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#117 感動は学校現場にあり

皆さんこんにちは。
サッカー、旅行、読書、Voicy好きのコウチャンマンです。
今回も記事に辿り着いていただき、ありがとうございます。
日々の気付きから、私の学校現場での経験や教育行政という立場から学校を見てきた経験を皆さんのお役に立てたらと思い、記事にしております。

最近、忙しすぎて投稿が滞ってしまいました。
疲れが溜まりすぎるとなかなかネットに触れる機会も少なくなります。
半分くらいは言い訳になってしまいますが、申し訳ありませんでした。
今月は4月から教員になろうという人向けの内容にしようと思ったのですが、それも叶わずです。
でも、一つでも記事ができればと思います。

そんな中、先日子供の合唱コンクールに行ってきたんですね。
学校現場を離れてから、学校訪問がしなくなってから初めての大きな行事でした。
私ももちろん毎年合唱コンクールに携わっていましたので、何をすればどうなるのかは理解しています。
保護者として見に行ったのですが、シンプルに感動してしまいました。
学校現場への思いが沸き上がってきて、ポロリと目から水のようなものが出てきてしまったのです。笑

学校現場にいるからこそ、子供たちの成長が見て取れる。
それは、結果だけでみるのではなく、過程も見ることができるからです。
つまり、学校現場にいたことがなかったおそらく感動などしなかったでしょう。
感動というよりは、子供たちが頑張っているなという思いだったでしょうね。
それが、真剣に歌っている姿をみると、どこかでトラブルを乗り越えたんだろうなであったり、力が発揮できずにいるクラスを見ると、何か不満等があって解消しきれなかったんだろうななどが想像できるからです。

でも、これは学校現場にいるからこそ感じ取れるものです。
保護者が感じるのは、家庭にいる子どもの姿との違いで感動します。
でも、教師は過程を見ているからこそ感動するのです。

これは恐らく教員生活で中学校であれば少なくとも3年間という一回りをしないと感じることができないでしょう。

教員不足と言われる今、ここまでの経験ができずに辞めてしまう人がたくさんいるのが残念です。
それは、その若手教員だけでなく、学校・社会全体の責任でもあります。
人の価値観が多様化している中で、昔のようにやればやっただけいいものができるんだという風潮が残っているからでしょう。
でも、そんな価値観は正直古いです。

やったらやった分だけいいものができるのは当然です。
時間という価値あるものを提供しているわけですから。
でも、時間には限りがあるため、全ての時間を教師という仕事に捧げるわけにはいきません。
この価値観を理解した上で、どこまで時間を提供するのかを考えていかないといけない。
限りある時間の中で優先順位をつけて、学校行事や授業は作っていかないといけないんですね。
そのためにICT、生成AI、外部委託等の手段を利用していく必要があるのです。

だからこそ、今の若手やこれから教師になろうという人は、自分が何をしたいのか、授業や学校行事等を通して子供たちがどうなって欲しいのかを語れるようにしてもらいたい。
それは夢でもいいんです。
その夢を笑う人がいたら私は許さないですね。
だって、夢があることが最も素敵で、子供に響くから。

というようなことを、子供の合唱コンクールを見ながら考えて感動してしまいました。
なぜなら、そこに子どもの成長した姿、苦悩している姿、成長しきれずにいる姿が見えたからです。
そこからどんな指導ができるかなと考えている自分がいたからです。
学校現場を離れていたとしても、やっぱり自分も教師なんだなとつくづく思いました。

特にこれから教師になるという人、これが教師の面白さだと思いますよ。
悩んだ時には、隣の人に相談してみてください。
もしくは、noteで発信したり、コメントしたりして相談してみてください。
そうすれば必ず道が見えてきます。
本当に頑張ってもらいたい、日本の未来をつくるのは教育だから。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
皆さんにとって何か気づきがあれば嬉しいです。
それではまた次の記事で!

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