が起きても動揺しないでいられるね!」

そうだ!このポジティブさで生きていこう!

次はまた不調から始まる3年生〜現在まで。

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