見出し画像

周回遅れのランナー、桜田淳子

今回は、1970年代のアイドル、桜田淳子と山口百恵について書いてみようと思う。
オリンピックのトラック競技、例えば5千メートル走や1万メートル走で、周回遅れのランナーというのがある。同年代の私の目は、桜田淳子がそうしたランナーのように映った時期があった。
なんでそうなってしまったのか?ということを説明してみたい。

先にデビューした桜田淳子

日本テレビのオーディション番組「スター誕生」で淳子は百恵の3か月前の決戦大会で合格している。1972年9月のことだった。だから、デビューも3か月早い(1973年2月)
デビュー当時のキャッチフレーズは「そよ風の天使」で、清純少女のイメージで売り出した。(「天使も夢見る」と「天使の初恋」と2曲続ける。)
山口百恵は「としごろ」でデビューするが、レコードの売れ行きが思わしくなく、2曲目の「青い果実」でいきなり、「あなたが望むなら、私何をされてもいいわ」と歌い、「危なげな青い十代」と呼ばれた。
その頃の淳子は、「わたしの青い鳥」で「ようこそここへ、クッククック」と清純派路線を貫いていた。
この時点は、百恵が早くも2週目あたりでスパートをかけてしまった感じだった。同年代の私たちはその早熟ぶりに面食らってしまった。

加速後にスピードを緩める百恵

「青い十代」路線で受けた百恵は、さらに「ひと夏の経験」で「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」と歌って加速する。
そんな百恵を他所に、淳子はペースを上げない。「花物語」、「三色すみれ」、「黄色いリボン」、そして、「花占い」で「この花は私です。やっときれいに咲きました」とやって、漸く思春期を迎えるのだった。

一方、百恵の方は、「初体験」を匂わせる歌をさらに続けるのかと思いきや、突然チェンジ・オブ・ペースをして、「ちっぽけな感傷」で「傷つけ合うのが怖い」と恋愛に怯えているような表情を見せた。

百恵サイド(酒井正利チーム)としてみれば、同じような歌で飽きられるのが怖かったはずだ。だから、強がっていた少女が実際に恋愛すると少し臆病になる風にアクセントを付けたのだと思われる。
淳子サイド(阿久悠チーム)の方は、デビューから一貫して少女が徐々に大人の女性になって行く姿をゆっくりとじっくりと描き続けるスタイルだった。時間をかけて少しずつ変化させていくというやり方はアイドルの売り出し方としては珍しい。やや実験的な試みのように思われる。

ここから先は

1,320字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?