修羅と丹若⑫「剣が峰」
剣が峰
傑はいきなり襲い掛かってきた悪鬼に驚く。物凄い速さで建物から飛び出してきて、気づいた瞬間には目の前にいた。
ガバリと開かれた口はまるでくるみ割り人形のようで、そこに大きな歯がびっしりと並んでいた。
歯って、確か身体の中で一番硬いんだよなぁ……。
何故か頭の中は、呆然とそんな事を考える。
けれど絶対に死なないよう叩き込まれていた傑の体は、思考するよりも早く反応し、窓を撃っていたサブマシンガンを素早く迫る悪鬼の口に噛まして難を逃れた。
ガシッと体を捕まれ、ハッとする。そして自分が咄嗟にそうした事を理解する。
「ギ、ギギギギギギィ……ッ!!」
サブマシンガンに噛みついた悪鬼の口から、恨みがましい音がする。鉄でできたサブマシンガンだというのに、その歯はそこに食い込んでいる。
……これ、噛まれてたら間違いなく死んでたな?!
憤怒に狂った悪鬼の目に睨まれながら、傑は思った。危険だし怖いし、突き放そうとするが悪鬼の虫みたいに長い手足が傑の体に纏わりついて離さない。そのまま締め上げてくるのだからたまったもんじゃない。
ひいぃぃぃぃ~!!
涙目の傑。四階への侵入体勢に入れず、そのまま悪鬼とともに窓のある外壁に叩きつけられる。そしてそのまま宙ぶらりん状態になってしまった。しかも反撃しようにも、完全に全身を縛るように悪鬼の手足が絡みついていて身動きする事もできない。
ふと、何か嫌な匂いが鼻を突いた。
よく見ると、傑のブレザーに触れている悪鬼の皮膚(?)が、焼けているのか煙が出ている。ブレザーには鳳凰である凪の羽根が織り込まれている。だから悪鬼を浄化しようとする作用が働いているのだ。
なのに……。
悪鬼は皮膚を焼かれながらも、絶対に傑を離さなかった。ギリギリとサブマシンガンに歯を食い込ませながら、絶対に離すものかと手足で傑を締め上げてくる。その眼は激しい憎悪に狂っていた。
「……ヒッ!!」
それを間近で見て、傑は引いた。だがどこにも逃げ場などない。足はブラブラと中に揺れ、そこが四階の高さである事が恐ろしかった。
この高さなら死ぬ事もあり得る。
何より、絡みついていて締め上げてきている悪鬼は、傑を殺す気でいる。その絶対的な殺意が、逃れようもなく傑に取り憑いていた。
「傑様!!」
院瀬見の声がした。その声にはっと我にかえる。
……え??この悪鬼って??
傑は噛まれない為に、とにかく外れないようその口にサブマシンガンを押し当てながら考える。
見た目は女性だ。呪詛の「本体」を守っていた悪鬼によく似ている。だが、院瀬見が相手をしていたはずのその悪鬼よりずっと小さい。手足の長さを無視すれば、普通の人間とさほど変わらない大きさである。
これって?!
傑には何が起きているのかわからない。けれど今重要なのは、何が起きたかではなく、自分に、陰の固まった「邪」よりも強力な悪鬼が取り憑いて殺そうとしているという事実だ。しかも屋上からロープで四階の高さにぶら下がっているという状況で。反撃なりしようにも、悪鬼の手足によって全身が簀巻のように束縛され、にっちもさっちもいかない。
手が辛うじて胸の前にあるのだが、サブマシンガンを悪鬼の口に押し当てていなければ、おそらく噛みつかれる。この状態から噛まれるとしたら首だ。それは間違いなく死ぬ事になる。
どうする?!
その時だった。
キンッと空気が張った。そしてそれを切り裂く疾風。悪鬼の片手がそれに反応して傑から外れた。その手をナイフが掠める。
サブマシンガンを抱えるようにしていた事で、腕が前にあり、悪鬼の片手が離れた事から肩が動く。束縛から抜けた傑の左腕は、考えるよりも先に振り上げられ、悪鬼の顔面を殴りつけた。
「……あ。」(ヤベ、女の人、殴っちゃった。)
行動に思考が追いついていない傑の頭は、のんきにそんな事を思った。けれどそれが起死回生のチャンスだと理解していた。そのまま全力で悪鬼を殴りつける。
傑だけではない。手が離れ、殴られた事により傑から体が少し離れた悪鬼に、銃弾が打ち込まれる。
「イギギ……ギ、ギギギギギギィッ!!」
目を向けると、傑より少し低い位置から院瀬見が拳銃を撃っている。
……は??
傑の思考が止まった。院瀬見が何もない(ようにしか見えない)壁をボルダリングのように登っていて、なおかつ、片手を離して発砲している。
え?何この人??
やっぱ、人間じゃないの??
頭の中がまた宇宙になったが、色々叩き込まれすぎた体はそれでも悪鬼を殴り続けていた。十分、傑も狂っていたが、やはりその上を行くものがいると自分の異常性には気づけないものである。
「……ガッガガガガガァッ!!」
悪鬼は怒髪の叫びを上げ、とうとう傑から体を離した。そして院瀬見のように……いや、蜘蛛のように壁に貼り付いた。
「……院瀬見……。」
「申し訳ございません。私の油断が招いた事。お許し下さい。」
「いや、いいんだけど……それ、どうなってんの?!」
傑は何故、院瀬見が何もない壁に余裕でくっついているのかを聞いたつもりだった。だが院瀬見は悪鬼の状況を聞かれたのだと思い、答える。
「トドメをさすところで、脱皮されました。」
「脱皮……。」
「迂闊でした。蟲の混ざったものだとわかっていたのに、申し訳ございません。」
「いや、それはいいんだけど……?お前、どうやって、壁を登ってる訳?!」
そう言われ、院瀬見は「何言ってんだこいつ?」という顔で傑を見た。
しかし悪鬼がサカサカと壁を這って向かってきたので発砲を始める。傑もすぐ動いたが、手にしていたサブマシンガンは、完全に悪鬼に噛まれて歪んでしまっていた。仕方なくそれを捨て、拳銃をホルスターから抜いて撃ち始める。撃ちながら、そういえば宙ぶらりんだったと思いだした。
そうしているうちに、院瀬見が壁伝いに悪鬼に向かっていき、ナイフで斬りつけた。飛び跳ねて後退する悪鬼。
傑はもう完全に意味不明だった。
院瀬見は、壁に垂直に立っていた。その重力を無視した体勢に、傑の頭は混乱し、どこが上でどこが下なのだろうと思った。
「…………あ?!糸?!」
しかしその答えらしきものを見つけた。よくよく見ると、院瀬見は足に、椿たちが出している「糸」を引っ掛けている。どうやら院瀬見は椿たちの糸を使って壁を登ったり、移動したりしているようだ。
壁に垂直に立ったのは……。おそらく体幹と筋力にモノを言わせて成せる技なのだと思う……。
何このジジイ……。
やっぱどっかおかしいよ!この人!!
理屈がわかっても、院瀬見が変人だと言う事には変わりない。傑はバケモノを見るように院瀬見を遠巻きに見ていた。
「ギ、ギギギギギギィ……ッ!!」
悪鬼が苛立たしげに歯軋りした。そしてバキバキバキッと音を立て、その背中から羽を生やす。
「うわ~、マジか~。」
宙ぶらりんの傑は棒読みでそう呟いた。もう、何でもありすぎて、現実味がない。
しかも羽を生やした悪鬼に、院瀬見という変人……いや超人が、すぐ様、壁を駆け抜けて向かっていくのだから、傑は何かアニメか超能力的なハリウッド映画を見ている気分になっていた。
壁に垂直に走った院瀬見のナイフが空を斬る。間一髪で悪鬼は羽を羽ばたかせ宙に浮いた。
「チッ!!」
院瀬見の舌打ちが聞こえる。
ブブブブブッという羽音。そして悪鬼は空を飛びながら真っ直ぐ傑に向かってくる。
「え?!何で俺?!」
傑は焦った。そして考える。
この羽音……蝿?!
蝿……ハエだとしたら……。傑は腰の辺りに手を回し、何かを手に取った。迷う事なくピンを抜く。
「!!」
ブワッと吹き出した、煙幕。それが悪鬼に直撃しすぐに距離をとられる。苦しげに咽る悪鬼を見て、傑ははぁと安堵の息を吐いた。
やはり虫には煙が効く。
効くというか、苦手なのだ。
昆虫には肺がなく、身体中に張り巡らされた気管によって呼吸している。空気は体表面の開口部、気門から取り込んでいる為、煙に弱いのだ。(確かそうだった気がする)
傑の手にしている発煙弾は手榴弾の一種で、手榴弾なので本来は手に持って使うものじゃない。だがあの状況で一番効果があると思われたので使ったのだが……。
「……エホッ……げほげほげほ……ッ!!」
傑自身もただではすまない。周囲を煙に囲まれ、咽まくる。
何にも見えん……。
傑は仕方なく、マップを少し大きくして現状を確認した。
現状、傑は四階の窓前に、ロープで宙ぶらりんになっている。その周りを悪鬼が飛び回っていて、それを院瀬見が銃で撃っているのだが、ハエというのはかなり目の優れた生き物だ。人間の動きなど、止まって見えると聞く。実際そのようで、院瀬見が行動を読みながら撃っているにも関わらず、一発も当たる事なく傑の周りを飛び回っている。おかげで物凄くうるさい。蝿って何であんなに羽音がうるさいんだろうなぁと思う。
とにかくだ。傑はこの、宙ぶらりんの状況を何とかしたい。このままでは心もとなくて、応戦しようにもできない。院瀬見が壁をどうやって登っているかわかったとはいえ、同じ事が傑にできるかといえば、できない。
ならば室内に入るしかない。グルッと向きを変え、傑は四階の小窓を見る。勢いがないので突き破るのは難しいが、何度か蹴ればどうにかできるかもしれない。傑はロープを少し登り、体勢を整えると窓枠を蹴り始めた。
その瞬間。
「アアアァァァッッ!!」
物凄い叫びが聞こえた。その声は衝撃波のように傑を貫いた。
悪鬼が叫んでいる。
そうだ……。
悪鬼は「呪詛の本体」を守っている……。だから四階に入ろうとする者に対して、気狂いじみた反応を見せるのだ。
さっきだって、傑が四階に入ろうとしていたから、凪の羽根の力でその身が焼かれようと、絶対に傑を離さなかった。
煙幕の中、傑はハッとマップを見た。そしてその力によって悪鬼が何をしたか、見えてしまった。
「……え……っ?!」
ふっと、一瞬、体が宙に浮いた。
そして軽くなった分、次の瞬間には強い重力を体に感じた。そのまま、重力によって引っ張られる。
「うわああぁぁぁっ!!」
そう、落ちていた。
傑は自分を支えるものを失い、真っ逆さまに地面に向かって落ちていた。悪鬼が傑がぶら下がるロープを切断したのだ。
「傑様!!」
悪鬼を追っていた院瀬見が叫ぶ。傑はどうする事もできずに落ちていく。
あ、ヤベ……死ぬかも……。
訓練と違って、下に何か敷いてある訳じゃない。ここで向きを変えたりなどしてもどうにもならない。
時間的にも最悪の自体を避ける為に、守るべきところを最低限守る体勢になる事しかできない。
あ〜、せっかく得意性にも目覚めたのになぁ〜。
傑は地面に到達するまでの短い時間、そんな事を考えていた。
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(蚤の心臓なので「創作大賞感想」はご遠慮頂けますと幸いです。(noteの御感想に強いトラウマがありまして……))
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