プチ不登校

230911
高校生の頃、1年に2、3回くらい必ず休むようにしていた。体調に関わらず、だ。
そろそろ1回休んどくか、と思うと、前日の晩に「明日は休むから起こさなくて良いよ」と母に伝えていた。何かの比喩でもなんでもなく、本当に翌日は登校しなかった。
1年生の時こそ母は驚いて体調についてあれこれ尋ねていたが、3年目にもなると「あぁはいはい、そんな時期ね」と慣れた返事が返ってきたものだった。
今振り返れば寛大な御心だったと思う。
もちろんそれまでのパターンからして、次の日にはまた勝手に登校するだろうという、ある種の安心感から私の行動を許してくれていたのだが、それでも母という立場からすれば勇気のいるジャッジだったと思う。
当時の私はなぜ自分がそんな行動を取るのか、わかっているようでわかっていなかった。ただ何となく疲れたな、ということは自覚していたが、何に疲れているのか、この行動は一体何なのか、よくわかっていなかった。

今だからわかるが、私は「私」に疲れていたのだと思う。真面目で成績優秀、大人しめだけど大事なところでは意見を言ってみんなをまとめてくれる。気づけば背負っていた「私」という殻を、背負い疲れた時に休んでいたのだ。
本来の私は激情家で口も悪い。延々と続くホームルームが最も苦痛で、クラスメートを小学生でも眺めるような目で見ていたと思う。周囲が評価してくれた私の一言は、最大限までオブラートに包んだ私なりの侮蔑と嘲笑だった。
そんな私を表に出すわけにはいくまいと自然に被っていた殻は、強固に私を守ってくれていた。幸いいじめの標的にもならず、友人や教師からも一目置かれ、通知表も上々だった。

でも、疲れる。
殻には感謝していたが、そりゃ、背負い続けるのは疲れるのだ。
あれはそんな生活に疲れた私の、小さな抵抗
、プチ不登校だった。
髪を染めたり、ピアスを開けたりできなかった小心者の私ができた、精一杯の抵抗。
プチ不登校。
母よ、私の不登校を静かに見守ってくれてありがとう。
おかげさまで、今は有給休暇という大人のプチ不登校を使いながら、仕事をしています。

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