波の間に真実を探す

そして、新たな波に飲まれることになる。

ジャニーズファンと、一般というかお茶の間というか、
ライトファンの憶測を含む膨大なコメントの数々を目にして、
さらに正気を失ったのだ。

まず、彼らが言語化する「好き」の表現を大量に目にすることにより、
自分の好き度も上がってしまう。
なんなら自分の気持ちがどの程度か分からなくなってくる。

そして何より、脱退が決まっている人たちである。

膨大な映像のタイムラインを追いながら、
この時はどうだった、この時点では何がどう、を追って
真実をつかみたい気持ちと、どんなにやってもそれができない現実。

どれだけ堂々巡りをしても、真実はきっと表には出てこないであろう。

そして、頼まれてもいないのに彼らが心配になり、
何もできない自分に匙を投げたくなる。
不毛とも思えるこの状態を味わうのも初めてだった。

私はロックファンである。
推している彼らはキャリア20年を超え、
制作も発言も自分たちでほぼフルコントロールしている。

だから発信されたものの信頼度がとても高く核心に触れている。

ゆえに常に納得感を持って応援することができているし、
こちらから何か言いたければ、直接メールをすれば気は済むのだ。

この「気が済む」という感覚は、私はとても大切だと思っている。
相手は「全部読んでいる」と常に公言しているから、
こちらも「気持ちを届けることができた」と思うことができるのだ。
(それが真実ではなかったとしても、限りなく真実に近い、
と思っていられることが尊い)。

でも、キンプリは違う。
何もできないし、なんなら彼らに何も求められていないだろうし、
(そもそも実在しているかどうかすら実感がない。
いや、してるだろうけど)

勝手に心配しているけど、その思いに反して彼らが実際は
幸せの絶頂である可能性すら否定できない。
(さすがに可能性は低いだろうけど。要は何も分からない)

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