見出し画像

風をよむ「安倍政権7年8ヶ月を省みる」

2020年8月30日(日)放送のTBSサンデーモーニング(https://www.tbs.co.jp/sunday/)の風をよむのコーナーでは「7年8ヶ月」と題し、安倍総理辞任を契機に賛否の分かれる安倍長期政権について識者によるディスカッションが行われていました。

番組内での一通りのディスカッションを拝見した上で、私の率直な感想をtwitterにて以下のように連続ツイートしました。


私たち国民一人ひとりが今後の日本をよりよくしていくためには、大別すると以下の2つの着眼点について再度考えてみる必要があるのではないかと私は考えます。それは「長期政権によるメリットとデメリット」「なぜ長期政権が実現したのか」という2点です。

先ず「長期政権によるメリットとデメリット」について。
安倍政権の功績はアベノミクスによる経済政策を中心に様々ありますが、特に成果として挙げられる外交での功績は長期政権によるメリットであると言えます。安倍政権だったから外交が強かったというよりも、長期政権だったから外交に有利に働いたと考えていいでしょう。

更には、官邸主導によるスピード感ある政治は、長期政権だったからこそトップダウン体制が強化され成し得たメリットであると言えます。その反面としての、政治の私物化は長期政権だったからこそ生じた小さな綻びが積み重なり大きくなったデメリットであったと言えます。実際に私物化していたか否かは定かではありませんが、私物化の印象を国民に与えていたことは事実です。加えて、小さな綻びの具体例としては、政権が長期化した事により、国民から分かりやすい見える結果への要求が日増しに大きくなる事で、小事を疎かにし、大事にばかり注力するようになってしまい、小事よりも大事を優先する姿勢は私物化の印象を強くしました。

政権が当初は小事だからと軽んじて雑に扱い放置した問題が、時間の経過と共に大事に発展していく事が繰り返されました。何が小事であり、大事であるかの判断は、資本主義経済の父と称される、かの渋沢栄一翁でも無理であると仰っています。

以前、私のブログ内にて「松下幸之助一日一話」~小なる事は分別せよ、大なることに驚くべからず~でも引用したように、

「小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小にかかわらず、その性質をよく考慮して、しかる後に、相当の処置に出るように心掛くるのがよいのである。」
「小事が大事の端緒となり、一些事と思ったことが、後日大問題を惹起するに至ることがある。」
(渋沢栄一「論語と算盤」より)

渋沢翁は何事に対しても、小事大事の区別なく真摯に向き合い続けることが大切であると、著書「論語と算盤」の中で述べています。


次に、「なぜ長期政権が実現したのか」に関して。
安倍政権に関しては一強政治と言われることが多くありますが、なぜ一強となったのでしょうか。安倍政権がこれまでの政権と比較してずば抜けて優れていたのでしょうか。決してそうではなかったことは、国民一人ひとりが同意するところであり、分かりやすい表現をするならば、「安倍さん以外に安心して任せられる人がいなかった」「安倍さんには失礼になるが、仕方なく安倍さんだった」という声が多いことでしょう。

ではなぜ、安倍さんしかいなかったのでしょうか。これは、政治を率いるリーダー層の抜本的な人材不足が要因であると言えます。この政治を率いるリーダー層の人材不足は、与党のみならず、野党に関しては更にそれが加速し、加えて本来政治の対抗勢力となり世の中のバランスを保つ役割を果たすはずのメディア等に関しても同様に言えることであり、政治を動かすために必要となる構成要素の全てが弱体化し地盤沈下した事により、一部が突出したに過ぎないのだとも言えます。リーダー人材というものは、頭数さえ揃っていればいいというものではなく、適所に対する適材、換言するならば職責以上の実行ができる人材が必要ということです。

時代を遡り、戦後復興からの高度成長を齎し、Japan as No.1として世界のトップに君臨していた当時の日本は、どの分野に関しても団塊の世代を中心にした人材が豊富にいました。必ずしも良いものであったとは言い難いですが、団塊の世代の中ではその人材の豊富さに起因した競争意識が強く存在しました。各組織内部で生じる競争意識が各組織を強くしていたという事実は否めません。

しかしながら、今後の日本社会は少子高齢化の人口減少が更に加速していきます。加えて、ボーダレス化やグローバル化した国際社会で生き残るだけではなく勝ち続けるためには、これまでの日本社会には欠落していたダイバーシティ&インクルージョンが必要となります。つまり、これからの時代を生きる私たち国民は、「人材不足による相対的な競争力低下」を背景に、「方向性を異にする多様性の時代における力の結集」という異なる低下要素を、動態的に組み合わせる事により、これまで以上の結果を出さなくてはいけないという事です。分かりやすく言うならば、国民一人ひとりが「一人二役以上」として国を支える必要がある時代であると言うことです。

具体例の一つとして、これまで政治に関して発言をしてこなかった国民が、人材が不足するメディアを補完する役割を果たすこともそれにあたります。発言をする国民が、ただ単にその場で思いついたような安易な発言を繰り返すだけでは、メディアの代役を果たせないだけでなく、逆に国を混乱させる事に繋がります。メディアの代役を果たすような発言をするためには、確かな発言が必要です。確かな発言をするためには、それなりの勉強も不可欠です。

最後に、安倍政権の問題とされる説明責任に関して。
安倍さんは一定の説明責任は果たしていたのではないかと私は考えます。しかしながら、安倍さんには、説明能力が欠けていたと私は考えます。安倍さんには国民を納得させる説明能力がなかったために、説明責任を果たしていない印象が強くなってしまったということです。

ではなぜ、安倍さんには説明能力が欠落していたのでしょうか。それは、説明能力を構成する「数字、ファクト、ロジック」が欠落していたのが大きな要因であると言えるでしょう。ファクトが確かなものでない状態での、事実に対する解釈は無意味なものとなり、無意味な解釈に対する実行は不可解なものとなってしまいます。数字は国民誰しもが有する共通尺度であり、ロジックのない話は個人の感情や感性が強くなります。先程述べた国民一人ひとりがメディアの代役を果たすためにも、この「数字、ファクト、ロジック」が不可欠な要素となります。

安倍政権の7年8ヶ月を省みると、政権に見る姿は国民の姿がそのまま反映されたものであったとも言えます。つまりは、政権の姿を省みる事で私たち国民が何を反省すべきなのかを明らかにし、今後私たち国民の進むべき方向性に対するトリガーも見えてくると言えるのではないでしょうか。


※こちらは2020年8月30日(日)のnakayanさんの連続ツイートを読みやすいように補足・修正を加え再編集したものです。

中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

頂いたサポートは、書籍化に向けての応援メッセージとして受け取らせていただき、準備資金等に使用させていただきます。