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自立を妨げてる?

皆さん、体調崩してないですか?

我が家は、子供が熱を出したのをきっかけに、感染症が猛威をふるいまして。
世の中、新型コロナウイルス第10波、新しい変異株が広がると報道される中、高校生の息子はマスクせずにクラスメイトと仲良く遊んでいたようで、後に聞くと彼の仲間がみんなコロナウイルスに感染したそうな。
我が家では専門学校生の長男にも飛び火。私は濃厚接触者となり仕事を休んでいた。二人は自室で隔離となり、私が食事を運んだり消毒したり世話をすることになり、感染力の強いウイルス、いつ感染してもおかしくないな、とは思っていた。息子二人は咳があるものの、学校にも行けそうだと隔離を解除しようとした6日目、私に声ガレが出現し、簡易検査キットで調べると陽性と判明した。
仕事にさらに穴を空けるのは心苦しかったが、施設のじいばあ達に接触せずにすんだことのほうが、安心した。スタッフに陽性者が出ると、スタッフが誰と接触したか、同じ送迎車、入浴の配置、トイレ誘導の有無、全てチェックして、その中に入ってしまったじいばあ達が一週間、重要監視リスト対象者になってしまう。働くスタッフの負担も増える。コロナウイルスが出てきてから、もう何年もこれが続いている。
とにかく、仕事への影響は最小限に抑えることができた。

子供の世話は問題なかった。長男と長女が専門学校生、次男が高校生なので、自分のことを管理できる年齢であったのはとてもよかった。ラインでやり取りもできたし、旦那は駅までの送迎だけ気にすればいいのだから。

私が一番心配していたのは、私が隔離されたことで、家のこと、いわゆる家事がどうなるか、である。
我が家は旦那も同業者なので、私がコロナ感染したとなれば、濃厚接触者で出勤停止になる。勤務の変更が続いてイライラしていたこともあって初日は冷たい態度だ。私の症状は熱もなく、喉の痛みと声ガレ、倦怠感ぐらいであったので自室に籠って寝てればいいのだ。顔も合わせないから、夫の態度は気にならない状態である。
私がコロナ陽性になったのが金曜日。土曜、日曜と家にいる子供にも3食ちゃんとしたものを食べさせようと旦那は頑張っていた。みそ汁の具は五種類以上入っていたし、炊き込みごはんを作ったときもあった。ある晩ごはんには、おかずが野菜炒め、麻婆豆腐、フライドチキン。デザートにプリンと山盛り出てきて、彼の必死さが
恐ろしくもあった。寝ていても、食事の1時間前にはレンジの音や何かを包丁で切っている音が聞こえてくると、慌ただしく動く彼が見えるようだった。全員が入浴した22時過ぎ、大量の5人分の洗濯ものを風呂の残り湯で洗っているようだし。息切れしないといいな、と思っていた。誰でも2日くらいは勢いでやるけど、すぐに電池切れ起こすんじゃないか、と予想していた。

案の定、日曜の夜にムスメからラインで「お父さん機嫌が悪いみたい」と連絡が。3日で食事のレパートリーがなくなった上に、明日から平日。子供3人はまだ、学生である。そう、お弁当作り、である。私が苦手なお弁当に彼が立ち向かうときが来たのである。ついこの間、「できると思うんだよなー、やってくれないかなー」とnoteで愚痴っていたことが、私が口にせずとも実現するかもしれないと、顔がニヤニヤした。しかし、ムスメからは「私が3人分作ってみる。お父さん、あーだこーだ言うから」との返信が。旦那が、弁当は女の子が作らないと!など変なことを言ったか疑ったが、そういう訳ではなく、ムスメは最近1ヶ月限定の独り暮らしをして自炊に自信を付けたばかりだったので、純粋にできることをやろうと思ったようだった。私も、自立の一つと尊重してそこは任せた。冷凍食品たくさん使っていいよ!とハードルを下げて。
月曜日の朝5時過ぎにムスメの部屋のドアが開く音がした。ああ、この時間に起きたら大丈夫、と私はまた寝てしまった。特に、どうしたらいい?あれはどこ?ともラインはなく、知らない間に子供たち3人は登校していた。
この日から旦那のご飯も簡単なものに変わった。コーヒーにパン2枚とか、温めてないご飯の上にめかぶと前日の残りの焼き魚が半分とか。せめて病人には温かいものを提供してほしいなぁ…と苦笑い。
さて、初日のお弁当作りについてムスメに聞くと「お父さんなんだか言ってたけど、おかずを作り置きしてくれて助かった」と。卵焼きも旦那が作ったらしい。やっぱりできるんじゃないかーい。

私が隔離している間、下の息子の誕生日もあった。いつもなら私がケーキを予約しておくのだが、子供たちのコロナ感染のバタバタからすっかり頭から抜けていた。誕生日当日の午前、はっと気づいた。ヤバい。高校生で照れ臭い年頃とはいえ、ごはんは普通でもいいが、ケーキがないのは絶対寂しい。そして旦那が息子の誕生日を自力で思い出す確率はほぼゼロ。ここは全て私が指示を出すしかないと、ケーキ屋と買ってきてほしいケーキの名前まで指定した。「どこでも何でもいい」は決めることが多すぎて、すぐに腰を上げる確率が低い気がした。私へのラインに「おっけい」とだけ返事をして、30分しないうちに出掛けた音が聞こえた時はガッツポーズした。夜に出てきたケーキを遠目から見ると、指定したケーキではなかったが、嬉しそうな息子の顔と饒舌な旦那の様子を見て、安心した。そういえば、子供の誕生日に旦那が何かを用意することはここ数年なかった。結果的に旦那が誕生会を主催した形になったことで、この日は家族意識が強くなった気がした。

私が世話をしなくなったことで、もう一つ。下の息子が自分で起きるようになった。目覚まし時計何個あっても足りない人が…。
私自身はそんなに世話を焼いたつもりはないのだが、実は自立のきっかけを作ってなかっただけかもしれない。

私が隔離の間に意識したのは、病人らしくすることと、他の家族の家事のやり方にも一切口出ししなかったこと。洗濯の干し方を見て思うことは多々あったが、なにも言わなかった。猫のトイレ掃除が雑なことも目をつむった。息子に早く起きるように言わず、それほど具合悪くないのにずっと6日間寝ていただけ。
母親稼業を堂々と休むことは、頭で考えていたより、簡単なことだった。なんか、余計なことを考えず、シンプルに全部家族に任せたほうが、うまくいくこともあるんだなと発見した。

今年、就職活動する長男と長女、進路決定迫る次男。実は、我が家での5人暮らしもあと1年しかない。地元を離れて独り暮らしすると、長男と長女は言っている。
荒療治ではあったが、ちょうどいいきっかけをコロナ感染がもたらした感じだ。
みんなで協力して作ったお弁当、ケーキを用意した旦那、自分で起きる息子、口出しを減らした私。家族全員が、親離れ、子離れ、妻離れを初めて意識したかもしれない。

私は、今日、コロナ隔離から解放。どうしたらいいか。
とりあえず、みんなを労うことになるであろう。頑張ってくれたことに素直に感謝すること。我が家コーポレーションは、万が一私がいなくても安泰だ!と演説してもいいかもしれない。美味しい晩ごはんを準備しよう。
母の有り難みがわかったかと、直接聞きたい気もするけど、そこはぐっと堪えようと思う。

そして、我が家コーポレーション解散まで残り1年。
5人5色の自立の道のりができるように、口出し少なく、私も子離れできるように意識しようと思う。そして、旦那への感謝の気持ちもちょっとマシマシで過ごせたら、我が家コーポレーションが二人体制になっても分裂せずにすむかもしれない。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
皆さんは体調崩さないよう、お気をつけください。

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