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人に尽くしながら、導かれるように生きてきた。これからは自分のために生きる。

あなたが、「これからどうしよう?」と迷ったとき、他の女性たちの話を聴いてもらうことで、なにかヒントを見つけられるかも。そんな思いで、【L100】自分たちラボが紹介する「身近にいる普通の働く女性たち」のキャリアや人生についてのインタビューエピソードも、第13回となりました。

今回のお話は、ご両親の離婚やご主人との死別などを経験しながらも、淡々と、そして導かれるように、自分の歴史を積み重ねておられるきよこさん(仮名)のお話です。

きよこさん(60代前半)
経歴: 10代で両親の離婚、父親の再婚を経験。大卒後、お寺の事務職として就職。30代で結婚、40代半ばで夫と死別。夫の介護をきっかけに資格をとって介護の仕事に入り、現在高齢者施設で介護士として働いている。猫ちゃんたちに囲まれて一人暮らし。

#ライフデザイン #インタビュー #働く女性 #大切な人との別れ #介護 #宗教

「流れに身を任せてきただけ」「でも無駄な経験は何もない」と語られるきよこさん。結婚によって、ようやく自分の居場所、自分はこうやっていけばいいというものをつかむことができた。そのご主人を介護し見送り、その後介護士となった。これまでを振り返ると、自分の思ったように一歩一歩積み重ねて今があるとおっしゃいます。このような心持ちを持てるに至った道のりとは?

―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?

就職や転職、転居といった人生の節目に、過去にこういうことがあったとか、ここで心の変化があったとか、自分なりに振り返る機会を持ちながら生きてきたところがあるので、考えていたことの再確認という感じでスムーズに書けました。
良かった時期は20代後半から40代くらい。10代後半に人生曲線が最も下がっているのは、両親の離婚があって、一緒に暮らしていた父が再婚して義母ができたあたり。

きよこさんが書いた人生曲線

父親の再婚と自分の就職が最初のターニングポイント

10代後半~20代:お寺に就職して親友もできた

―――最初のターニングポイントは?
最初は親の再婚ですね。家族形態が変わって、義母と祖父母との折り合いが悪くて、私は家を出て別に暮らしました。なんとなく家がいやで離れたかったので、地元から離れた大学に行ったんです。結局それが家族を考えるきっかけになりましたね。別居しても家族としては成り立っている。でも、しっくりはいっていない。いずれ家を出ることを考えながら、ちょっと外から見ていたみたいな感じです。
―――20代は曲線が上がっていますね?
初めての就職で、なにごとも初体験で物珍しいし、興味があるし、一生懸命働いていたなと思います。社会人として教えてもらうことが多く、知識、人間関係が増えていった時期です。仕事はみんなでわあわあとやっていて、仕事の後の付き合いも楽しかったですね。そのときの友人は今も続いています。
私が同期ですごくいい関係だと思っていた子が、私のことを人前で「親友」と呼んでくれたんです。それがすごく嬉しかった。そういうふうに信頼関係を持ってくれているんだと思って、そういう人ができたというのが嬉しかった。ずっとそばにいなくても心が通じている人、わかってくれている人、という感じで。
 
―――どういうお仕事だったのですか?
就職先は大きなお寺で、お役所みたいな事務仕事をしていました。男性は全員僧侶。女性も僧侶の方がほとんど。実は、大学では小学校の先生の資格をとったのですが、小学校の先生の就職がそのときにすごい倍率で、就職浪人をしなければ入れない状態だったんです。で、親は地元に戻って欲しくて、近所のお寺にどこか就職先がないかと紹介を頼んだようなんです。私もアルバイトしながら次の機会を待つより、ちゃんと就職したかったので、大学で勉強したこととは違うけど、就職する方を選びました。

結婚は自分の居場所を確定づけてくれた

30代:年上の上司と結婚

―――その後、結婚したあたりからがいい時期だったのですか?
結婚は職場結婚で、上司だった人と。そして、結婚は、自分の居場所を確定づけてくれたものです。年の差はありましたが、ずっと一生そばにいるんだろうな、と思える人と出会えたと思いました。なんだか波長が合った。結婚によって、生き方がわかったというか、こうやって生きて行けばいいんだとわかった、そういう感覚ですね。だから今も、その自分の居場所で、そのまま来ています。
―――こうやって生きて行けばいいというのは?
たとえば礼儀とか、地域とのつながりとか、何かをするときには届けを出すとか、そういう日々の生活に必要なことを、結婚生活の中で学んでいき、身につけられた。それと、自分の思い通り、自分の意思でものごとを決めて生きていけばいいんだ、という気持ちが根付いた。就職するまでは家に縛られ、両親の離婚・再婚に振り回された感があったので、そういうところから解放されたと思います。

夫の介護・看護経験を経て、恩返しの意味もあって介護職に

40代:夫との死別と転職

―――その後のターニングポイントは?
夫と死別して、自分ひとりで生きていくことになったところですね。
夫が亡くなったことは大きいとは思うけれど、人との付き合い方とか生き方とかはあまり変わっていない気がする。それは、夫と共に生きた時間の中で紡がれた縁だとしたら、私のために、夫がちゃんと残してしていってくれたということかな。介護をしている時間も、自分のことより、私のことを気づかってくれて。介護は、夫のためだけではなく、私自身のためにも勉強しました。私にとって、本当に大きな人だった。そして、今も導いてくれているように思います。

―――でその後に、事務職から介護職に変わったんですね?
そうです。夫の介護・看護の経験を経て、恩返しの意味もあるし、人の役に立ちたい、立てると思っていたので、そうやって生きて行こうかなと。
介護の仕事に入って以降のことは、私にとって大きな影響がありました。この仕事って、私たちの人生の先輩、高齢者を常に相手にしているので、自分の将来を考えるにあたっていろんな姿が見えるんです。自分の関わり方も含めて振り返り、自分の将来設計に思いをはせていけるんじゃないか、と思います。そこに自分の今後の人生、将来を考える原点があるんじゃないかな。

―――介護職につくのに、介護の資格をとられた?
夫の看病をしているときに、自分の体も相手も楽なようにと介護の勉強を始めて、施設に入る前に1年半か2年くらいかけて介護の資格はとっていました。
夫の看病が始まった頃、仲間が、介護の仕事もお金がもらえると話していたので、そういう仕事があることは知っていたんです。でも実際に介護職につこうとは思っていなかったんですよ。夫が亡くなる1ヶ月前くらいに、勤めていたお寺が新しく介護施設をつくったので、夫に「そこに働きに行こうかな」と言ったら、「(勤務先の)お寺の施設ならいいんじゃない?」と言ってくれて。その時はまだ、本当に就職するとは決めていなかった。でも、その施設ができていなかったら今の状況とは違っていたかも。
私、すべてそういう感じかな。自分からこれを目指して資格をとって就職して、というのではなく、すべて流れに身をまかせていただけみたいな感じです。

―――その後、転職されたのですか?
はい、2~3施設を変わりました。最初のところは、施設長が変わって、今までやってきたことと人が、ガラっと変わったんです。私は、そこで介護と一緒に、医療・福祉に宗教を取り入れたビハーラという活動もしていたのですが、「もういいや、10年一区切りかな。同じような活動はこの施設にいなくてもできるし」と思って転職しました。
 その後は、行った先々で、介護意識の相違や合併問題などがあって数回の転職をしました。 最近は、体調も考えて、夜勤のない形で勤めたいと思ってはいるのですが、なかなかそうもいかなくて。経験を積むに従って、責任のある立場になると、チームのケアも必要になってくるし。転職というより、そろそろ退職のことも見据えていかなくてはいけないかなと思いながらも、なんか辞められずにいます(笑)。

人にばかり尽くしてきた人生だから

今後について

―――今の状況はどう思っていますか?
自分のやっていることには満足しているし、自分のできる限りのことは精いっぱいやっているので悔いはないです。年齢的なこともあって体力的にはしんどくなってきて、介護から少しずつフェイドアウトしたいなという気持ちはあるけど、働き続けたいとは思っているんです。違う形でとか違う仕事であっても、社会的なつながりは持っていたい。

―――思い描いていた人生と比べてどうですか?
満足のいく経過、ストーリーだと思います。無駄なものが何もない。すべての経験が自分のためになっている。あまりここが失敗だったという感じはない。

―――これから先についてはどう考えていますか?
夫と死別して一人になり、夫のあとに父母も介護・看護をして、10年くらいの間に看取っているんです。周りの人は、「人にばかリ尽くしてきた人生だから、自分が楽しんで、自分のための時間を作ったらいい」と言ってくれる。そうしようかなと思って、今、そういう時間が作れていると思います。だからこのままがいい。私自身、人のためばかりに尽くしているという感覚はなかったけど、よくよく考えてみたら、人のためにばかり動いている人生だったかなと思います。
社会的なつながりを持つためにもなんらかの仕事はしたいなという思いもある。でも、人のためにではなく自分のために。自分のスケジュールで、自分が働ける程度で働けたらいいなと思う。それで健康であればいい。持病があるので、先々はまたどうなるかわからないですけど、仕事をしないということは考えていないですね。
 
―――そのために何か準備していますか?
今後のために、いろいろなところに声をかけています。「定年になるから、何か仕事ない?私にできることない?」とか。「こんなのがあるよ」と言ってくれているところはあるんです。お寺の関係や医療関係、介護だけれど、体力的にはきつくないところとか。これまで仕事でつながってきた人たちに声をかけているという感じです。
 
―――何歳くらいまで働くと思いますか?
私はいろいろなことをするのに3年単位で考えるんです。あと3年から5、6年は働こうと思っている。その後はわからない。5年後、自分がどうなっているか想像できない。
高齢者と接していて、施設にいる方は体力的にも精神的にも落ちている人もいるし、町内の人を見ると元気で現役でいる人もたくさんいる。両方見ているので、自分がどうなるかがわからなくて、ちょっと想像ができないんです。

なるようになるさ

女性たちへのメッセージ

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?
いいかげんに聞こえるかもしれないけれど、自分がそうしてきたこともあって、「なるようになるさ」と。仕事にも経済的にも苦境に陥ったときに、とある社長さんが話を聞いてくださって、「山より大きなシシ(猪)は出ない」と教えてくださって助かったことがあるんです。これは、その人に解決できないことは、その人のところにはやってこない。だから、許せる人や場所に身と心を委ねれば、おのずと解決の道は見つかるということなんですよ。
ほんとに、生きてさえいたら「なるようになる」。いろいろなことがあって、乗り越えたとまでは言わないけれど、その上に自分の歩んできた道が積み重なっていると思っているので。
でも、「なるようになるさ」と言ったら、苦境の渦中にいる人は信じられないと思うんですよ。すごく大変な人に「時間がたてば」とか言っても、絶対そのときはわからないだろうし。それは後からわかること。だから、人には「なるようになるさ」とは言えないですんですけど、でも自分の中ではそう思っているんです。

―――今日、インタビューに参加してみていかがでしたか?
自分の人生の確認ができました。そして、今後のこともちゃんと考えないといけないかなと思いました。成り行きに任せるにしても、仕事や、家のことなど、自分も年をとっていくんだということを真剣に考えないと。今は元気だけど、体力的には衰えていくだろうし。今回は振り返りだけではなくて、これから先を考える良い機会になりました。
(*文中の写真はイメージです)

インタビュアーコメント

お寺という特別な職場に勤め、信頼できる親友に出会い、生き方を示して下さるご主人に出会い看取られた。流れに身をまかせつつも、人生の節目ごとに過去を振り返りながら生きてきたと語られたきよこさんにとって、今回のインタビューは、過去を振り返るだけではなく、これから先を考える機会にもなったようです。ご主人の看取りを介して介護の道に入り、様々な人生の先輩方の生き様に触れながら、ようやく自分のために生きる楽しみに気づかれた。これもきっと、今もきよこさんの心に寄り添うご主人が示して下さっている生き方ではないでしょうか。「そうそう、それでよいのです」ご主人と共に喜びたい気持ちになりました。

【L100】自分たちラボ からのお知らせ

ライフデザイン研究会【L100】自分たちラボでは、働く女性に対するインタビューを行っています。詳細は『働く女性の人生カタログ』~プロローグ~をご覧ください。

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