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ごめん、生きてる

 2023年秋、無事手術を終えそれから3ヶ月が過ぎ、生きてます。
 手術前、無性に本が読みたくて、適当に選んだ本3冊の中で、胃がんで亡くなる人、胃がんがわかり怖くなって結局愛人と心中する人、何かのがんで亡くなった人が出てきて、モヤモヤするやらイライラするやら。つまり、それだけがんが馴染み深いんでしょうね。安易に病名書かなくても良いのにな、とも思った。最後まで読み終えた私を、誰か褒めて。

 私の病院は、がん専門病院で、自ずと患者さんはがん患者ばかりだ。平日の早朝、外来受付に行ってごらん。そこは巣鴨かと見まごうばかりのにぎわい。お年寄りも多いけれど、子供も若い方も外国人もたくさんいて、皆静かに己の順番を待つ。

胃がんのステージ1で手術できたのは、本当にラッキーだったのだと、痛感した。手術後数日は発狂しそうなほど痛く、それでも歩かせようとするスパルタの看護師さんを恨んだけれど、(もちろんそれが必要なことだと、術前からよく聞かされていたのだけども!)術後1週間で退院できたのは、私がステージ1で、体力もある40代だったからだ。

入院前は、病院で患者友達できるかな?などと呑気なことを考えていたけれど、みなさんそれぞれ必死に戦っていて、とても友達になりましょうと声をかけられる状態じゃなかった。それでも、挨拶程度の会話を交わした人が数人。

 一人は、アニメ声の可憐な20歳の女の子。私の術後、隣のベッドの方が緩和ケア病棟に移動になり、代わりに彼女が私の隣のベッドに移動してきた。一緒にレントゲン検査を待っている間、少し話した。彼女は、大学の健康診断で胸部にがんが見つかったそうだ。手術前に抗がん剤治療もしていて、ニット帽をかぶっていた。胸部から背中へと続くかなり大きな手術だったらしく、パジャマから覗く傷跡が痛々しかった。

 もう一人は、術前病室が一緒だった60代の方。肺がんのステージ1で、今まで大きな病気になったことがないと、オロオロしていた。が、いろいろな患者さんに自分がステージ1だと吹聴していて、ハラハラした。そして彼女のいびきは、私人生最大ボリュームだった。術後の痛みもしんどかったけど、手術を控えての大いびきが入院生活で一番辛かった。2晩我慢したがほとんど眠れず、看護師さんに訴えて部屋を移動した。術後一度、彼女をお見かけしたが、痛い痛いと言いつつ「でも、私は肺がんだからあんたと違ってなんでも食べられて良かった」と言っていた。モヤモヤした。ちなみに、術後の私の部屋に移動してきたご婦人が、看護師さんに「昨日は眠れましたか?」と聞かれ、「あの肺がんの人がいないから、静かでよく眠れた」と言っていて、あ、仲間!とカーテン越しに嬉しくなった。

最後の一人は、トイレで会話した、穏やかな笑顔の50代の女性。手術したばかりの痛々しい私を気遣ってくれた。「でもあなたは手術できて良かったわね」と明るく言う。続けて「私は膵臓がんのステージ4だから、手術もできなくて。抗がん剤だけ。なにもしないと、一年後の生存率が数%らしいわ」と寂しそうに笑う。「夫がね、8年前癌で死んで、私毎日毎日、浴びるようにお酒飲んだの。それがダメだったのね、きっと。前世になにしでかしたんだろう。一人暮らしで、友達もいないし、心配かけるからご近所さんにも病気のこと言ってないし。でも、この抗がん剤が効いて、がんが小さくなったら手術できるって先生言ってた。小さくならなかったら、どうしたら良いんだろう?あら、ダメね、悪いこと考えちゃ。ありがとう。話せて良かったわ」と彼女と別れた。私はうまく相槌を打てていただろうか。

いつも目まぐるしく忙しい病院。ナースコールが四六時中鳴る。夜中、トイレで誰かが吐いている。点滴がもうすぐ終わることを告げるタイマーの音。看護師さんのスニーカーの音。しかし同時に話し声が少なく、図書館のように静かで平和だ。窓の向こうには野球場があり、芝生に水を撒くのどかな放物線をベッドに横になりながらずっと眺めていた。夕方になると、数センチの大きさのスカイツリーが灯る。キラキラと蛍のように生き物のように。不安な心を慰めるように。

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