神はいないと言う者は自給自足や自分たちだけで生きてみるといい。そうすれば色々理解できる。

よく街や学校や会社でよく「神や宗教はまやかし」と聞きます。

神はいない。神は助けてくれない。神や宗教があるから戦争や争いが絶えないと言われる。

神や宗教は気味が悪い。気持ち悪い。

そうですね。気持ちはわかります。

じゃあお前らお盆休みや正月や葬式は絶対否定して自分たちは休むなよ。そして大切な人が亡くなった時は葬式も儀式関係も駄目だからなあ!

これを暴論と言う人は宗教や神を否定する人も暴論と認識すべきですね。

昔人々は完全な狩猟と農耕で生活していました。天候や地形に左右されて獲物の気まぐれでうまくいく日もいかない日も多々ありました。

狩猟中骨折や死亡事故を起こしても本人の過失や獲物の獰猛力もあったと思います。

農耕中も天候や自然災害に左右される事が多くうまくいかない時も多々あります。

当時の人々も不満や怒りがあったと思います。仲間や自然や動物に叫んだり怒りを向けたりしたかもしれません。

同時に仲間を傷つけると共同体としての機能が失われるので何か別の手段が発展したのだと思います。

怒りを祈りに、不満を力に、諦めを信仰に発展させたのだと考えられます。

自分たちでは絶対にどうしようもできない力には何か特別なものを感じ取って異なる考えや建物を建築したのではないでしょうか?

世界各地の神も自然や農作物や動物の神が多く発見されています。

人々は自分たちが生活している世界圏に目に見える形で自然現象や動物や食料を神に模したのではないでしょうか?

同時に仲間が昨日まであんなに元気で会話していたのに突然病気や不慮の事故で旅立った事に理解できず混乱したのではないでしょうか?

だから人々は必死に考えた結果、神が魂を抜き取ったのだと仮説を立てたと同時に神と宗教の役割が発展したのではないでしょうか?

ですが現在はどうでしょうか?食べ物はスーパーやコンビニで売っている。病気になっても病院に行けばいい。なんでもかんでも予防措置や科学の発展のおかげで我々の生活は豊かになっています。

そもそも科学の発展と宗教の発展は兄弟関係です。どちらも未知の現象を探求して仮説を組み立てるから発展してきたのです。

ですが私は宗教で一番大切なものは何かと考えると「思いやりの気持ち」だと思います。

科学では人が死んでも生命機能の停止と位置付けられてそこで終了です。善人も悪人も大切な家族や恋人も関係なく生命機能の停止と位置付けられるのです。

しかし神や宗教は色々補ってくれます。

悪人が死んだら天罰や閻魔大王の極刑確定秘密裁判即刻銃殺が言い渡されるでしょう。

善人や大切な親や恋人が先立たれた場合には

「きっと天国(極楽)で美味しい食事や温泉がたくさんで苦しみもない世界でみんなを先に出迎える準備をしていると」感じて考える事ができます。

そうです。神や宗教は心の薬でもあり、人々の生きる目的を安定させてくれているのです。

大切な人々やペットを無造作にその辺のゴミと一緒に廃棄するのは科学的考えです。宗教では大切な人々やペットを丁重に儀式してお別れをします。

神や宗教を否定する人々はこの辺をどのように考えているか気になりますね。

たぶん科学一辺倒な考えになると人が死んでも中国の○器狩りみたいなこの世の地獄確定ですね。

最後に私が中国のおばちゃん講師から聞いたいい話があります。

「大切な人や家族がこの現世からいなくなってもそれは一時的な事でしかない。私の父は確かに現世で生をまっとうした。父の魂はその後七星に輝く鳥の羽根に包まれながら安らかに天帝の世界に舞ったのだ」😭😭😭

めちゃくちゃいい表現!!感動して僕泣いていました。中国は伊達に5,000年の歴史がある国ではありません。宗教の考えと亡き遺族と別れる最後の詩もしっかりしていました。

本当に感動した。

PS:中国のおばちゃん講師は日本人が死んだ時の表現がストレート過ぎだと言っていた。

「死亡」←この言葉は中国でも滅多に言わないらしい。

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