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紙一枚の微差を積みて大と為す

松下幸之助 一日一話
10月15日 紙一枚の差

社会に対する責任ということを同じように考えてやっていても、その徹し方には差がある。一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると、苦情があっても「ああ言うが、うちも十分やっているのだから」ということになって、つい反論する。けれどもまだ足りないと思えば、そうした苦情に対しても敏感に受け入れ、対処していくということになる。そういうことが、商品、技術、販売の上に、さらに経営全般に行われれば、年月を重ねるにつれて立派な業績を上げることになるわけである。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

仮に、目の前に、「楽な道」と「困難な道」という2つの選択肢があったならば、優等生としての理想的な姿や聞こえの良い回答というものは、

「難難(かんなん)汝(なんじ)を玉(たま)にす」とあるように、自分を鍛え成長させた上でこれまで以上の自信をつけるために、困難な道を選びます。

となるのではないでしょうか。しかし困難な道を選択し、無理を続けた上で長続きする人は、それまでに長い年月をかけて基礎体力を十分に鍛え上げてきた人や、無理を続けてもそれに耐え得る体を生まれ持ったある意味で恵まれている人のみであるとも言えます。大抵の人は過剰な無理を続けますと、たとえ精神的に強い人でも、むしろ精神的に強い人の方が無理を続けてしまうことで次第に肉体的にほころびが生じ、思わぬところで突如急ブレーキがかかってしまうものです。

仮に、勇敢に困難な道を選んだとしても、ゴールという結果にたどり着かなければ、結果を得られないことで、むしろ今まで以上に自信を喪失してしまうことに繋がります。その勇敢に思えた選択は、単なる無謀でしかなかった誤りということになります。

しかしながら、昨日よりも今日は少しだけ無理をしよう、努力をしようと僅かな改善を続けることならば、誰にでも出来ることです。継続し続けることも難しくありません。具体的には、昨日よりも今日は1%だけ無理をしたとします。それを365日(1年)続けたならば、

1.01^365=37.783434...... ≒ 38(倍)

となり、つまりは僅か1日1%の改善が1年後には約38倍もの改善に繋がるということです。仮に、困難な道を選択し短期間でダウンしてしまったならば、成長や改善どころか寧ろ後退することになってしまいます。

積小為大(小を積みて大と為す)で知られる二宮尊徳翁は、以下のような言葉を残されています。

ここに一粒の米があるとする。
すぐにこれを食ってしまえば、それは、ただの一粒。
この一粒だが、もし推し譲ってこれを蒔き
秋の実りを待ってから食えば、
百粒食ってもまだ余りがある。これこそ万世かわらぬ人道なのだ。

(「二宮金次郎の幸福論」より)

尊徳翁の仰る米を仕事に対するエネルギーやモチベーションと置き換えても同じことです。つまりは、困難な道を選択し無理をするために手元にある米を全て食べきってしまえば、その時点で米は尽きてしまい、争いごとも生じ始めますが、米を少し食べては増やし、少し食べては増やすことを繰り返していますと、気付いた時には、手元の米は減るどころか大きな大きな実りとなってかえってくるのであると私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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