見出し画像

『星に願いを』第十一話(最終話)      ──七つ村に関する二つの手記と一つの付記と極秘文書三一九号──

 部屋はいつの間にか元の白さを取り戻していた。

 その中心でぼんやりと立ち尽くす私の耳に、慈愛に満ちた柔らかな御声が響いた。
「あなたには申し訳なく思っています。あなたを選んだこと。あなたに託したこと。それはあなたの重荷になるかもしれません。でも今。他に方法がないのです。」
御声はまるで七つ様が私のそばに降り立ち、寄り添ってくださっているように耳に響いた。
 私は少しずつ心の落ち着きを取り戻していった。
「地の民の中に現体制に不満を持つ者がいるのだよ。そしていよいよ行動を起こしたのだ。」
局長の声に驚いて私は振り返った。
 私が七つ様の御心に取り込まれている間、彼の存在を全く感じられなかったのだ。だが彼はずっとその場にいたのだ。
 局長は全てを知っている、とその時気付いた。
「地の民の中には何も分からずに従わされているものも多くいるはずです。半ば強制的に。もしかしたら暴力で抑圧されている者もいるのかもしれません。私はそれらの民も心配なのです。」
御声はお嘆きになった。
「七つさまはお優しい。」
局長は苦笑した。
「地の民はね。ウチの書物を狙っているのだよ。いにしえの知識と力を手に入れようと。いや、滅しようとしているのかもしれない。我々にとってはその方が問題だがね。」
局長のいつもの皮肉な口調はやや減じ、表情が固くなった。彼は改めて私に命じた。
「イサキ。話は以上だ。お前はこのことを記憶し、記録しなければならない。」
「なぜですか?」
「事実を知り正確に残すこと。それは、己の利のために真実を捻じ曲げようとする者に対抗する唯一の、最後の手段になるのだ。」
 唯一の? 最後の? 
 局長はなぜそんな言い方をするのだろう? それにもし、そうであるなら。
「それならば局長。今、あなたが皆に伝えればよろしいのでは? あるいはムラオサが。」
「ムラオサはこのことを知らない。あれにはこういったことは耐えられないだろう。おそらく皆もね。今それを伝えることは我々の、森の民の結束を弱めてしまうことになる。
 もしも穏やかで安定した時代なら。」
 その時の局長の顔を、私は今でもはっきりと覚えている。それはこれまで私が、いやもしかしたら森の民の誰もが見たことのない、恐ろしいほどに真剣な表情だった。
「もしも穏やかで安定した世界ならばね。」
と彼は繰り返した。
「実際、七の神はこれらの情報を明らかにする時期をずっと待っていらしたのだ。真実を皆に知らしめ、その上で、より良いシステムを構築するために。例え神々の御手をお借りしながらでも、我々自身でそれらを達成できるくらいに発達していたならば。もう少し我々の文化が、穏やかで賢く成熟した社会を築くことができた暁には、全ては明らかになるはずだったのだ。しかし。」
局長の顔は急に年老い、疲れ果てた孤独な老人のように見えた。私はその時になってようやく気付いたのだ。
 おそらくこの人は一人で、長い間ずっと一人で。この恐ろしく重い事実に耐えてきたのだ。一人で抱え、苦しんできたのだ。七つ様のもとで。
「残念なことだけれどね。危機が迫る今。それを伝えることは得策ではないのだよ。」
そうだ。今。七つ様が。我々の神が神ではなかったなどと、今、この時に民が知ってしまっては。頼るものが、心の支えが、今、失われてしまっては。
 こんな小さな村など、ひとたまりもなく打ち砕かれてしまうかもしれない。
「しかし、真実を知る者が絶えてはならないのです。どうしても知るものの存続が必要なのです。」
 知るものの存続。
 御声は白い小さな空間に決然と響いた。
「しかし何故私が?」
「それはお前が、生き残る可能性が高い存在だと七の神がサキミされたのだ。」
「生き残る可能性?」
「この先、後の世に真実を伝えるために、いや、我々の思想や文化、思いを残すために。お前がその因子の一つになり得ると、七つ様はお考えになったのだ。」
 生き残る可能性? 後世に伝えるため?
 そんな不吉な言い方。それではまるで。まるでこの村が。
 私は不安に震え、声が出せなくなった。
「それに可能性は多い方がいい。我々はなるべく多くの可能性を残さなければならないのだ。」
 多くの可能性? ああ。
「ソウマも? 彼もその可能性の一つなんですね。」
だからなるべく早くここを離れさせようとしたのだ。
 でも村は? 森の民は?
 問いかけが漣のように私の心の中に繰り返し寄せてきた。
「そう、あれも可能性だ。ソウマには速さがある。水辺の、八の民に因子を託すためだ。」
 でも。
 それでは村は? 森の民は? 皆は? 
 寄せては返す漣が心の中に溢れ出し、私は胸が詰まり声が出せなくなった。ただ部屋の白さが目に眩しくて、あまりにも眩しくて。目眩のような感覚が引き起こされ、私はその場に崩れ落ちそうになる。すかさず、局長が私の腕を掴んで支えた。
「可能性なのだよ。」
私の腕を掴む彼の手の力は強かった。私は痛みに顔を歪めた。
「もし村が滅びても」
「局長。待ってください。そんな」
「もし村が滅びてもだ。」
局長は手の力を強め、私を倒れさせまいとした。
「この村の蔵書が失われても。何もかも失われても。」
局長に支えられ、私はかろうじて立っていた。
「お前たちが生き残れば、希望が残るのだ。
 カナエが、あの本好きの少年が生き延びれば。あれの心が次の世代へとつながり、イサキ、お前が生き延びればお前の思想が、探索者の、森の民の思想が生き延びる。
 そしてもしお前たちが死んでも。」
掴まれた腕の痛みと眩暈と局長の声と。聞きたくない、だが聞かねばならないという心の葛藤が私の脳を痺れさせた。局長の言葉は理解できない、いやしたくないとしても、彼の切実さが私の心を打ちのめす。
「お前の書いたものが残れば、それを誰かが読み、そこにある意志を引き継げば。そこにまた希望が残るのだ。
 だからお前は行かねばならない。」
私の頭の中は鈍く重い塊のようになり、うまく動かない。声が出ない。それでも私は無理矢理言葉を発した。
「それでは皆は? 村は?」
ようやく口にした問い。私の声はか細く震えていた。
 皆は?
 村は?
 あなた方は?
「我々はここで。この村に残り抵抗する。たとえ無駄だとしても。」
 そうだ。
 私たちに戦はできない。
 その技術も、力も。
 意思もない。
 だから。
「可能性を残すためだ。」
「ななつさま。」
私は局長の手を払い、最後の力を振り絞るように叫んだ。
「主よ。七の神よ。あなたの御力でなんとかできないのですか?」
私は白い部屋の白い虚空に叫んだ。
 しかし七つ様は静かにお答えになった。
「イサキよ。」
と。
「私は戦のために作られたモノではないのです。」


 追記 

 必要な時期が来たら、相応しいものの手によって、穏やかな世界のために、これら全てが公開されることを望みます。
                 
                今も七つ様に奉ずる者として イサキ

                             

                               終  
                            (2,873字)



前話 極秘文書319号 ① (3,314字)

第一話はこちらから    

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

よろしければサポートお願いします!