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バブル時代と救急ソリスキーで搬送事件

この記事はわたしの生い立ちと時代の変革を軸に「回顧version」として、過去のあれこれを書き綴っています。ご興味のある方はこのまま、お読み進めください。

▶︎バブル時代

高校を卒業して、短大に入学して夢の大学生生活。。。当時はバブル期が終わりに近づいて就職が徐々に厳しくなりつつあった頃。


とはいえ、周りの友だちはハワイやオーストラリアなどへブランド物を買いに旅行していた時代。(CHANELやイブサンローランの口紅をたくさんお土産にもらったけど、匂いが気持ち悪くて使えなかったわたし)


憧れのキャンパスライフ、バイトで自分のお金を手に入れて、好きなことができる!という夢の生活がはじまった。。。はずだったけど、自宅は都市部から電車とバスで乗り継いで1時間半の場所。


▶︎こんなはずじゃなかったキャンパスライフ

1:短大は、当たり前だけど男子がほぼゼロ。当時、短大は女子が大多数で、周りはみーんな女子。予想以上に男子との出逢いがなくがっかりした。

短大は、当たり前だけど男子がほぼゼロ。当時、短大は女子が大多数で、周りはみーんな女子。予想以上に男子との出逢いがなくがっかりした。

通学途中でのロマンス(言い方古い)あるかもという妄想は、10時に始まる授業が朝の通勤ラッシュと重なり、満員電車でもみくちゃにされて砕け散った。

2:バイト時間が短くて、毎月のお小遣いが想像していた額とかけ離れていた。実家から通うわたしの門限は夜10時(箱入り娘とよく言われた)。逆算すると夜10時に自宅へ帰るためには、1時間半の帰り道を考えて8時半にはバイト終了となる。


トホホ。。。だったけど、親との約束を忠実に守っていたわたし、よく頑張ったなと今では思う(ギリギリ間に合わなくて、数回雪降る中締め出されたりしたけれど)


いくつかのバイトを経験したが、夜のバーや夜だけ開店する飲食店はお昼から入ることが難しかった。


だけど自ら仕込み料理の時間を店長に希望してお昼からのシフトを組んでもらったりして、夜の時給アップに入れない分を土日に入れてバイトに明け暮れていた。



おかげさまで、卒業旅行の費用を貯めて、念願の旅行へ行ったり、大好きなスノーボードへ冬になると毎週のように通うため、欲しかった何十万円もするボードやウェア(1990年代、スノーボードやウェアは学生のわたしにとってとてもン十万円と高額だった。。。)を買って楽しむことができた。

3:某ハンバーガーショップなどしか近所になかったので、わたしのバイトの概念は「チェーン店」だった。


夜の
8時に帰る(飲食店が一番繁盛する時間帯)条件で探したが、募集条件から採用確率が低いと判断して、個人店へ絞って応募。


採用いただいた小料理店のオーナーさんご夫婦がとっても可愛がってくださって、バイトってシフト制でドライなものという認識だったのでうれしかった(ドライじゃなかった)


それに一番忙しい時間帯でも、バイト上がりの時間を考えてまかない食まで食べさせもらった、当時のオーナーには今でも本当に感謝している。そんなバイトを通して3つの良いことがあった。


お客さまに提供する料理を作ることで料理を作れるようになった肉じゃが、ポテトコロッケ、筑前煮など


シフトの希望を聞いてもらうことで他の仲間との助け合いを知った時間のやりくり調整するオーナーの苦労や、お互い様を体験


卒業旅行資金と趣味の貯金をするためにどうしたらできるか考えて実行できたチェーン店ではなく、個人店にチャレンジし勤務を増やすことができた

▶︎価値観や娯楽が多様化する前の時代

バブル期は、高級な車やブランド品、マンションなどの不動産が飛ぶように売れていて、遊び(娯楽)もディスコやリゾート地やテーマパークは異常なほど満員状態(わたしはあまりこの辺りの旨味を享受していないのだけ)


車を所有することがステイタスだった。男子は流行りでかっこいい高級車を持つことで女子からのモテ度が変わるという、今では想像できないかもしれないがそんな時代だった。


わたしは温泉旅行に行ったり、冬のシーズンはほぼスノーボードをして楽しんだ(ゲレンデで聴いていたユーミン(松任谷由実さん)の私をスキーに連れっててや広瀬香美さんのロマンスの神様は今でも聴くと当時を想い出す)



ちなみにわたしは、としちゃん(田原俊彦さん)や聖子ちゃん(松田聖子さん)のデビュー曲レコードを大切に持っていた。


▶︎まさか!雪山で救急ソリに乗る事件

1990年代はスキーが全盛だったのでスノーボードは肩身が狭くって、端っこの方で遠慮して滑っていた。へっぴりごしでもなんとか滑るようになった頃、山の中腹で少し休んでいたら、なんと。。。


止まってるわたしを目がけて、スキーヤーが猛スピードで滑ってくる。逃げる暇もなく後ろから追突となり、気づいた時にはソリに寝ていてブルーシートでぐるぐる巻き状態。


そのまま救急隊スキーヤーがソリを曳きながら山を滑り降り、病院へ直行。幸いにも、打撲で済んだのだけど人生初の救急ソリという貴重な体験だった。


こうして振り返ると、さまざまなことを体験して、いろんな感情を持ってきたなあと感じる。時代が変わりゆくこのタイミングに、物の価値や捉えた方の変化を経験できる(今もingだけど)のは、とても幸せで刺激的だと感じる。



それに貴重な救急搬送の時は「死」を意識するほどの衝撃を受けたけれど、いまこうして振り返ることができていてありがたさを感じている。


そして、そんな学生生活を送り就職活動を経て社会人になったわたしは、20代前半に若者たちがディスコのお立ち台(ステージのようなもの)の上で煌びやかに舞っていた頃、牛の去勢をすることになるのだった。


最後まで読んでいただきありがとうございます。次へつづく。。。



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