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人と違っていいんだよ。自分の世界をつくろう。

あなたが、「これからどうしよう?」と迷ったとき、他の女性たちの話を聴いてもらうことで、なにかヒントを見つけられるかも。そんな思いで、【L100】自分たちラボが紹介する「身近にいる普通の働く女性たち」のキャリアや人生についてのインタビューエピソードも、第17回となりました。

今回のお話は、30代で仕事でもプライベートでも大きな出会いがあり、自分らしい生き方をさらに深めることになった、りかさん(仮名)のお話です。

りかさん(50代後半)*インタビュー当時
経歴:大卒後、電器メーカー入社。研究開発部門で30代のとき、Human Centered Design (HCD:人間中心設計)の考え方に出会い、社外の研究会などに参加して学ぶ。以降、デザイン部門へ異動後もHCD専門家として、製品を使いやすくするためには何をしたらよいかを研究し、デザイナーにフィードバックすることでHCDを製品につなげる仕事をしている。現在ひとり暮らし。

#ライフデザイン #インタビュー #働く女性 #専門性 #ユーザビリティ #人と違っていい

仕事では、Human Centered Design(HCD)という専門性を磨くことで、それを武器にして自由に動けているとのこと。プライベートでは、恐竜発掘やバンド活動、旅など多彩な趣味の世界を持たれているりかさん。幼少期の体験から「自分は人と違っている、違っていていいんだ」と気づき、それを自身の生き方のコアとしてきたりかさんの人生の楽しみ方とは?

―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?
困ったときにどう乗り越えたかと考えても、あんまり困った事はなかったなと。30代でいろいろなことがきてるなとは思いましたね。年表は10代からになっているけど、私が働こうと思ったのはもっと前じゃないかな。今の自分のあり方につながることが起きているなと思いました。

りかさんが描いた人生曲線

小学校に入ったあたりまでに今の自分のあり方のコアがある

幼少期~10代:自我の形成期「私はマージナルでいいんだ」

―――人生曲線の最初のあたり(実際はその前から)を教えていただけますか?
私にとっては小学校以前のことは重要で、今、HCDやユーザビリティの仕事をしている元々は、「ガイジン」「左利き」「転入生」という小学校に上がったばかりくらいまでの経験から来ていると思います。
父の海外駐在で、3~4歳のとき短期間ドイツで過ごして、そこでの自分が「ガイジン」で、最初はいじめられたけれど、友達になるといじめられない、という原体験から、人間への信頼感が芽生えたと思います。小学校では、左利きだったので、左手で字を書いたら周りの子に笑われたけれど、先生が「これは普通です」と言ってくれて矯正されなかった。その後、中学のあたりに曲線が下がっているのは、制服や校則などの決まり事があることを窮屈に感じていたため。高校ではそんな私に似たような人がいっぱいいて安心しました。だから、ここでは普通だと思って楽しかったです。
大学生になって、文化人類学で「マージナルマン」という概念を学び、ああ、私はマージナルだったんだと思いました。「マージナルマン」は、周辺人といって、文化の中核にいなくて周辺にいる変な人たちのこと(笑)。マージナルなところで文化が生まれると知って、私はマージナルでいいんだ、と思ったんです。自分の生き方はそのへんに「コア」があると思います。

配属で失望、先輩方がよい人たちだったので続けられた

20代:大学~就職

―――20代から30代にかけての波は?
メーカーに入ろうと思って就職して、配属されたところに超失望したんです。大学は工学部で、4年生のとき、バイトで稼いだお金でシンセサイザーを買ってバンドを始めて、就職は電子楽器に関われる会社を選んだのですが、入ったとたんに会社がその事業から撤退。配属されたのは研究開発部門の回路設計の仕事で、上司は昭和なおじさんだし、やりたかったこととも違うし、「3年で辞めてやる!」と思っていたのが曲線のどん底のところ。でも、先輩たちは男女差別なくいい人たちだったので、すぐに辞めずに働いて、いろんな力をつけておこうと考えました。
一応転職活動もしたのですが、そうこうしていたら異動があったり、社内の文化が変わるようなことが起こったりして、もうちょっといてもいいかなと思い直しました。自分がなにか乗り越えたというより、待っていたら潮目が変わった感じです。

30代で吹っ切れて「私の時代だ」と思えた

30代:仕事もプライベートも充実

―――30代で、いろいろあったようですが、具体的にお話いただけますか。
私にとって、30代がターニングポイントだったと思います。ユーザビリティとの出会いと、家を持ったこと、恐竜発掘との出会いが大きかった。前の自分と変わったなと思えるのがこの30代。30代になって大人になった感じかな。20代で成人と言われても全然大人になった気がせず、20代後半はもやもやしていましたが、30になったら吹っ切れて、30代は私の時代だ!と思えました。

―――30代でHCDの研究会に入られたのですね? 
異動した部門でインターフェイス関連の仕事のグループに入った時に、同僚が「ユーザビリティ」という概念を持ってきて、「これだよ!」と飛びつきました。それで今があるという感じで、そこが曲線では一番高いところ。シンポジウムに参加したり、そこからつながった講習会や研究会などへ勉強をしに行ったりして、勝手にやっていました。放し飼い状態でしたね。おかげでHCDの専門性を身に着けることができました。

―――独立・持ち家というのはいつ頃から考えていたのですか?
10代の頃から、自分は自分で養おう、仕事を見つけて家を買って、ひとりでも生きていけるようになろうと思っていて、家を買うための貯金をしていました。うちの親の影響だと思うんですけど、母が、「女性も手に職をつけるべき」と言っていたんです。薬剤師とか歯科技工士とか。あと、自分は家事に向いてないなと思って、小学生の時から「仕事をしよう」と思っていました。外資系の会社にいた父には、「ソフトウェアをやっている人は女性でも子供を産んでも働いているよ」と言われて、高校の頃には、工学系の仕事につくと長く働けるかもしれないと思っていました。

―――恐竜発掘についても教えてください。
配属が嫌でくさっていた頃に、図書館で恐竜研究にふれたのと、テレビで発掘の様子を見て、実際に出てくるところが見たいなと思ったんです。初めてのツアーは、中国の「発掘地」の見学で、発掘はできず発掘の様子も見られなかった。その後、通っていた中国語講座で私の恐竜好きを知っていた年長の人たちに、「発掘ツアーがあるけど高くて・・・」と言ったら、「あなたは行くべき」と言われて、経験に投資すべきだ、機会を逃すな、ということだなと思って行ったんです。その時は発掘には至らなかったのですが、発掘をしている博士とつながることができ、博士を訪ねて行ったモンゴルで、羊くらいの恐竜を丸々一匹掘る体験ができ、それでやみつきになって、コロナの前まで夏休みに毎年行っていました。10代の頃はキャンプも嫌だったのに、モンゴルに行くと1週間お風呂なしでも平気。今までの自分とは違う自分になったという意味で、人生に影響があったと思います。

デザイン部門への異動

50代:HCD専門家として

―――40代後半で少し(曲線が)下がっているのは?
40代後半で不景気になって大リストラがあり、一緒にやってきた人が辞めていくので気分が下がりました。私はもらえる一時金では家の借金を返せないと考えて辞めませんでした。

―――その後、デザイン部門に転籍したんですね
父が55歳のときに、65歳まで働ける子会社に転籍して、その後、嘱託として70歳まで働いていたんです。自分も55歳くらいで考えなければいけないかなと思っていたら、デザイン部門に転籍となり、新しい仕事になったし、それでいいやと思いました。自分では何もしないのに環境が変わるということがここでもありましたね。

世の中良くなっていくという感覚がある

今後について

―――これから先についてはどう考えていますか?
不安はあんまりないです。どうにかなると思っている。基本的な世の中に対する信頼感と自己肯定感というか根拠のない自信があるんです。世の中は良くなっていくという感覚。就職のときは男女雇用機会均等法ができたし、家を買う時には時代的に私のような人が多くて審査も通過した。世の中が女ひとりでの自分にとって暮らしやすくなってきているし、70代になった頃はもっと暮らしやすくなっていると思いますね。生きている限りは楽しく生きたいですね。

―――仕事面ではどうしたいですか?
今も放し飼いでラッキーだと思っています。エルダー社員として60~65歳まで働ける雇用制度があり、週3回でもよいし、副業も可なので、リモートで働けるなら続けたいです。オンライン副業ができれば合わせてやりたいと思います。

―――お仕事以外で、今後やりたいことは?
恐竜の論文を書くように言われたのですが、英語だし読んだことがないので、まず読めるようにならないと。自分より年上の方を見ていると、体が動く時期はそんなに長くない。60~70歳の間の体が動くうちにやりたいことがいろいろ、音楽も続けたいし、アステカに行く、オーロラを見るなど。時間ができたら、ひとりで国内の四季に応じて花も観に行きたいなと。

―――バイタリティがありますよね。
そうでもないですよ。ずーっと思っている、というのはあるかもしれません。だから、何かきたら行くっていうか。何かしたいと思ってもすぐにできないこともあって、準備をして、その時になったら行く。ずーっと思っているっていうのが大事

―――地域との接点も考えているのですね。  
単身者だと子供という接点がないので、地域とのつながりがないんです。会社を抜けたあと、何かあっても会社は守ってくれないので、近くにいる人とつながるには地域で私に何ができるのか?が今の大きな課題ですね。防災士の資格をとったのも、もしかしたら役に立つかなって。
70代くらいで、「コレクティブハウス」に住むのもいいかと思っています。老後の心配は腐乱死体になることなので、発見される仕組みを導入しようと思って。コレクティブハウスは、多世代で住んでいて、住んでいる人たちが自分たちでルールを決めていくような場所。まだ日本にはあまりないけれど、あと10年でもっと増えていたらいいなと思います。ずっとひとりで住んでいるので他人との共同生活は無理。独立しつつゆるくつながる住み家が欲しいです。老人ばかりでなく、いろいろな人がいてゆるくつながっているのがいいと思います。

人と違ってもいいんだよ

女性たちへのメッセージ

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?
何に迷っているかがわからないけど。お子さんとかおられる人は、私とは全然違って、心の時間もとれないだろうし大変だろうなあって。だから、私の話が役に立つのかなと思うけど、こんなふうに生きてもいいんだ、と思ってくれればいいなと思います。
小学生の時に、他人の評価を気にし過ぎだと気づいて、なんでか、「他人のために生きるのではなく、自分の世界を作ろう」と思いました。生きづらいと思う人は、人との関係が苦しいのではないかと思います。私は、「自分は違うんだ」という自覚があり、「違ってもいいんだ」という大人が周りにたくさんいてくれた。それが私のラッキーなところだと思っています。

―――今日、インタビューに参加してみていかがでしたか? 
ヒストリーを書いていて気づくことが結構あって、面白かったです。
定年後にどう暮らしていこうか?家も古いしどこまでリフォームして、いつ移るか?親がいなくなったらどうなるんだろう?など、これから考えることはいろいろありますね。
(*文中の写真はイメージです)

インタビュアーズコメント

恐竜発掘やバンド活動のお話など、お仕事以外にも興味の範囲があまりに広くて、どんどんインタビュー時間が延びていってしまいました(笑)。何かに縛られない自由さをお持ちだなと思いましたが、その基本の考え方が小学生時代に作られたと知って驚きました。ご両親、先生、職場の皆さんが個性を尊重してくれたことで、「違ってもいいんだ」という思いを支えてもらえたのでしょう。“おひとり様”の仲間を勇気づけてくれるようなお話でもありました。仕事とプライベート、どちらもそれぞれに充実させてこられたりかさん。70代になる頃にはひとり暮らし女性にとって、もっと生きやすくなるだろうと楽しみにされておられるのも素敵だなあと思いました。

【L100】自分たちラボ からのお知らせ

ライフデザイン研究会【L100】自分たちラボでは、働く女性に対するインタビューを行っています。詳細は『働く女性の人生カタログ』~プロローグ~をご覧ください。

【L100】自分たちラボの連絡先

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