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私のアンチ「出羽守」宣言

皆さまは、「出羽守(ではのかみ)」という俗語をご存知だろうか?
出羽守とは、本来出羽国の国司を表す役職であるが、国名の「出羽(でわ)」と、「海外では」や「欧米では」のような連語の「では」を掛けて、主に揶揄を込めて使われている。
私は、いわゆるシラケ世代に属するが、その上の団塊の世代、そしてさらに上の戦後派(アプレゲール)と呼ばれる世代の人に、「出羽守」が多かったと思う。

イレブンPMと大橋巨泉と

真偽のほどは定かではないが、僕らが思春期の頃、こんな噂があった。
大橋巨泉の家には、大きなアンテナがあって遠くの電波まで受信することができ、彼はアメリカのテレビ番組をチェックしている。彼が司会する番組は、全米でヒットしたテレビショーのぱくりだと。
その頃観ていた「お笑い頭の体操」なんて、「笑点」を座らずに立ってやっている大喜利番組で、横森良造のアコールデオン伴奏で替え歌を唄うのなんてぜんぜんアメリカンでは無かった。
ところが、両親がなかなか観させてくれなかったイレブンPMとなると、大橋巨泉は、やたら「海外では」とか「ニューヨークでは」とかを連発していて、日本が遅れていることを語っていた。
ジャズやゴルフ、フィッシングなどは、昭和の子供にとっては憧れだった。そして、ポルノが解禁されているアメリカ、ヨーロッパに対して、日本には映倫があると彼は批判していた。
ただ、彼の批判の仕方は、大衆迎合的でマイルドだった。

洋楽と福田一郎・渋谷陽一

洋楽を聴きだした頃、福田一郎や渋谷陽一などの解説が面白くてラジオを聴き、音楽雑誌を読んでいた。
ただ、彼らは、「海外では」とか「欧米では」という言葉遣いはしなかった。ロック・グループやソロ・シンガーについて淡々と詳しく説明するだけで、海外が進んでいるとか、日本は遅れているとか、そういう話はしていなかった。
そもそも日本のポピュラーソングは洋楽カヴァーの時代で、日本のロックは黎明期にあったので、比較の仕様が無かった。遅れているとか、まだまだだとか、そういう解説をする対象もなかった。

三島由紀夫と遠藤周作

私は、三島由紀夫と遠藤周作の二人については、かなりの数の著作を読んでいる。

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