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50歳からの人生をどう生きる?

もうすぐ55歳の誕生日を迎える私。
人生の折り返し地点はもう過ぎてしまって、これからの人生ってどう生きていきたいのか、自分に問いながら生活している気がする。

自分に問うた時の答えは、ホントにごくありふれた願い。
こんなんでいいのか・・・大きな夢がないのは、おかしいのだろうか
そんなことを思っていたら芳麗さんのvoicyが耳に入ってきたんです。


50歳からの人生に大きな夢は必要か

芳麗さんのvoicyで、「50歳からの人生に大きな夢や野心は必要か?」っていう放送があったんです。

芳麗さんって、文筆家、20年以上取材、執筆をしてきて、voicyでもトップパーソナリティの1人。

その芳麗さんでも、大きな夢や野望が必要かって問うの?って、なんだか不思議に思って、興味が湧いたんです。

芳麗さんのやりたいことって・・・。
●ただ幸せに生きる
●成長したい
●愛する人が欲しい

「こういう社会であって欲しい」みたいな思いはあったりするけれど、それは世の中に対する願いであって、自分の願いみたいなものは幸せでいたいとか、愛する人が欲しいとか、成長したいとか、ごく平凡な、ありふれた願いだったりするんですって。

ある程度有名な人も、願っていることは、そう大きく変わらないのかもしれないって、勝手に親近感を覚えてしまった・・・。

成し遂げたい
旗をかかげたい

じゃなくて

今叶っている願いを継続したいとか、
人から求められたいけれど、その中に自分らしさも入れたいみたいなことを言ってた気がする。

人生において大きな夢を掲げることだけがすべてではないってことなのかな?

50代からの夢

私にとって、これからの夢ってなんだろうなぁ・・・。

芳麗さんが言っていたように、ただ幸せに生きたいって思うだけなんですよ、私は。

その幸せの手段として、
愛する人が欲しい とか
生活空間がすっきりとして落ち着いて快適に過ごしたい とか
生活に不安がない程度の経済力が欲しい とか
自分が成長していきたい とか
仕事を楽しくしたい とか
そんなことを思っている気がする。

すごく大きな夢があるかっていったら、やっぱりなくて・・・。
だから、50代から大きな夢や野望は必要ですか?と問う、芳麗さんの言葉にハッとしたんですよね。

大きな夢がなくてもいいのかな?って。

人生をどう生きる

結局、人って彷徨いながら生きているのかもしれないですね。

結局、正解はないし、正解を探しながら生きるって感じなのでしょうか。
いろんな岐路があって、選択しながら生きる。
たくさんのものに囲まれて生活する。そして、何に囲まれて生活するか選択する。
誰と人生を過ごすか選択する。

選択、決断の中で、年齢が上がれば、足し算だけじゃなく、引き算も必要。
なにを手放すか。

足し算ばっかりじゃ、おぼれてしまうからね。

手放すことを決めて、人生をシンプルに。
幸せに生きるために、必要なものは何か。そういう基準で、選択、決断をしていきたいと思う。

その中でも、夫、愛する人は欠かせない。
愛する人と一緒に、幸せを継続していくために人生を生きていくのかもしれないなぁ・・・。そんなことをふと思う。

結論は出ないけれど、やっぱり選択と決断をしながら生きていきたいなぁと思う。

なんだか、とりとめのない文章になってしまいました。
このnoteも彷徨っているのかもしれません・・・。

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