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人間関係リセット症候群について考える

昨今、人間関係リセット症候群 なるものが注目されており、年末に向け増加することが予想されているそうです。

私の結論から述べるならば、「私に気兼ねすることなく、どんどんリセットなさって下さい!」
また気持ちが変わって、私の方へ気が向いたらいつでも繋いでくれて結構です^ ^

私自身も、以前から事あるごとに申し上げている通り、SNSでアホたちを相手にするのが面倒くさくて仕方がありません。アホたちを逆探知して所在地を見つけ出し殺してやろうと思ったことが数え切れません…。

仮に、賢い人たちとの繋がりだけを残して、アホたちだけとの繋がりだけを断つと、アホたちほど自分以外の誰かと仲良くしているのを羨ましがったり、嫉妬したり、なぜ自分だけ阻害されるのか?と、更にしつこくまとわりついてくるものです。
或いは、アホたちは周りの人間と同じことをしたがるものであり、換言するならば、アホたちほど周りの人間と同じことをしていないと不安を抱くものです。

その根本には、「別のアホが言っていたり、やってるのだから、俺がやってもいいだろう!」みたいな思考回路があります。
それ故に、一人のアホを放置しておくと、別のアホがどんどん増殖してきます。

更には、アホたちは自分のアホな発言や行動に自らで気付くことがありません。アホたちに何かを言ってもその場しのぎ言い訳をするだけですが、何も言わなければ尚更気付くことなどありません。
賢い人ならば、自らで気付き反省して改めるのですが、アホたちは気付くことがないので改めることがないばかりか、何も言わなければアホな発言や行動を更にエスカレートさせてきます。

例えば、アホたちのアホな発言やアホな行動に対して責任を追求すれば、
「あいつが言ってたから、同じことを言っただけだ。あいつの責任だ!俺は悪くない。」
「あいつもやってるのに、なぜ俺だけが責められなくてはいけないのだ?」
みたいな、アホたちにとって都合の良い論理で物事を解釈した上で言い訳をしてきます。
つまりは、自分の目で物事を見て、自分の頭で考えることなく、周りのアホたちと同じ発言や行動をしている事に安心感を覚えるのが、アホであるということです。

このようなアホたちの発言や行動を、SNSという環境はエスカレートさせるのに適している側面があります。その為、通常においてさえ、面と向かって相手するのも面倒くさいアホたちを、アホたちにとって都合がいい状況であるSNSで相手するのは、非常に面倒くさくなります。仮に、面と向かっているならば、相手の顔色を見るのが上手いアホたちは、私からの「このアホ、殺してやろうか?」という殺気をあえて言葉にせずともアホなりに理解可能なことでしょう。

まぁ、そんなこんなで、人間関係なんていつでも気兼ねなくリセットして下さって結構です。アホたちを排除する為に、賢い人たちとの繋がりも仕方なくリセットしているというのは、賢い人たちならば理解していることですので、心配する必要はありません。

先ずは、ご自身の心が安定する状況づくりを心がけた上で、ご自身が納得いく人間関係を作って下さい。無理や矛盾はいくら隠したところで相手に伝わってしまうものです。ご自身の心が満たされて少し余裕が出来た際に、改めて繋いで頂いても結構です。

因みに、アホたちというものは、こちらの心が乱れていたり、何か問題や不安を抱えている時ほど、ここぞとばかりに傷口に塩を塗るように付け込んでくるものですので、そんな時は早めに人間関係をリセットして防衛策を布いておくというのは、悪くない選択肢の一つであると私は考えます。

現代は、オーバー・リレーションシップの時代でもあります。
すなわち、本来は関わらなくていいアホたちと、無駄に関わり過ぎの時代であるということです。
何事も見識を伴った選択と集中が必要です。選択と集中をすることが出来ないのがアホたちです。
無駄なリレーションシップは切り捨てていい!


最後に、人間関係に関して私たちの参考になる言葉をいくつか掲載しておきましょう。

先ずは、イエローハット創業者である鍵山秀三郎さんは著書「凡事徹底」(1994)にて、人間関係について次のように述べられています。

『…人との縁はつなごうという意思と努力がないとつなげないものです。その縁とかいいことというのは、必ず前からきます。人間にとって悪いことはうしろから忍び足でやってきて、うしろからおおい被さるようにきて避けられません。一方いい縁、いいことというのは、前から正々堂々と胸を張ってきます。ただ、それが見えない。これがいい縁だぞとかいいことだぞなどと声をたて、姿になってくるわけではありませんから、前から胸を張って正々堂々とくるものをつかめるかどうかです。つかめなかったとしたら、それはそういうものを感ずる力がないということです。…』

(鍵山秀三郎さん著『凡事徹底』より)

『…縁というのはひとりでにできたり、ひとりでにつながってくるものではなく、つくろうという意思がなければつくれません。それからつなごうつなごうという気持ちをいつも持ち続けていないとつなげないものです。放っておけば、いい縁ほど日にちに比例して薄くなり、逆に悪い縁は放っておくとどんどん強くなります。悪い人との縁は、切ろう切ろうと思っていても強くなりますが、いい縁ほど放っておけば薄くなりますから、これをつなごうという意思を持たなければなりません。…』

(鍵山秀三郎さん『凡事徹底』より) 

次に、二宮尊徳翁は次のような言葉を残しています。

『君子は君子を友とす。故に益々善に進む。 小人は小人を友とす。故に益々悪に陥る。』

(二宮尊徳)

加えて、中国古典の中心となる「論語」には次のようにあります。

「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」

(論語)

すぐれた人物は協調はするが、主体性を失わず、むやみに同調したりしない。つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないという意味です。

「君子は周して比せず、小人は比して周せず」

(論語)

君子(徳の高い優れた人物)は誰とでも親しみ合うが、お互いに馴れ合うことはない。小人はお互いに馴れ合うが、誰とも真に親しみ合うことはない、という意味です。

最後に、中国古典の一つであり、超越の思想、即ち小さな現実に振り回されず自在に生きる教えを説く「荘子」には次のようにあります。

「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴(あまざけ)の如し」

(荘子)

物事をよくわきまえた人の交際は水のようにサラサラとしているが、つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘くベタべタした関係であるという意です。所謂『淡交』の語源とされる言葉です。


※こちらは2023年12月7日(木)のnakayanさんのXでの連続ツイートを読みやすいように補足・修正を加え再編集したものです。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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