わたしがやらかすようになった訳

私の実家は裕福だった。大手のサラリーマンの父と社会活動に関心のある専業主婦の母、姉と私が家族構成だ。
両親は父母とも高学歴で、どちらもいわゆる旧帝大の出身だった。そして、母は学歴があるのに社会に貢献できずに、妻として母として家におさまる生活に鬱屈しているようだった。
両親はたびたび私たちの前で喧嘩をした。幼い私たちが泣いても縋っても喧嘩は終わらない。そのうち私は自分が家庭内で「少しのろまだけれど、心根が優しいオトボケな子供」になることで家庭内が和むことに気づいた。
昔から察しの悪い子供だったが、そこに気付いてから私がのろまでオトボケな言動をマスターするには時間がかからなかった。子供ながらに自分の家庭内におけるニーズを把握したのだった。ときには幼稚園や小学校で両親が怒らない程度の忘れ物をしてみせ、隣の子に快く貸してもらったと言うエピソードも抜け目なく実践した。ワタシがとぼけりゃ家は平穏。そう、これは私なりの「家族サービス」に他ならなかった。

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