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私の上昇志向を作るのは

こんにちは、いつも読んでいただきありがとうございます。
少しずつnoteを書いては消して、何回見直しても表現がしっくり決まらず、自分の文章力のなさを痛感しているこの頃。
ううう、書き続けること、くじけそう。
始めたときは、書きたい思いがそれなりにあって、あれこれと書いてみたりした。自分の考えていることを、熱量を調整しながら書くことは、難しい。
話すときは、声の強さとかイントネーションや間の取り方で感情が伝わっていたんだなと、再認識する。

上手く書けるようになりたい!
自分の思いが伝わるような記事を書きたい!
もっと認められたい!

私は結構、認めてほしい気持ちが強い。プライドが高いと言ってもいい。指導されるよりする指導者側に憧れるし、負けたくない意識が強い。わからない事を他人に知られるのが恥ずかしいし、誰よりも優位に立ちたい。分かりやすく言うと「すごいね!」と言われたいし、思われたいのだ。言葉にすると、かなり嫌な奴!!

でも、このプライドの高さのおかげで、学業もスポーツもそれなりに頑張ってきたのだとはっきり言える。地元でそれなりの進学校に進学して、国公立の短大に入って、国家試験に合格し、今、医療現場で働いているのは、昔の私が高いプライドを捨てなかったおかげだ。
嫌な奴だけど、このプライドの高さで今の私を作りあげてきたことを認めて、自分の生き方を肯定することにしている。

「誰にも負けたくない!一番になりたい!」という考え方は、人類全てが持ち合わせているものだと私は思っていたが、そうではないとはっきり気づいたのは子育てをしてからだ。
我が家の三人の子供は、誰よりも上に行ってやろうなんて思う子が誰一人いなかった。成績が悪くても「大丈夫。ぼくより下の人、5人もいるよ。」と明るくポジティブに話す。部活のレギュラーになれなくても「あたしが選ばれないほうが勝てるからいいの」とさらっと口にする。成績が悪くて恥ずかしい、とか、努力が足りないと周りから思われたくない、などと思うことは彼らには皆無。つまり、このままでいいんだ、という自己肯定感が高い。

一方、「負けたくない」イコール「認められたい」の私。
私のこの思考を作ったのではないかと思われる人が、一人思い当たる。
15年前に亡くなった祖母である。祖母とは同居していて、彼女は畑仕事をしながら共働きの両親に代わって育てようと、なにかと私に厳しかった。厳しい上に、褒めないのである。認めないと言ってもいいかもしれない。
運動ができても「運動ばり(ばかり)できても勉強できねとだめだ」と言い、学校の成績が上位に上がっても「成績よくてもお茶の入れ方もわからねのだめ」と言う人だった。自分にも厳しく、贅沢はせずに物を増やさず、あるもので質素に生きることも実践していて、孫に新しいおもちゃを買うことはない。食事のほとんどを自給自足で賄おうしていたので、食事を残そうものなら強く叱られたし、食べる姿勢が悪いと、背中に棒を差し込まれ窮屈な思いをした記憶もある。さらに、時代に逆行するように、小学生の時に運針(裁縫で針をスムーズに動かす動作)を毎日させ、鉛筆をナイフで削ることも彼女は「勉強には必要だから」と厳しく教えた。教え方もスパルタで、私はしょっちゅう泣いていた。4つ下の弟には、まったくそんなことしなかったのに…。

彼女の昔話で、自分は学校で一番だったが、女だから進学できず嫁に出されて苦労した、と何度も聞かされた。実際、6人の子供を育てたが、夫(私の祖父)は足が悪くて働けないくせに女癖が悪くて、親戚からは援助もなかったらしい。きっと毎日「くそが!」と思いながら働いて、生活を支えながら子供を育て上げたのだろうから、強気な性格になると思う。
おそらく、彼女としては、恵まれた時代の中で生きる孫娘に、もっと努力して、自分の果たせなかった自立した女性になって欲しい思いがあったのかもしれない。

私は祖母に褒められたかったのだろうか?
実は祖母は私をしっかり認めていることをどこかで伝えていたのではないか?
厳しく育てられたが、嫌いな感情や恨む気持ちが全くないのは、ちゃんと祖母の想いの根底に私への愛情があって、言葉ではない何かで「認めている」ことを感じ取っていたのだろう。
それでもやっぱり直接褒めてほしかった。頑張っていることをわかっていると、言葉にしてくれたらとてもうれしかったのに。

祖母の願い通りの女性になったかは疑問だが、万が一、旦那が突然亡くなっても、生活できる職業婦人になれたからいいだろうと、自分で褒めておこう。
彼女が天から覗いて「掃除もでぎねで(できないで)…手抜きの料理ばり出して…物を大事に使わねで…何が職業婦人だべ」と眉をひそめる顔が目に浮かぶ。

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