”創ること”への仮説

だいぶ間が空きました

なんか前回も同じような導入だった気がしますが、年末か年明けに投稿してから結構時間が空いてしまいました
自分の中では最低でも四半期に1回程度は、何かその3か月の振り返り的に書きたいなと思っていたし、実際にPCに向かった時もあったのですが、
なんだかうまく考えが纏まらず、出せるものにならないなあと勝手に思ってやめてしまっていました

最近久しぶりにTwitterとかを見るようになったのですが、皆さんの発信力のすごさに驚きます

自分はやはり見る専的な使い方をしていて、本当にたまにつぶやく程度なので、なぜ自分がこんなにもoutputが苦手なんだろうかと
inputは人並みくらいにはしているのになあと不思議に思って考えてみて、
多分下の3つくらいの理由があるんじゃないかと思いました
①日々思ったことをメモしたり、振り返って考えをまとめる時間をあんまりとれていないので、コンテンツがない
②そもそもoutputすること自体に慣れていないので、自分の中で整理して終わっている
③書いては見るものの、「人に見せるようなものでもないな」と思って発信しない

まあ結局どの理由でも結果は同じなのですが、①と②、③は理由が全然ことなるので、せめて①はやろうよ・・・
ということだと思いますし、別にこれは発信するかどうかの問題よりも、日々漫然と生きないためにも大事なことかなと思うので、今日からやっていきたいと思います

②、③はまあなんとも難しのですが、特に誰が見ているわけでもないと思って、日記的にぺたぺた書いていこうかなと心新たにした次第です
(謎の決意表明)

飽きやすい性格と続くもの

と、いろいろ書いたのですが、たぶんこれは一事が万事で、自分はモノが続かないタイプだろうというのはもう結構生きたのでわかってきています

去年1年間だけでもnote投稿もそうですが、夜間学校に通い始めてみたり、転職してみたり、と大きなことから、日々のストレッチ、お肌のケア、とか細かいことまで結構新しいことに挑戦しているのですが、
まあ仕事はまだやめてないしnoteは本当にたまに書く程度はやっているにしても、ちゃんと続けるのは苦手です(学校はやめた)

いろんなことに興味はあるしやってみるのに、すぐ飽きるこの性格は何なんだろうと思います

ただ先日美容師さんとこんな話をしていてハッとしたのですが、一方で長く続いているものも超少ないけどあるのです
例えば読書、旅行、あとなぜかラグビー

これについて、共通の軸で整理してみると、多分、どれも思考や行動の上での制約が少ない(ラグビーは前に投げちゃダメだけど、後は人にぶつかっても何しても良い、雑に言うと)ので、新しい気付きが多く、
自分の好奇心が満たされやすく、興奮が多いんだと思います

僕が生きるうえで1つだけ原則があるとすれば、自分の好奇心は満たし続けたいし、そうでなければあんまりだらだら生きてもしょうがないな、と思っています

「じゃあ好奇心を満たし続けて何をしたいの?」って考えると空っぽなのですが、でも1つ生きる意味ってそこにあるなと思っている
人生一回だとすれば、自分の思考のフレームを引き延ばせるだけ引き延ばしてみたい!とこう思うのです

固定観念からの脱却・”考える”こと

翻って見ると、日々思考が固定化していることって多いなと思います

例えば、「月」って聞けば「黄色くて丸い月」しかすぐには出ないし、「コーヒー」は「茶色くて苦い」みたいな

これって日々生きるうえで脳のキャパを節約する、とか、皆にわかりやすいとかいう意味では結構大事なんですが、結局なんも考えてないということなんじゃないかと思うのです

それに対して何か聞かれても、「え、だってそういうもの」とか、「なんとなくとか」しか答えられない
それって思考をジャックされている、勝手に作られていることに近いなと

転職して一番良いなと思っていることは、”考える”ということへの解像度が日々高まっていること

所謂コンサルタント的な、外部からの知見提供を仕事にしているので、普通にみんなが会社で働いていて解けない問が持ち込まれる
それに対して、実体験はないのだけど、ロジカルに考えて突破口を開く

これって結局、実際に会社で働いている人がなんとなくわかっているようで言語化できていないとか、固定観念にとらわれて、存在しているんだけど見えていない選択肢を見える化してあげる以外のvalueって特にないんじゃないかと思っている

そうすると僕らがやることは、
①何が真の問題なのかを特定し
②考えられる選択肢を網羅的に洗い出し
③仮説を構築したうえで、分析等を通じてその正しさを検証し
④結果として何をアクションすべきかを伝える
⑤そして、「あ、その手があったか!」と思ってもらう
という以上でも以下でもないなと

その時に大事になるのが、やっぱり固定観念にとらわれずに、MECE(漏れなくダブりなく)に選択肢を洗い出して、適切な軸で整理するように思考を深める事だなと

結局、考える事はここに帰結するんじゃないか、と、だんだんその解像度が高まってきているような気がしています

”創ること”に対する仮説

だからなんじゃい、という感じですが、最初の自分の悩みを振り返って考えると、
何かを創ること、発信する事って、結局人に伝えたい発見が自分の中であったとか、伝えて価値がありそうだと自分が思ったとか、
そういうモノがないと、発信したいという衝動とか勇気って出ないような気がして
でもそれって、普通になんも考えずに生きていたら起こりえないこと

だからこそ、日々漫然と、自分の思考が固定化されていることに気が付かず生きるのではなく、できる限り自分の思考を疑い、他人の思考も疑い、
本当にそうなんだっけ?他に選択肢はないのだっけ?と問い続け、好奇心を満たしていくことで、ちょっとずつでも気付きを得ていきたいなと
それでこそ、発信したいという思い繋がるんじゃないかと、仮説を持ってみています

好奇心を満たし続ける事で何の意味があるかわからないという話を先にしましたが、こうやって問いと自分なりの考えを導き続けていけば、
いつか少しスケールを大きくして、世の中の常識を変えるような、そんな気付きを得られたりするんじゃないかと、勝手に自分に期待してみます


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