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自分なりに最善を尽くしてきたから、会社人生の最後は緩やかに好きなことを

働く女性に対するキャリアや人生についてのインタビュー。今回のお話は、家族、地域、仕事のバランスを大切にしてきたはなこさん(仮名)のお話です。

はなこさん(50代後半)
プロフィール:大学薬学部を卒業後、日用品メーカーの研究所に勤務。製品開発に関わる研究、生活者研究に励み、学会発表、社内受賞などの成果を出してきた。50代後半で部署を異動し、新しい体験が始まっている。家族は、夫と息子。現在、勤務地の都合で多拠点生活となり、初めての一人暮らしを経験中。

職場では、研究での実績もあり、若手からも頼られているはなこさん。仕事比率が高いながらも仕事一辺倒ではなく、家族・地域・仕事の3つが機能しているのが心地よいとのこと。育児に、仕事の環境の変化に、そして介護にとしんどい時期を自分なりに精いっぱいやって乗り越えてきたはなこさんが、少し力を緩めながらこの先やりたいと思うこととは?

―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?
結構仕事の比率が大きいと感じました。と言いながらも、欲張りなので、家族のことも地域のこともまあまあいろいろやりながらきているかなという気もします。
話をする上で外せないのは、(今に)一番近い谷のところですね。両親と弟を短期間のうちに亡くして、そこは私にとってすごく深い谷でした。無我夢中でこんなに走り続けてきちゃったけれど、「本当にそれでよかったのかな」と初めて立ち止まって思いました。
今は少し力の抜き方を知りたいと思っています。頑張りなさいと言われなくても当たり前に頑張っちゃうので、もう頑張りたくないんですよ。最善を尽くしたいという思いがすごくあって、ずっと精いっぱいやってきたからだと思います。

はなこさんが描いた人生曲線

「石の上にも3年」と頑張ってきた

(20代:楽しくスタートを切った就職だったが・・・)

―――就職されてから一度人生曲線が下がっていますね?
 私はこの会社しか受けていないんです。元々薬剤師として働くつもりはなかったんです。で、この会社の研究所見学に行ったときに女性の先輩が楽しそうに働いているのを見てすぐ決めてしまいました。実際、会社自体はフレンドリーで和気あいあいとしていて、同年代の若い人もいっぱいいて楽しかったです。
けれど、その後、個性の強い先輩と1対1で組むことになって1年半くらい辛かった。体重も落ちて、周りからも心配されました。今の人だったらさっさと辞めただろうけど、なんでか石の上にも3年という思いがあってがんばった。今思うと、生意気な新人で相手も大変だったかもしれません。ただ、当時はそんなことを考える余裕はなくて、本当に辛かったですねえ。

研究テーマがなくなる危機も実績ではね返す

(30代:持ち前の負けん気で成果を出す)

―――30代半ばで落ちたのは?
仕事の人間関係や研究のテーマが影響しているなと思います。この頃、研究テーマがうまくいかなくなって、上司ともそりが合わなくて。まだ若かったし、配属された研究所の閉じた環境の中で目の前のテーマだけを考えていたので、テーマに影響を受けてしまう比率が大きかったんですよね。うまくいっていればいいけど、うまくいかないと気持ちの逃げ道がなかった。しかもその後、新しいテーマで成果を出すことができたのに、「その研究はこの部署ではもうやらない」と言われてどーんと凹みました。
ほんとに悔しかったので、とにかく実績を作ろうと思い、がむしゃらにがんばりました。結果として社内コンテストで認められて、のちに、会社の屋台骨の製品開発にもつながりました。メーカーなのでやはり商品に貢献できたことは嬉しかったです。
 
――なんでそんなに頑張れたんでしょう?
負けん気だけは強いのかな、意識していなかったけれど。30歳で子供を産んで、初めの1、2年、子供を預けながら働くしんどい時期を頑張ってきたのだから、ここで負けてはいけないという気持ちがあったのかもしれません。

家族、地域、仕事、その3つがすべて充実

(30代後半~40代前半:私自身が一番輝いていたとき)

―――その後は順調に?
30の終わりから40の前半くらいが一番良かった。今思っても一番無理なく充実していた時期かなと思います。
家族、地域、仕事の全部が充実していた。自分の健康が土台にはあるんですけど、私はこの3つがきちんと機能しているのが心地よくて。息子が始めたサッカーの役員をしたりして地域にも繋がりができた。仕事では、それまでの経験・蓄積を実績につなげたし、新しいことにチャレンジもできた。通勤時間が30分で、仕事も家事も子育ても全方位で力を注げたという感じはあります。その後転勤で、片道2時間くらいかかるようになって、自分の健康を保つのと新しい仕事だけで精いっぱいで、家族との時間、地域での時間は激減してしまいましたけど。

不調ながらも外の世界に活路を見出す

(40代後半:仕事と体調の谷を乗り越えて)

―――40代の半ば過ぎの谷は?
ここは会社人生で一番しんどい時期でした。職場の環境が良くなかったんです。新しく作られた組織での仕事が私の関心には向いていなかった。ストレスもあったし、子宮筋腫による貧血がみつかったりして、体調的にもあまり良くなくて。私の中ではあまり思い出したくない3年半でした。
でもこの期間に、外部から学びを得たり、資格をとるという活動をしていました。本業で不完全燃焼だったから、エネルギーの使い道だったんだと思います。仕事関係では、シニアや健康関係。親が介護になってきたので認知症ケア、介護オーラルケア。消費生活アドバイザーもとったかな。ここで資格をとったのは後に役立ちました。 その後、元の業務に戻してもらえて、手がけていた研究が商品開発につながって、いい流れになって上がっていきました。

最高点と一番深い谷と

(50代:仕事で成果を出しながら親の介護も)

―――波の一番高いポイントは50代半ば前ですね?
若い人に声をかけてもらった社内提案に参加して優勝したんです。社内提案は3回 目か4回目だったんですけど、自分がただ提案したときより嬉しかったですね。私が会社に入った時にまだ生まれていないような若い人たちが頼ってくれたのが嬉しかったし、その中で自分の経験を活かせた。親の介護をやりながらも優勝できたのは私にとっては勲章のようでした

―――なのに、ドンと落ちた。大切な人が短期間にたて続けに旅立たれたということだったんですね。
いやーなかなかでしたね。私は割と元気な方なんですけど、このときばかりはふわふわしていて、めまいとか、体にも出たし、これは無理できないなと思って、同僚や後輩にお願いできる仕事はお任せして、心とカラダを回復させることに努めました。少し漂っていた感じです。

そんな様子に、上司や周囲が配慮してくれて、とてもありがたかったです。本当に「時間は薬」とはよく言ったもので、そうこうするうちにまた組織が変わったり、新しい出会いもあって、なんとかやれているっていう感じですかね。仕事があってよかったって思います。

精いっぱいやってきたから60歳からは好きなことを

(今後について)

―――これから先についてはどう考えていますか?
私なりには精いっぱいやってきているから60歳になったら好きなことができたらいいのかなと思っています。もっともっと楽に生きていいんじゃないかな、と思って
今趣味でやっているバレエもそうだし、やってみたいことには結構手を出しているんですよね。ただ、趣味だけで満足できるかな?というところもあるかな。
 
―――仕事についてはどう考えていますか?
上の人から自分で提案して新しいことをして欲しいと言われていて、自分の欲しいもの、この世代の欲しいものを作っていければと思っているんです。会社人生の最後に道筋たてて提案していけたらいいなと思っています。
 
―――ご家族については?
家族は土台。私の中では、まず私が心身健康で、次に家族がそれぞれ元気でやっていて、その上に社会活動が乗っている気がしています。改めて、家族が元気でいてくれたから、仕事をがんばってこられたんだなと思いますね。ほんと、家族はかけがえのない存在です。3人で協力してやってきた気がします。私の両親を見送ったときも支えてもらえたし、本当に助けられました。
息子が子供の頃に読み聞かせしていた『すてきな三にんぐみ』という絵本があって、それがすごく好きなんです。私にとって、家族はまさに「すてきな三にんぐみ」という感じがありますね。

興味があるなら一歩踏み出してみよう

(女性たちへのメッセージ)

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?
一つは、興味があることには一歩踏み出してみたらいいなと思います。資格の話をしましたが、興味をもって視野を広げたことが、あとですごく生きているので、自分のアンテナにかかったことがあったら、合う、合わないも含めて1回やってみたらいいと思う。例えば、女性の健康検定というのを受けて、その知識が商品開発につながったこととか、凹んでいたときに学んだ情報検索技術が、あとあとの調査業務に役立ったり。
もう一つは、体を動かすこともぜひやった方がいい体を動かすと自然に視野が広がる気がします。違うものが入ってくる。体を動かしたときの爽快感、達成感みたいなのって、本を読んだりしたのでは得られなくて、やっぱり人間って動物なんだなと思うんです。
それと、最近振り返って思うことなんですけど、自分の限界を認めた時に、初めてその次に行ける気がしているんです。「自分はまあこんなもんだな」と受け容れることができることで、次の世界がまた開けるんじゃないかなと。そう思うことで少し肩の力は抜けたんじゃないかな。あれもこれもじゃなくて、あれかこれかみたいにシンプルに、と思ってはいるんですけど、今でも気がついたらあれもこれも首を突っ込んでしまって「どうしよう」となっちゃっていますが(笑)。

―――何か座右の銘とか、ご自身のキーワードにしていることってありますか?
 ラインホールド・ニーバーという人の『変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け容れる心の平安と、その両者を見分ける叡智とを我に与えたまえ』というのが好きです。社会人になってから出会った言葉なんですけど、この言葉はすごくしっくり来て、これを唱えるとちょっと客観的になれるんですよ。ドツボにはまった時に、これってどっちなんだろうって。
 
―――最後に、今日インタビューに参加してみていかがでしたか? 
1時間があっという間でした。
言い残したこととしては、私は活字が好きだから、本や新聞などでいろいろ学んだけれども、本が苦手なら人に会いに行くとか、とにかく視野を広げるというのはいくつになっても大事だと思いました。
 
―――改めて、自分が描いていた人生と比べてどうですか?
そんなにリアルに思い描いてもいなかったし、人生何があるかわからないというのが、今の私の実感ですねアンパンマンのやなせたかしさんは、64歳でブレイクしたっていう話がすごく好きなんです。素敵じゃないですか?それで90過ぎまで制作できるって。だからまた何かに出会えるかな?というのを楽しみにしているんです。

インタビュアーコメント

小学生のときの消しゴムに『Do my best 』と書いていたくらいに、小さな頃からどんなときも全力で頑張ってこられたお話に、どんどん引き込まれた反面、「少し肩の力を緩めよう」と思い始めたとの話が出てきて、ちょっとほっとした感じもありました。
座右の銘に表れているように、凹んだときでさえも、物事の明暗を客観的に捉えるバランス感覚とエネルギー燃焼の方向転換で乗り越える力強さを持っているはなこさん。これからについても、肩の力を緩めると言いつつ、関心の幅をより広げていくお話は力強くて、そのワクワク感がこちらにも伝わってきました。

【L100】自分たちラボ からのお知らせ

ライフデザイン研究会【L100】自分たちラボでは、働く女性に対するインタビューを行っています。詳細は『働く女性の人生カタログ』~プロローグ~をご覧ください。

*エピソード3は2023年4月24日の公開を予定しています。

【L100】自分たちラボの連絡先

L100lab.tokyo@gmail.com

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