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協和音のケアについて

ハラハラするとかドキドキするとか、人間の心境を音で表すことがよくありますね。口うるさい上司の前で表情は穏やかでも、内心はイライラするわけで、目に見える世界は嘘を付くけれど、音は誤魔化せないという感覚が自分の中にはあるんですね。


優しく微笑んで言葉は丁寧でも、言葉そのものではない声のトーンを人間は聴き分けて、あの人はとても冷たい人間だと感じたりします。言葉は記号であり誤魔化せますが、その根底にある音は誤魔化せない。技術力のあるケアは静かだし、技術が不足したケアはどこかうるさいんです。余裕の無さからくる介護職側の呼吸の荒さだったり、通じない伝え方の繰り返しよる大声だったり、ベッド柵にぶつけてみたり、オムツや陰洗ボトルなどの物品類から起こる音だったり…

技術力が高い介護職だとしても、内心でイライラしてればその手技は荒くなり、ケアから起こる音は雑になります。人間の内面は身体を通じて表現されますが、そこから発する音は本当に正直だと思います。どんなに言葉を丁寧にして、表情に冷静さを保とうとしても、目の前にいる相手への感情はどうしても声のトーンで出てしまう。


組織おいてもそうです。スタッフはそれぞれに音を発していて、秩序のある組織の音の重なりは美しいけれど、そうではない組織の重なりはギスギスと鈍い音を立てる。介護職にも音があり、利用者にも音がある。その傍らでケアを見つめている家族にも音があって、その重なりが心地よい協和音になっているかを慎重に見極めているというのが、最近になって自覚した自分の感じ方なんですね。


現実的にスタッフのケアを評価する時に、あるいは分析すべき対象の前に立った時に、自分は目を細めて視覚を弱くしながら、聴覚に意識を傾けようとする作用が働いていることに気づきました。
"Consonance"とは協和音の意味で、誰かのために誰かが犠牲になるのではなく、すべての音の重なりが協調し合うケアとは何か?という問いを追求する心構えを表現するために"Consonance C are"と名付けました。自分がそこに至るすべての答えを知っているということではなく、あくまでそれを追求する姿勢の表現であり、共に学び合う仲間が増えてくれることを願っています。


理想と経営にはギャップが生じるのか?利用者とスタッフはどちらかが犠牲になるべきなのか?人間性と技術力はどちらかを選択しなければならないのか?組織であれ介護職のケアであれ、白か黒かの議論が広がっていますが、そうした対立構造を廃して、すべてが協調できると信じていますし、まだまだ到達しているとは言えないけれど、それを信じて進むからこその道も見え始めています。穏やかさとは単独としての精神状態ではなく、四方から発する音の重なりの協調した状態を言い表す言葉なのかもしれません。一緒に探してみませんか?穏やかさという言葉に象徴される"Consonance Care"を共に見つけていきましょう!


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