「ロスコって写実的だったんだ…」 パリ・ルイ・ヴィトン美術館のマーク・ロスコ展に行ってきた
パリのルイ・ヴィトン財団の美術館で開催中の「ロスコ展」に行きました。
昨年の10月からスタートしたこの展覧会は、大人気でいつも混んでいるそう。でも私が訪れたのは、会期も終わりに近付いた3月の初め頃。「さすがにもう空いてるだろう」と思いましたが、噂通りの混み具合でした。ロスコの人気の高さを感じます。
実際に展覧会に行ってみての率直な感想は、見終わったばかりにもかかわらず「ああ、もう一度見に行きたい!」でした。本当に良かった。きっと、会期中に何度も訪れている方も多いのでしょう。115点に及ぶ彼の作品を一度に見ることができる、またとないチャンスなのです。
展覧会は、ロスコの初期の具象作品から始まり、よく知られているツートンカラーの抽象画まで、順を追って展示されていました。
「シーンを色で記憶する」
色でシンプルに表現されているロスコの作品を眺めていると、平面のキャンバスに突然奥行きが見え、空間が広がり始めました。そして、それぞれの絵に、景色が浮かび上がってきたのです。
その時ふと、「あ!ロスコって、写実的表現者だったんだ」と気づきました。
たとえば、夕闇に沈むほのかな光。
窓越しの影と光。
部屋の窓から見た光景。
真っ赤に燃える花畑。
台風の静けさ。
夜の海。
なんと鮮やかに、景色を見せてくれるのでしょう。
「彼は情景を色で記憶しているのかもしれない…」
作品を鑑賞しているうちに、そんな思いは確信へと変わりました。
ロスコがキャンバス上で作り出す色が、私の記憶の中にある色と合致し、景色が浮かび上がってくるのです。それはそれは写実的な景色が、ありありと。
そして、その景色に付随されているセンチメンタルな感情が、作品を見ながら自分の中でムクムク膨らんで、ぼやけている光景に、鮮やかな色が加わるのです。
「なんと絵の具の塗りが薄いのだろう…」
ロスコの作品を見ていて驚いたのは、絵の具の塗りが非常に薄いことです。キャンバスに絵の具の厚みが感じられません。
だからでしょうか。
より一層、作品が物ではなく風景の一部として、そこに存在しているように錯覚させられるのです。
「一体どうやって…。こんなに薄く、この深い色を生み出しているのだろう…」
私は常々、この地球や自然の美しさをどのように伝えれば良いのかと、悩んでいます。そんな私の思いを、ロスコの作品は代弁して見せてくれました。
ロスコの作り出す深い色は、私自身が表現したくてもできない色。出したい色。鳥肌が立ちました。
そして同時に、希望も感じました。
「表現することは…可能なんだ!」
ロスコの色の深みは、115枚の本物の作品を一堂に見ないと気付かなかったかもしれません。実際に触れる体験が、感性を豊かにし、センスを磨くのだと改めて思いました。
「良いものにたくさん触れなさい、アートでも食器でも洋服でも、なんでも」と、10代の時に尊敬していた方に言われた座右の銘が蘇りました。
ストーリーのある115点の厳選された作品
ロスコの作品を最後に見たのは、ニューヨークです。その時は、大きな壁面に1枚だけ飾られていました。もちろんそれも素晴らしかったのですが。今回のように、年代を追って115点もの作品に触れると、ロスコの生き様が浮かび上がってきます。
展覧会のために厳選された作品には、ストーリーがありました。そのおかげで、ロスコが放つエネルギーをしっかりと受け取ることができたのです。
そして、会場の展示が本当にお上手で…。空間の使い方や、作品を飾る高さなど。すごいセンスだな。
すべて見終わったあとに、改めて最初から見返すと、ロスコの初期の作品に、のちの抽象画の片鱗を感じました。まるで、若い時のロスコと、自分のスタイルを生み出した往年のロスコが私の中に同居するような不思議な気持ちに。
私は今回の展覧会で、巨匠ロスコに、クリエティビティを大いに刺激されました。
私も自分が見た世界を表現したい。表現できるようになりたい。表現者として、自分の人生に果敢に挑んでいきたい。畏れ多くも、この偉大な芸術家の後に、敬意を持って続いていきたいと思ったのです。
上記の美術館公式WEBサイトから、日時指定でチケットをオンライン購入できます。予約をしていても長蛇の列に並ぶこともありますが、行く日時が決まっている場合には、事前にオンライン購入しておいたほうが効率が良いです。ちなみに私が行った時は、オンライン分はすでに売り切れだったので、直接窓口に並びました。
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