大学ぼっち

苦しい。
大学でぼっちである。
つまりは大学ぼっちだ。
いや、正確には大学ぼっちに限りなく近似している存在である。
というのも2人だけよく話す奴はいる。だけど、その2人は違うグループに入っているから大抵はひとり。だから、大学ぼっちを名乗る資格はあると思う。

苦しい。
孤独で、辛い。
抽象的な、文学的な修辞させたようなものじゃない。
身体がわなわなとし、脳みそが震えているような感覚。生命の危険信号のようなものを感じる。孤独はたばこよりも有害というが、それを私より肌で感じている人間は他にはいないんじゃないかって、たまに感じる。こんな苦しみをなんで進化上つけたんだといつも思う。ほんとうに。1人でいることを楽しめる人間に生まれたかったなあ。でもダーウィンはそれを許してくれない。孤独を楽しめる人間は淘汰されてきたからね。
今日はテストがあった。その2人とはちょっと話した。そして、なんやかんやで今日最後の試験が終わった。「なんやかんや」はあまりにも内容が無さすぎるので書かない(大学の内容のなさは、ドーナッツの穴ぐらいある。いや、中国で起こる道路に突然陥没する大きい穴くらい内容がない)そのあとは、帰りの時間である。
嫌な時間だ。
ガヤガヤと他の人は友達がいる帰りの教室ほど、自分は1人であると感じる時間はない。今日も2人は他のグループのやつらと帰る。誘うのも申し訳なくて、1人で帰る。辛い。辛い。辛い。
イヤホンを取り出す。
ヨルシカだけが慰めてくれる。思想犯、レプリカント、エルマを聞く。

最近、この孤独癖というかぼっち癖みたいなものは、私のせいなのか環境に合っていないののどちらなんだろうか、と思う。高校生の頃から、周りと自分はなんとーなく合わないなーと思ってきて、それが大人になってから顕在化してきている。
人になんなく合わせるというのが苦手だ。
なんか違うと感じると離れたくなる。
潔癖症、不寛容、差別的と散々自分を責めてきたが、なんかもうそれに3,4年悩んでいると、これがデフォルトなんだと気がついてしまった。無理なんです。マジで。空気読んでる時ほど虚しい瞬間はないし、自分は間違っていると思っている意見を、わかる!と同調するのも苦手。まあ、単純に大人じゃないだけなんだけどさ。最近はどうしようもないと諦めてしまった。そんなわけで、今までのアプローチを変えて自分の居場所を探すようになった。これだけでも、成長だと思うが、大学が辛い事実は変わらない。
辛い。
ゆくゆくは自分の力で自分の居場所を作れたらいいんだけどな。今の私には無理かな。

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