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♯9 介護 両親と話し合い3

「家族が集まる」という高いハードルを乗り越えて(話し合いその1はこちらへ)、必要なタイミングでやってきた我が家の家族会議は、意外な人のファシリテーターで始まった(話し合いその2はこちらへ



家族会議の前にわたしが頭の中で整理したことが2つあった。それは

  1. 両親の子どもとして、わたしはどうしたいかな

  2. 自宅介護を経験した嫁/母として、全員が無理のない介護のあり方

  3. 家族会議が前向きな話し合いになるために心がけること


この3つを事前に考えた。そしたら、2つの観点で自分の気持ちの整理ができた。


▶︎介護や看護は2つの観点から

1:社会資源が増えて選べるということ
わたしが
20代と30代で、子育てと介護を同時にした時の社会資源や価値観は少しずつと変わってきているなあと感じる。


介護や医療の必要な方が増えるにつれ、病院ではなくても医療処置が対応可能な施設や自宅で受けることのできる介護や医療サービスも多様化している。


わたしが自宅で医療が必要な長男を育てていたときは、2001年の介護保険制度制定の前だったので、訪問看護や訪問介護もなくて自分で電話帳から病院を探してひとつずつ交渉していたことを思い出す(その結果、長男の訪問入浴を出張してもらえることに成功した!)


そうした、社会資源やプロの方の手を借りることで家庭での、本人と介護や看護するすべての人(特にキーマン)が、無理なく
happyな関わりができるといいなと本気で思っている。


それは、わたし自身が1999年に社会資源がまだまだ少なく、人出を借りるという選択肢を選びにくかったこと。


そして悩みや苦しさを、分かち合う人がわからず、その気持ちを口に出すことができなくて、心と身体が不健康になったから。

心も身体もモヤモヤしていた
2:介護/看護は「誰がする」問題
いくら選べるサービスが増えても、もうひとつ重要なことがある。それは「だれが主に介護する人」であるか。



「お嫁さんだから」「母親だから」日本のこれまでを否定するつもりはない。古き良きものもたっくさんあると思っている。むしろ大切にしたいものもあってわたしは好き♡


ただ、日本の経済や働き方・価値観が変わっていく中で、これまでの常識や考え方だと行き詰まってしまうことも少なくないと感じている。



子どもが少なくなり、高齢者が増えてわたしたちは、この国で初めての体験をしている。家族の在り方などが変化して、核家族が増えていく中で親の介護が必要になったり、女性が働くということが子育てや介護にも影響している。


例えば、核家族の共働きでパパとママが1人の子どもを子育てをしている時、どちらかの親の介護が突発的に必要になった場合、どんな方法があるのかな?介護だから女性だよねとか、じゃあ子どもたちの育児はどうする?とか。


特に女性は、仕事・結婚・出産・子育て・復職・介護・子どもの自立など、ライフイベントを選ぶことができるようになったことは大きな変化だと思う。そして、そのときどきにいくつも役割がある。


(親の)子どもとして、(兄弟の)ひとりとして、(パートナーの)妻として、(子どもたちの)母として、わたしという人間として。だからこそ、社会や世間の「これまでの常識」に捉われずに、自分が選んでいくことができるといいなと思う。


「お嫁さんだから」「母親だから」仕方ないよ、我慢しなくちゃって消去法ではなくてね。


この2つの観点で自分の頭の中が整理できた。最後まで読んでいただきありがとうございます。話し合いは次回へ続く。みなさんは、介護や看護でどんなことにモヤモヤしたことはありますか。




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