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『星に願いを』 第八話         ──七つ村に関する二つの手記と一つの付記と極秘文書三一九号──    

 発見された書物は森の民が修繕し大切に保管するという決まり事。
 だがそれを気に入らない村や部族もあるらしいということ。
 探索者としてあちこちを彷徨っていると、そういうことは自然と感じられてしまうものだ。

 しかし戦装束とは。

 野良の狩り人ならともかく、村同士の協定があるのだし、何よりそれは神々のオトリキメに背くことになる。
「一つ様は? まさかそのような事態を一つ様がオミチビキなさるはずはないでしょう?」
と私。
「いや、一の神のお考えはわからないのだ。」
と村長。
「わからない? でも一つ様の御声は七つ様に届けられているのでは?」
「それがないのだ。しかし主はサキミをなされた。」
その時また、御簾の向こうから御声が響いた。
「地の民の間でここ何年かの間、何かよくないものが動き始めていることは感じていました。」
心なしか、御声は憂いを帯びているように感じられた。
「しかしそれが何を意味するのか、そしてどのような流れとなるのかはわからなかったのです。時間をかけ度々繰り返し心を広げてみたのですが、憂いは曖昧で中々にはっきりとしたカタチにはなることはありませんでした。そのため隠の月が長くなり民には不安な思いをさせてしまいましたね。いずれも私の未熟さゆえのこと。申し訳なく思っています。」
「もったいないお言葉です。皆わかっております。」
村長が慌てて御簾の向こうに声を大きくした。
「しかし一つ様と御声が交わされれば。いえ、五の神様や八の神さまだって御坐すはず。神々の御声が交わされれば何か」
「イサキ。控えなさい。」
すかさず村長にたしなめられる。神々のことに民が口を出すのは失礼に当たるのだ。私は大人しく口を閉じた。
 しばし静寂。まるで主が躊躇われているような沈黙。まさか主が。いや。
 考えを巡らしていると再び御声が響いた。
「地の民の、一つさまからの御声は私のところに届いていません。ここ何年も。長い間ずっと。そして一つさまは私の問いかけにもお返事くださらない。おそらくこちらの声も届いてはいないのだと思われます。」
「まさか。世界からお隠れに?」
「イサキ。」
村長の叱責が飛ぶ。しかし七つ様はお答えくださった。
「いえ。その可能性は低いと思います。ですが。」
そして再び沈黙が訪れた。
 そうなのだ。いくら地の民との小競り合いが続いていたとしても、戦など一の神がお許しにならない。神々は世界の乱れを決して望まれてはいないはず。なのにこの事態。
 何か恐ろしいことが起こっているような予感がして私は身震いした。
「一の神はともかくね。少なくとも地の民の考えはもうすぐわかるよ。」
局長が静寂を破った。
「いくら地の民でも、流石にいきなり戦を仕掛けてくることはあるまい。まず先ぶれがあるはず。」
 その時、廊下の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「御前失礼します。ムラオサ。地の民のお使者がお目通りを願い出てきております。」
ほらね。と局長は私に目配せした。
「すぐに行きましょう。お使者は青の部屋にお通しして。局長。」
いいですかと村長は視線で局長の指示を仰ぐ。局長は頷いた。
「御前、失礼を。」
村長が慌ただしく部屋を出て行くと局長は私を呼び止めた。
「イサキ。もう一つ頼みたいことがある。おそらく今、北の小書庫で一人作業をしている見習い生がいるはずだ。その者を連れていってもらいたい。」
「見習い生ですか?」
私は思わず聞き返す。見習生とは司書見習いのことだ。探索者ではない。それを村の外に連れ出せというのか?
「そうだよ。司書見習いだ。」
局長は私の心を読んでニヤリとした。
「面白い子だよ。カナエという。」
「カナエ?」
「そう。まだ少年というか、まあ、子供だな。お前には悪いがその子供を連れて行ってくれ。」
「子供・・・。」
局長の表情が一瞬、ほんの一瞬和らいだ気がした。だがそれはすぐに消えた。
「とにかく急ぎ出立しなさい。五の村までならお前の足では二日ほどで済むだろうが、カナエと一緒ではそうもいくまい。」
「しかし五つ様にはなんと?」
「五つさまには私から声を届けています。こちらの状況は既にお分かりでしょう。」
局長が答える代わりに御声が響いた。
 だがそれならば、と恐れ多くも私は考えた。
 五つ様に御声が届いているのなら私が行くまでもないのでは?
「さあ。行きなさい。」
疑問を口にする前に局長に促され、私は再び膝を折った。
「では御前。失礼を」
「局長。」
しかし再び御声が響いた。
「しかし、主よ。」
そのとき局長は、私の方に顔を向けたまま(御簾の方を振り返りもせず)声を張り上げた。いくら局長であっても御前に対してそれは失礼なやり方だ。
 部屋に奇妙な空気が漂った。
「必要なことだと判断します。ですから。」
不敬に構うことなく決然と御声が響き、局長は眉根を寄せた。それから短く息を吐き、戸惑う私の肩に手をかけ、低く響く声でこう言った。
「イサキ。お前がこれから目にするもの、耳にするもの全て、その時が来るまで決して、他人に話してはいけない。」
そして局長は振り返り、御簾に手をかけた。
「待ってください。何を。」
 何をするつもりだ? 
 私はこれから何を目にし、何を耳にするというのだ? 
 急に不安が募り、私は体をこわばらせた。
「悪いが七の神がお前を選んだのだ。拒否権はない。」
それでも局長は一瞬躊躇いその手を止めた。
「本当によろしいのですね。主よ。」
もう一度七つ様に尋ねたが、局長は御声を待たずにその手に力を込めた。
 そして御簾は上げられた。




 そして御簾は下げられた。
 まるで何事もなかったかのように。
 上げられる前と同じように、御簾の向こうから穏やかに滲み出るお優しい七つ様の気配。
「探索者イサキよ。心を落ち着け、あなたの行くべき道を行きなさい。」
 静かに、あくまでも静かに御声は響いた。優しく穏やかな御声が私の心を鎮めてくださった。
「カナエを連れていきなさい。あの者は、あるいはあなたの道行の足枷になるかもしれません。しかしそれは必要なことなのです。」
つまりその見習い生のことも、七つ様のサキミだったというのだろうか。
「心配する必要はありません。心穏やかに行きなさい。」
「わかりました。」
私は改めて膝を折り、もう一度深く頭を下げ退出しようと背を向けた。
「支度はハルヤに。司書補の一人に手伝いに行かせるよ。さっき起こされただろう?」
と局長の声。
 ああ。あの少女。幼い筆頭司書補。
 彼女と言葉を交わしたのはほんの少し前の出来事のはずなのに、そのときの私にはそれらが遠い昔にあったことのように思えた。遠く。あまりにも遠く。
 というよりもむしろ。私自身がほんの少し前の自分と異なるものになってしまったような妙な感覚。
 御簾の中に招き入れられる前と、その後と。
 それは大きな。あまりにも大きな変化で。
「イサキ。私は楽観していない。主の見通しも決して明るくはない。これが最後になるかもしれないな。」
 そして局長は、まるで日常のあいさつのように、今生の別れを告げた。
 私は言葉に詰まり、何も言えなくなった。
「カナエを頼むよ。あの子は面白い子だ。だが我々はおそらく」
そう言って彼は右手を軽く振り、自らの言葉を遮った。
「行っていい。くれぐれも油断しないように。」

 支度を済ませ部屋を出ると先程の少女がいくつかの荷を手にして立っていた。彼女は両手で荷を差し出したままじっと私を見つめている。
 まだ幼い、だが賢そうな大きな瞳。
 私はこの少女に何か伝えなければいけないような気がして、しかしためらった。知らせてどうするというのだろう。司書部の少女に。
 司書部の者はほとんど村を出ずに暮らしている。下手をするとその一生を村の中で終えるのだ。外のことなど、世界のことなど何も知らないはず。
 それで良いはずだったのだ。
 だが、少女は私の目をしっかりと見据えたまま、こう言った。
「カナエをよろしくお願いします。」と。
 この少女は知っている。
 控えの間の片隅で聞いていたのか? いや聞いていたとしても外の世界を知らない司書部の者にはにわかにこの事態を受け入れることはできないだろう。何のことなのかもわからないはず。
 だが彼女は知っているのだ。
 賢そうな瞳。決然とした物言い。
 この子はもうずっと前からすでに予感していたのかもしれない。これから先に起こるかもしれないことを。この賢そうな瞳で。
「わかった。私にできる限りのことはしよう。」
そう言って私が荷を受け取ると彼女は深々と私に頭を下げた。
「いろいろありがとう。もう行かなければ。」
居た堪れなくなり、私は彼女に背を向け歩き出した。外へ出る直前、ふと気になって振り返ると、まだ頭を下げたままの少女の姿があった。


 小書庫にいたのは、司書補の少女よりさらに幼い少年だった。局長の言った通り、まるで小さな子供に見える。少年は書物だらけのその部屋の真ん中で床に座り込み、夢中になって文字を追っていた。


 空が白んできた。
 もうすぐ夜が開ける。

 記述はここで一旦やめておこう。少し仮眠を取らなければ。それから少年を起こして、五つ様のところへ行かなければ。
 少年はよく耐えている。
 私にしても、ほんの数日前まではこんなことになるとは思っていなかった。しかし今はただ、私にできることをするだけだ。
 なるべく早く五の神に御目通りして。
 そうすればきっと。                   (3,799字)



前話 第七話 探索者イサキの手記① (2,673字)


次話 第九話 附記(カザミによる) (1,628字)  6月11日更新予定


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