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[2021バイヨンヌでサマースクール⑥]学校終了&学生寮退去の日
7月に入り、バイヨンヌでの3週間のフランス語のサマースクールが終わる数日前。
クラスの話題は 『学校が終わったら何をする?』でした。
バスクに暮らしているクラスメイト達は、夏のバカンスのことで頭がいっぱい♬
「ねえ、ゆきはバカンスどこ行くの?」
と聞かれたけれど、私の今年のバカンスは、今いるこのバイヨンヌ。
このあとはパリに戻る予定でした。
「でも、あと1週間学生寮に住めるから、その間にバスク地方で部屋を探してみようかな。住みたくなちゃった」
私は長年海辺に住みたいという夢があったのと同時に、コロナ禍で、都市部パリに住む意味を見出せないでいました。
そして、今ここで、私のやりたいことリスト上位の「海辺に暮らす」夢を叶える時ではないかとも思っていました。
実は勉強と並行しながら、どうやってバスク地方で部屋を探すかをリサーチをしていたのですが、この地で部屋を探すのはフランス人にとって、とても難しいことだと知りました。
バス停で会った人は、もう3ヶ月も部屋を探しているとのこと。
八百屋さんのレジの従兄弟は、もう半年も探していて、
海辺のベンチで隣に座ったフランス人ご夫婦は「リヨンからバスクに引っ越したいけど、高くて無理だ」とか。
この地で部屋探しが難しい理由は、
まず第一に、一軒家が多く、そもそも貸しアパートが少ないこと。
そしてその数少ない貸しアパートのオーナーは、9月から6月までを学生に貸し、夏の7、8月はバカンス客に高額で貸すのが定番。夏の間、学生は部屋を退去しなければならないそうです。
実際、部屋の募集は「9月から6月までの10ヶ月を通して借りてくれる大学生希望」という物件ばかりでした。
そんな矢先、学生寮のオフィスから電話がきました。
「ボンジュール!退去日の予約がまだのようですが」
「予約?」
「はい。部屋の備品チェックが必要なので予約が必要なんです」
「あ、そうなんですね。では1週間後の〇〇日でお願いします」
「いえ、ゆきさんの退去日は明後日ですよ」
「え?明後日!?でも予約の時に、4週間単位でしか貸し出しできないと言われたので、あと1週間住めるはずなのですが」
「ああ〜、そうなんです。わかりづらいですよね。4週間というのはシステム上そのように申し込みをしないといけないんですけど、実際滞在できるのは授業の間の3週間だけなんです。なので明後日に退去をお願いします」
いやいや、そんなこと、事前に説明してくれないと誰もわからないでしょう。。。(怒)
「マダム、急に言われても、明後日に退去は無理です。電車の予約もしてないし。。。」
とできるだけ哀しそうに言うと、「じゃあ今回だけ特別に」と言って、退去日を3日延ばしてくれました。
もうー、突然やめてーーー、フランスーーー!!!
次の日学校で、ことの次第をブチギレて話していると、
みんなびっくりして同情した目で私を見ます。
先生が「ゆき、それはかわいそうに・・・」と言いつつ、
「でも君、今、ものすごく完璧なフランス語で弾丸トークしてることに気付いてる?すごいよ」と。
「はい。だって怒ってるから」
「そういう感情もたまには必要なんだね」と先生。
そう、私は英語を勉強している時もそうだった。
あれは1999年、オーストラリアのシドニーで。
オーストラリア人のシェアメイトが私の買ってくる食べ物を全部勝手に食べる日々。
ある暑い日、大きなオレンジジュースを一生懸命担いで帰ってきて、冷蔵庫に入れ、部屋で着替えてキッチンに戻ったら、全部飲まれていたことも。
ついにブチギレて、母に電話をし、
「なんでもいいから英語の“ケンカ言葉集”を送って欲しい」とお願いしたら、
速達で「とっさのひとこと辞典」が到着。
めちゃくちゃ真剣に暗記したのを覚えている。。。笑
今では笑い話。
でもその時に、海外で生きていく仕様に性格も強くなったと確信しています。
うん。怒りも使いようによってはポジティブなエネルギーになる。
すると黙って聞いていたクラスメイトが、
「ゆき、わかった。大丈夫よ。安心して。うちにいらっしゃい!」
と言ってくれたのです。
(つづく)
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