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ヨークシャー行き当たりバッタリ人生その5 『またしても苦難…そして乗り越えられるのか?』 社会人音大生の奮闘記

なんとか2年生を乗り切って、3年生への進級が確定した後の夏休みは久々に自由を謳歌した。
仕事は5月の試験前に退職していた。体力的に限界だった。
大学最後の一年間は練習に集中したかった。
和声も聴音も音楽学の授業も2年次で終了。
苦手なエッセイの成績はあまりパッとしなかったが落ちなかったので良しとしておこう。

夏休みの間に木管五重奏のセミナー・サマースクールに一週間参加した。
ある憧れのクラリネット奏者さんが講師をするので参加したかった。
一週間のレッスン、宿泊と食事込みで£800もしたので予算的に厳しかったが、大学側で校外学習推奨として半分以上負担してくれたので助かった。

場所はロンドンから電車で約30分。とてもロンドンの郊外とは思えない辺鄙なところ。広大な敷地にあるボーディングスクールを生徒が帰省している間に貸し切っていた。
このコースは一般向けなので常連さんが毎年参加しているようだった。
一週間は結構疲れたが有意義な経験であった。
夏の間にロンドンへ毎年恒例のBBCプロムスを聴きに行ったり、セミナーで知り合った奏者さんのコンサートへ行ったりと充実した日々だった。

ある時、どうやら歯を磨き過ぎて歯茎に傷がついてしまったのか、3週間ほど前歯の痛みに悩まされた。ひどい痛みで食事もあまりできない程だった。
痛みは徐々に薄れたが、どうも前歯の具合がおかしい。
違和感は取れずにいたが、クラリネットの練習は続けていた。

9月下旬に大学が再開された頃も全く違和感が取れなくて、歯医者へ行った。
私は1年生の時に奥歯をやられて抜いてインプラントにしていた。
精神的にストレスを溜めていたのか寝ている間に奥歯を噛み締め過ぎる癖が有りダメージを受けていた。
その時以来お世話になっている歯医者さんへ行った。
症状を聞かれて答えているうちに歯医者さんの顔が曇ったのを見逃さなかった。
とりあえずレントゲン撮りますね、と言われレントゲンの写真を見るなり歯医者さんが言った。
「残念ですが、この歯は死んでいます」
10年位前、この前歯が欠けたことがありNHSの歯医者さんで治してもらった。
たぶんその時に菌が僅かに入って少しずつ神経を侵して行ったのだろうと。

もう泣くしかなかった。前歯はクラリネット奏者の命だ。今まで頑張ってきた事がここで突然全て断ち切られてしまう。ああ、人生終わったなと。

その歯医者さんは私がクラリネット奏者なのを知っているので、半泣きの私に言った。
「大丈夫、歯は抜かずに神経だけ抜いて綺麗にするから。任せて!」
俗に言う根管治療だった。この歯医者さんで以前も根管治療をしているので腕が確かなのは知っていた。しかしこの歯は私には特別なのである。不安は残った。

その直後、病院の検査で子宮筋腫と子宮内ポリープが見つかった。
筋腫は大きさ的に様子見だったが、ポリープは摘出手術をして検査することになった。
手術前に前歯を治しておいたほうが良いと言われ、10月下旬に治療を受けた。
しかし完全では無い。前歯は酷使するせいか常に違和感がある。でもクラリネットが吹けるだけで幸せだった。子供の頃、出っ歯とからかわれて嫌いだったこの前歯だけど、今は愛おしくもある。この違和感は一生続くのかもしれないが。

ポリープ手術は11月下旬にと言われたが、この時期は演奏会目前のリハーサルが続いていた為、1月下旬に変更になった。日帰り手術ではあったが、個人レッスンの先生に3日くらいは学校を休むよう促され、大学に届けを出して休暇を取った。(手術後2日くらい痛みが強かったので休んで正解だった)
ちょうどこの1月下旬頃、中国でコロナが流行り始めていた。
今思えば、これより後にならなくて良かった、珍しくラッキーだったなと思った。
検査結果が出て幸いポリープは異常無しだった。

さぁ、もうこれで歯もポリープも何も心配事は無くなった。
前期の映像作曲課題の試験結果もまずまず。あとは最後の課題に向けて頑張るのみだった。

2月には室内楽アンサンブルのトリオで公の場でのランチタイムコンサートへ出演した。リーズの隣町のウェイクフィールドという街の大聖堂が会場であった。
ウチの大学は2年生までは校内のランチタイムコンサートのみ出演だが、3年生は大学外でのコンサートに出演する。ジャズ科やポップス科はグループを組んでいるので普段からあちこちで演奏活動をしているが、クラシック科はピアニスト以外は機会が少ない。
大聖堂は地元のお客さんで満席で200人以上は居ただろう。
公の場デビュー戦にしてはお客さんが多過ぎてステージに立った途端ドキドキした。
天井が高く音響が良くて楽しく演奏することができた。
2年生までの演奏恐怖症で泣いていた日々が嘘のようだった。

しかし次はソロ演奏のデビュー戦である。
3月中旬のことだ。私のほかに友人二人も出演するのでみんなでコンサート会場にバスで向かった。この時はオテリーという街の公民館のような小さな会場だった。
1時間前までには会場入りする為、朝早めにリーズを出発した。しかし、発車後すぐバスが急に止まってしまった。訳が分からず30分くらいに車内で待っていると、次のバスが来たのでそちらへ乗り換えて欲しいとのことだった。車内で急に人が倒れたらしかった。
バスに乗り換えたが、あちこち道路工事ばかりで混雑し会場に着いたときにはコンサート開場まで30分くらいしかなかった。
フルートと声楽の友人が先にピアニストさんとリハーサルをした。
私には10分くらいしか時間が無い。
その時初めて会ったピアニストさんとの合わせだったが、リハーサル途中に「まもなくお客さん入れるのでリハーサル終りにしてください!」と言われ、強制的に打ち切られた。

お客さんは地元の人たちで30人くらい。この会場にはテーブルがあって、皆お茶を飲みながら演奏を聴くアットホームなスタイルだった。

他の二人の演奏が終わり、私の番になった。
ちゃんとリハーサルできていないので不安だった。
しかもこの会場のピアノはアップライトのピアノでイマイチ音が良くない。
前にも述べたが、私は右耳の聴力が弱い。(その2『波瀾万丈の音大編』参照)
だから私がピアノの右側に立つのが理想なのだ。しかし、この時はピアノは私の右側にあった。しかもリハーサル不十分のまま本番、ソロデビュー戦を挑もうとしてている。
緊張マックスでまた激しい鼓動を感じた。
演奏直前に深呼吸をしたら、思ったより音が大きくてお客さんたちに笑われてしまった。しかしこれで緊張が少しほぐれ、演奏が始まった。

私は最後の奏者だった為、ピアノの上には前の奏者たちの終わった楽譜が積まれていた。
突如、その楽譜がピアノを弾く振動で崩れ落ち、演奏している私の足元に豪快にばら撒かれた。
何故か紙の束が入っていて目の前にドヒャーっと派手に広がっていった。
紙吹雪にしてはデカすぎる。
私は2年生の試験で落ちてきたテーブルに殺されそうになった経験がある。
その4『試験不合格』不運のアンサンブル事件参照)
それに比べたら、こんなのは大したアクシデントでは無い。
厚めの楽譜がカツンと譜面台に当たったが譜面台は倒れなかった。これだけでラッキーだった。
お客さんの驚いた顔を尻目にただ黙々と吹き続けた。
でも演奏しながら心の中で思った。
「なんで、私だけいつもこんなことばっかり(涙)」

コンサートが終わってから友人と二人でリーズへ戻って打ち上げをした。
一人£20ずつでお寿司食べ放題のお店で、二人で4人前くらい食べまくった。
奇しくも私の誕生日の前日。沢山お喋りをして帰途についた。
友人たちと会えた最後の日になった。

翌週の月曜日、朝から偏頭痛だった。
ピアニストさんの予約は急遽全キャンセルというメールが学校からきたので、2つ程レッスンはあったが休むことにした。
この日はピアニストさんとの合わせが一番重要な用事なのでそれが無くなったのなら自宅で安静にしたいと思った。
家で寝ているとピアニストさんからメールが来て、大学側が日にちを間違えて予約者に一斉メールを送ってしまったという。予約は予定通り有効であると。
すぐに学校からも謝罪のメールがきた。
その時は既に午後2時。私は3時に予約をしていた。
リーズまでは自宅からは早くても1時間以上掛かる。ダメだ間に合わない。
卒演を1ヶ月前に控えて、ピアニストさんとの合わせは貴重な時間だった。
学校へメールをして間に合わない旨と卒演前の貴重な合わせ時間を失った悲しみを訴えた。すると6時に枠があるのでどうだろうか?と返事がきた。
頭痛は完全には治っていないが、このチャンスは逃したく無いので6時に予約を取ってもらい学校へ向かった。
ピアニストさんと最後に会えてよかった。入学時、迷子になって泣きながら練習室へ行ったのが昨日のことのようだ。(その2『波瀾万丈の音大編』参照)
大学は翌日からクローズとなった。その週末からイギリス全土ロックダウンに入った。

レッスンはすぐにオンラインに移行された。
大学側は政府発表を考慮しながら試験の概要変更した。
本来なら5月上旬で終わる試験が7月まで延期になった。
卒演は当然のごとく全てキャンセル。動画提出での採点にかわった。
エッセイや作曲課題の提出期限も変更になったが、ロックダウン入ってからは毎日時間があったのでさっさと終わらせた。

最後のソロ演奏動画を撮影始めた6月、一本だけ残っている親不知が痛み出した。
痛み止め飲みながら「あと1ヶ月持ち堪えてくれー」と思った。
音もおかしく聴こえたので今度は私の耳か?とも思ったが動画チェックすると明らかにピッチが狂っている。
チューナーで全音を確認すると最低音から中間部まで異常に音が低い。
しかもサイドキーが引っかかってキーを一つ押すと必要のない穴まで開いてしまう。完全に故障している。まだロックダウン中でリペアは出来ない。
予備の楽器は持っていた。しかし指掛けの位置が違うので吹きづらい。
現在使っている楽器に愛着があって、どうしてもこの楽器で演奏したかった。
チューナーで音が狂っていることを証明する動画とキーの不具合を動画に撮って、演奏動画と共に送った。
再びディスカッションを述べる動画も送らなければならなかったが、今回はエッセイ的な記述の方を選択した。
この卒演に掛けていた意気込みや曲、作曲者への愛を思いを余すところ無く書き綴った。
もう思い残すことは無い。全てを出し切った。

最終結果発表まであと4週間…

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