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「男社会で闘う女子」からの卒業【魅力覚醒講座編】

私は大学進学の頃から、
男性が多い環境にいることが格段に増え。
気付いたら、「男社会で闘う女子」
なっていた。

そんな私が、今では、仮とはいえ、
愛され妻/ママ💗一家の大黒柱】
という、昔の自分なら悶絶間違いなしな
キャッチコピーを自分に付けている。

この自分でもビックリ仰天な変化は、
ここ数年学んでいるポジティブ心理学と、
小田桐あさぎさんの長期講座である
【魅力覚醒講座】のお陰。

特に後者の影響が大きいと思ってる。

この記事では、
私が「男社会で闘う女子」になった背景。
そして、
【愛され妻/ママ💗一家の大黒柱】
自ら名乗るまでに至った経緯を、
私の社会人生活を辿りながら、書いていく。

昔の私のように、
男社会で闘ってる女子の参考になりますように💖


「男社会で闘う女子」の誕生!!


私は、女子校だとか、
大勢の女性しかいない世界に、
長い期間、身を置いた事がない。

学校は常に共学だったし、
大学時代は経済学部で。
数学受験で入ったから、
クラスの男女比は5:1とか。

就職は銀行の法人部門。
これまた、新卒の男女比は
ざっくり4:1ぐらい。

そして、配属された法人営業部隊での
男女比は10:1とか?もはや分からない。

なにより、いわゆる事務職の方々(女性)が
ほぼほぼ派遣の方々なことが衝撃だった。

話を戻して。

こんな感じで、元々、
ザ・女性社会に縁がなかった私。

それどころか、女性社会に対して、
恐怖すら感じていた。

女子の世界って、怖い、、、
怖すぎる、、、

というのも、
女子校に進学した友達の話を
ちょくちょく聞いてたから。

脱線するが、紹介しよう。
私が女子世界に怖れを感じた
2大エピソード。

  1.  暑い夏の日は、スカートバサバサ。パンツ見えてようが、お構いなし。 → 女、捨て過ぎ。節度ってもんが、、、

  2. 騎馬戦は髪の引っ張り合い。毛束が地面に落ちてた。顔の引っ掻き傷は可愛いもん。→ こ、ことばが出ないっす、、、

こんなエピソードを聞いて、
女子の世界に居たこともないのに、
とにかくその世界が怖くて。
近寄りたくなかった。

女子校には行かせない、という
親の方針には心底、感謝した。

そして、社会人になる際、
迷わず、男社会に居ようとした。

エントリーした先は、
銀行、保険、商社、重工、IT。
すべて、法人営業、総合職。
そして、幸いにも内定を頂けた。

こうして、大学生の頃から、
メンズの方が多い環境に身を置き始め。

さらには女性行員が少ない、
銀行の法人部門という男社会に入って。

真っ先に分かったこと。
それは、、、

女性ってだけで、
優しくしてもらいやすい日本社会、
チヤホヤされやすい男性社会は
居心地がめっちゃ良い😍😍

 なお、この辺りについては、
 こちらの記事でも書いてるので、
 良かったら読んでみてください。


けどね。社会人になり、
私はめちゃくちゃ苦しくなった。

男社会で、総合職として採用され。
仕事の結果は、男性並みに求められる。
そして、飲み会では
“〇〇さん(私)、お酒注いでー!”
“女性に注がれるお酒は美味しい🤩🤩”
などと、言われ。

せっせと笑顔で注ぐ一方で。

私はキャバ嬢か!
給料出せ、コンニャロー!

と心の中で怒ってた。

当時は”セクハラ”って概念がなかったし、
同じ法人営業部の女性たちで、
相談した方々はみんな割り切ってて。
なんなら、楽しんでそうな人すらいた。

けど、私は苦しかった。

仕事では男性と同様に
長時間労働を求められる。

飲み会の席では、
女性であることを求められる。

二重に求められてる気がして。
こんな目に遭うなら、

男性として生まれたかった
とすら思った。

拍車をかけたのは、
ある時、違うチームの方から、
”〇〇さん(執行役員)のお気に入りだから、
声掛けにくかったんだよね”と言われた事。

さらに、兼務人事が発動した際に、
数回しか話した事のない、
男性同期から“モテモテだね”と
メールが来た事。

どちらも、言った当人たちに
他意はなかった、今はそう思える
けど、当時はそう思えなかった。

私が女性だから言われる、
男性だったら言われない。
そう思ってた。

だから、とにかく会社では
男レベルに働く。
セクハラも気にしない!
自分、男なんで🫡な気持ちで
受け流してやる!


こうして、
「男社会で闘う女子」たっちーが誕生した。


「闘う女子」ドクターストップで休職に


男社会で闘う女子生活は、
なかなかに大変だった。

というのも、私はやっぱり女子だから。
身体はもちろん、マインドも女子だったから。

化粧とかしないし、スキンケアも無頓着。
なので、あまり女子女子してないと、
思ってたけど。やはり女子だったのだ。

ラブリーな服には興味無かったけど、
いかにもシゴデキな女性が来てそうな
ステキな服を着たかったし。

パソコンに向かう事が多かったから、
テンションを上げるためにも、
毎月のようにネイルサロンに通ってた。

そして、ネイルサロン後は、
必ず彼氏に新しいネイルの写真を送付。
可愛いでしょ😍😍のメッセージ付きで。

さらに披露してしまうと。
ある時から、ラデュレのマカロンが
月一の楽しみになった。

ちなみに、私が初めてラデュレ、
そしてラデュレのマカロンを知った時。私は、
こんな小っぽけなモノが250円+税、、、
舐めとんのか!
可愛けりゃいい、オッケー👌じゃないんだよ!
見た目より、量なんだよ!
と思ってた。な、なのに、、、

これぞ、
!!ザ・敗北!!
見事な敗北でしたよ。ええ。

でも、当時はルンルンだった。
もはや頭のネジが外れ始めてたんだろうね。

ちょっとした、ささやかな幸せのために、
身を粉にして働く!私、サイコー!
って、真剣に思ってたほど。

そんなルンルン生活だったのに、
ある日、産業医に呼び出された。

理由は、残業時間。
その注意で終わるはずが、
直近の健康診断結果が気になると言われ。

そこから、あれよあれよという間に、
私は総合病院で検査を受けることに。

そして浮上したのが、
膠原病。

幸い、案件の合間で残業が減ったからか、
結果が改善し。注意で済んだけど。
危うく生体検査まで行きかけ。

検査代は全て自己負担という現実に、
私は絶望した。

私、何のために頑張ってたんだろ?
初めて仕事を頑張る意味が分からなくなった。

追い討ちをかけたのは、結婚報告の際の、
大好きな上司の一言。

「仕事は続けるの?」

衝撃すぎて、どう答えたか、
思い出せないほど。

ただ、この時に、
営業というフロントから退きたい。
人事だとか内部の仕事をしたい。
そう言ったことだけは覚えてる。

その後、私の願いは半分叶った。
営業本部への異動が出たのだ。

そうして、いわゆる前線、
エンジン部隊からは退けたものの、
ここから更なる試練が訪れた。

新しい上司が、 
私にお茶汲みやコピーをお願いして来たのだ。

え、あの人(男性)の方が
パントリーにもコピー機にも近いけど、、、?
なぜに私、、、?
と戸惑いつつも、こなした。

この頃ぐらいから、
私は何時であろうと、
何をしていようと、
とにかく眠くなった。

そして、ある日、腹痛に襲われた。
もともと胃腸は弱かったけど、違う痛み。

その日は水曜で。早退した。
眠気も酷かったから、たっぷり寝た。

翌日になっても、
腹痛も眠気も取れない。

金曜も。翌週も。
この間、ずっと休んでた。

そして、週末に親戚の結婚式に参列。
暖かな披露宴で元気をもらえ、
月曜からは出社する!と決めて寝た。

そして、月曜日。
起きて、準備するぞ!と
思った瞬間、涙が流れ出た。

その日のうちに、心療内科に行って、
診断が降りた。

躁鬱だった。

すぐさま、ドクターストップとなり、
その日から休職。

そして、それから約1年半後、
私は夫の留学で復帰することなく、退職した。

「闘う女子」からの脱却


時は飛んで、数年後。
私はアメリカで、
アメリカの銀行の、
法人営業部に就職。

メインの営業職は、
男性の方が多かったけど、
サポート営業と若手営業は
半々ぐらい。

見てきた映画やドラマからの
期待はあった。

けど、想像以上に女性が多くて、
嬉しかったのを覚えてる。

ここでは、
自分が男であろうと、
女であろうと関係ない。

“私”という、人間の能力が試される。
そんな風に感じられて。
ワクワクしたのを覚えてる。

仕事にも慣れてきたころ、日本支社から、
お偉いさんが出張で来ることに。
そして、内部の人間だけで、
会食がセットされた。

日本からの出張者が来る度に、
内部のみのご飯には誘われたけど、
必須だった事は一度もなかった。

けど、この時は違った。
初めて”悪いけど、参加で”と言われた。

理由はよく分からなかったけど、
日本に居た時も含め、内部会食は、
全オゴリ、もしくは格安に
食べさせて貰えてたし。

アメリカの場合、
店員さんが食事もお酒も
サーブするのが当たり前だから。

二つ返事で、”いいですよ〜”と答えてた。

そして、会食。
会計で衝撃な事実が判明したものの、
個人的には美味しく飲食して、
楽しく過ごせて、大満足だった。

そして迎えた翌日のミーティング。

“お会計、ビックリしちゃいました〜”と
のんきに会食について切り出したところ、
営業の2人から、めっちゃ感謝された。

女性がいると、空気が全然違った。
本当に助かった!本当にありがとう!

え?どういうこと?と思って、
色々と聞いてみたところ。

このお偉いさん。男性だけの会食だと、
仕事の話ばかりになるそうで。

しかも、結構な圧を掛けてくるらしく。
営業の2人は結構な緊張感で、
毎回大変だったそう。

だから、申し訳ないとは思いつつ、
女性の私に参加してもらいたかった、
という事だったらしい。

この時は、
へー、そんなもんなのか?
でも、役に立てたなら良かった。

仕事では、男女関係なく、結果を出す事が大事。
会食では、女性である事で役に立てた。

もう闘う必要はないのかも?
女子で居ていいのかも?
少し光が見えて来た。

「女子」である事に価値を見出す


さらに時は流れ、現在。
私は、脱サラし、療養中。

そんな自分がイヤで、
ひとまず自分にキャッチコピーを付けた。

それがこちら ↓ ↓ ↓
愛され妻/ママ💗一家の大黒柱】



どーでしょ?この変化。

いかに女性の世界に近づかないか、
そればかりを気にし。

いかに男性と対等に渡り歩くか、
なんなら男性でありたいとすら思い。

最終的には、男女なんて関係なく、
“私”という、ひとりの人間を見てもらえた事で、
自分は女子でいいんだ、と思うに至った私が。

一気に、
女性である事をバリバリに押し出してる

我ながら、ビックリすぎる、
この変わりっぷり。

冒頭にも書いたけど。
この変化をもたらしてくれたのは、
ここ数年、学んでいるポジティブ心理学と
小田桐あさぎさんの長期講座
【魅力覚醒講座】だと私は思っている。

特に、後者の【魅力覚醒講座】の影響が
大きいと思っている。

というのも、魅力覚醒講座は、
女性向けの講座。女性しか受けられない。
つまりは、私が避け続けて来た世界。

なのに、入ってしまった。
その世界に。約2年前に。

小田桐あさぎさんの3daysを見た際、
女性の世界だと分かっていたのに、
私は全く気にせず、飛び込んだ。

今までと違う世界に行きたい。
今までと違う世界を見たい。
私、変わりたい。

その一心で飛び込んだ。

というのも、その当時の私は、
再び倒れ、リーマン街道から
脱落した自分を責めてたから。

あいつ(当時の上司)のせいで、
私に負荷が掛かりまくって、
死にかけたんだ!

そう表向きには言ってたし、
そう内面でも思っていた。

けど、どこかで自分を責めてた。

上手く立ち回れなかった自分。
倒れて、周りに迷惑をかけた自分。
そんな状況を作った自分を責めてた。

あんなに頑張ってたのに、
なんで報われないの?
なんで私がこんな目に遭うの?

けど、また頑張れば大丈夫。

そう言い聞かせてたけど、
てんかんを発症した後だったから。

あさぎさんの言う、
自分の欲望に素直になる、
それが理想の人生を叶える方法。

その世界を見たい。
その世界に行きたい。

そう思ったの。

だから、昔の私のように、
男社会で闘ってる女子の皆さん!!

ぜひとも、来週行われる
小田桐あさぎさんの3日間セミナーを見てみて欲しい ↓ ↓ ↓

ありのままの自分を受け入れて、
理想の人生を叶えていこーー!!。


カバー写真は自分で撮った写真です。日常のひとコマに加え、旅先や美術館での写真を増やして行きたい!サポートして頂けると嬉しいです💖