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『スノーデン・ショック』

スノーデン関連本で4冊目にご紹介するのは、監視社会についての研究で世界的権威であるデイヴィッド・ライアン教授による『スノーデン・ショック』です。学者の本なので、前三作ほど読みやすくはないですが、ビッグデータが監視強化にいかに関係しているかといった新たな視点をもたらしてくれました。


ビッグデータへの道のり

 スノーデンが暴露したNSA(国家安全保障局)などによる、一般市民がやりとりするメールなどを含むデジタルデータの監視は、前回のタッカー・カールソンの話でも垣間見ることができたように、今も続いていると考えたほうがよく、この本でもその点を次のように指摘しています。

ある情報機関、すなわちNSAと、加えてその提携機関と同盟国は、多くの国々の協力企業とともに、個人や団体、組織や政府を、何十年もかけて静かに作り上げてきた技術を使い、意図的に追跡する能力を持っている、ということだ。スパイのネットワークは広大であり、ほとんどは目に見えず、そして非常に強力である。「世界中の監視」は誇張された物言いではないのだ。

『スノーデン・ショック』

 そもそもインターネットは、軍事技術として研究開発が行われていたもので、それが1990年代、一般に使われるようになったとき、一人の小さな声でも世界中に届けることができるといった理想主義的側面が喧伝されたりもしましたが、最初から軍事的で統制的な設計が顕著だったこともあって、のちの発展においても監視と統制に傾いていったことが本書で指摘されています。
 私が自宅でインターネットを使い始めたとき、データ使用量の請求をたえず気にしていたことを思い出します。それがいつのまにか、いくら使っても定額となって、検索をしてもなかなか開かないページにいらいらしたことも過去のものとなり、ネットへの依存度が増していったわけですね。はじめてネットスーパーを利用したとき、トイレットペーパーも含む、重たいものが家にいながらにして受けとれたことに感激したものです。10年ほど前のことだったでしょうか。
 そうやって私たちがその利便性に魅了され、あらゆることに使い続けていくことで、インターネットが社会にくまなく張り巡らされていきました。そこででてきた概念が、「ビッグデータ」。巨大なデータ・セットの結合と分析と理解されるものとライアン教授が定義するものの出現とともに、「監視機関の可視性が少なくなり、市民の透明性が増すという明らかに道理に合わないことが、深く進行している」といった、憂慮する事態に発展してきたわけです。
 ビッグデータの危険性をこのあと論じていこうと思っているのですが、この原稿を書いているときに、ビッグデータとも関係しているAIによる監視強化の話を目にしたので、HEAVENESE style episode 204(1時間5分から)の内容を取り上げておきます。
 Google GeminiというAIが歴史的人物を作り変えていることがわかって、米国で社会問題となり、株価へも影響がでているそうです。グーグルのニュースプログラムはすでに偏っていて、リベラルの情報源からは63%もとられているのに、保守派の情報源からは6%しかとられていないともありました。また、AIによる回答は政権の意向を反映したものになっていることも番組のなかで紹介されていました。
 インターネットはテレビとは違う自由な言論空間として喧伝された時期もありましたが、ビッグデータやAIなどによって、これからは政権の介入が大きい、洗脳の道具となってしまう可能性が高くなっています。テレビと同じような道具となっていくのかもしれませんが、違いがあるとしたら、テレビは洗脳には有効だったけれども、監視まではできなかった。それがインターネットはその双方向性ゆえに、監視もできるという点です。その監視がビッグデータよってさらに強化されていくことに話を戻したいと思います。

安全を追求することにひそむビッグデータの危険性

 ビッグデータはそれまで進行していた監視社会を根本的に変える革命ではなく強化していくものだとして、ライアン教授は次のように語ります。

ビッグデータは監視に革命を起こしているのではない。監視の規模を確実に拡大させ、安全への脅威となる人物を特定する際に重大な誤りが生じる可能性を増大させている。ビッグデータの運用は、監視を技術的「解決」への依存により一層向かわせた。この傾向は、個々の市民に対する組織―規模の大小や政府と民間の別を問わない―の優位を打ち立てる。そして、それは暴力の回避のため動機や意図を推測する目的でますます予測的分析に依存しながら、管理に重点を置くという変化を強化する。

『スノーデン・ショック』

 ビッグデータはさらに「商業と政治の利害の合流を象徴する」とライアン教授はいい、国家安全保障が政治目標であると同じくらいにビジネスの目標でもあり、監視活動の世界において両者の人事交流が行われ、協力関係が強化されていくなかで、私たちが一番気を付けなければならないのが、人権侵害となるような冤罪が発生する可能性です。

我々はもはや自分たちのどんな情報が安全保障組織に傍受されているのかを知ることはできない。情報利用についての承諾は言わずもがなだ。ことによると、元々の文脈ではほとんど問題とならないものが新たな文脈では重大な結果をもたらすこともあり得る。

『スノーデン・ショック』

あるデータ断片間の明白な連関のため、ある人がまだ実行されてはいないが良くない行動を起こす可能性があると想定されることがなんらかの行動を導く。データは効果を持っている。行動を前進させるのだ。データは法を遵守する一般市民をいとも簡単にテロ容疑者に変えてしまう。

『スノーデン・ショック』

 実際にデータによってテロリストとされてしまった事実無根の人などの具体例もでています。それは極端な事例だとしても、そのような危険性をはらんだ安全の追求によって、もっと微妙に今まであった自由が失われることについて、ライアン教授は次のように自分の感覚的な所感を述べられています。

安全を追求する技術に裏打ちされた方法を模索することは自由の一形態だ。しかし、その自由の産物が、誰かと話したり連携する自由の日常的な享受を制限したり、政府の方針に異議を唱える自由を妨げたり、あるいは、ただ恐れなく生きることを抑制する場合には、何かひどく間違っていることが起こっている。

『スノーデン・ショック』

 私たち民主主義社会に生きている人たちでも、なんでも自由というわけではないですよね。世間的に言わないほうがいいと考えて言わずにすませることも多いですし、今のSNSでの議論では言うとバンされるといった理由で言えないこともでてきています。そういう制約はあっても、なんとかやりくりすることで、現状においてはある程度の自由は確保されているわけです。
 それが、監視社会が強化されると、どうなるのかを考えるときにいつも浮かんでくる光景があって、1990年、ソ連が崩壊する前に観光したときの光景です。労働者が同じような色の服を着て、押し黙って同じ方向にとぼとぼ歩いているとか、物がほとんどない店に暗い顔をした人たちがだまって列をなしているといったことなど、民主主義社会にある活気が全く感じられなかったことですね。
 アメリカ人の友人に紹介されて訪問した人の家でも、一つひとつの発言において何かを気にしているかのような雰囲気をたえず感じたことです。隣人同士の密告が当たり前のようななかで生きていれば、そうならざるを得ないのかなとも思うのですね。ともかく全体的に重たく陰鬱な雰囲気に包まれていて、そんな中を観光バスで北上し、10日ほどでフィンランドに抜けた時は本当にほっとしたものです。
 これからビッグデータによってますます監視が強化されていきそうですが、そのビッグデータの運用をめぐる指針のようなものが問題となってくるのだと思います。ビッグデータ以前に、安全を口実とした監視社会の強化について、どうするかといった論点など、ライアン教授は網羅的な議論をされていますが、ここではビッグデータにまつわる倫理観について取り上げたいと思います。

求められる倫理観

 スノーデンは自分の倫理観に照らして自分のしていることがもつ意味を深く理解し、そして身の危険を冒してでも、NSAがしていることを知らせることが自分の使命だと決断し、行動に移したわけですね。ところが大学で教えているライアン教授によれば、多くの学生は、自分がやっていることの波及効果に理解が及んでいないし、そんなことも大学ではほとんど教えていないとしています。
 そういった学生たちが企業で働き始めても、自分がしていることの倫理的側面に考えが及ばないことは明らかで、スノーデン自身、NSAのような組織において、毎日の決まり仕事が職員らを鈍感にすると次のように語っています。

監視は机上の仕事で、コンビュータのスクリーン上でデータを処理することだ。彼らは、監視が人々の将来に悪影響を与えるに足る、他人の人生を変えるような侵害行為であることを簡単に忘れてしまう。 

『スノーデン・ショック』

  忘れてしまう人は、何も気にせず、毎日のルーティンとしてデータの処理をしているのでしょう。そしてそのなかによしんば倫理観の強い人がいたとしても、結局、次の記述です。

企業内のセキュリティ専門家はしばしば半ば隠された政府の目的のために働き、また企業内であっても箝口令の下にある。

『スノーデン・ショック』

 会社で秘密保持契約のようなものへの同意を求められて、スノーデンほどの決意をしなければ、何も言えないまま日々を過ごすことになるのでしょう。以前にも書きましたが、IT企業に勤めていた私自身が、それが監視社会の強化に加担する行為だという意識は全くなかったのですね。利便性の陰にある危険性に、被害を受ける前に気づく感受性が求められているのだと思うのですが、便利を追い求めるような意識が強いと、そこには考えが至らないのですね。
 いずれにしても、今の倫理観がないような状態から倫理観をつくっていくうえで大事なキーワードがプライバシーということで、ライアン教授は次のように書かれています。

ビッグデータの運用上の倫理が見いだされるべきで、データと個々人との間のますます広がる断絶の問題に対処することが急務であるということだ。プライバシーは依然として、不適切で不つり合いなほど肥大した違法な監視に対して反対を呼びかける卓越した概念である。だから、ある種の情報収集に令状を必要とするような法的制限や、暗号化もしくは匿名化といった技術的制限を提案する人々、それから、ビッグデータの世界に適した内容をもつプライバシーの概念を再び吹き込もうとする人々の努力は本当に意義がある。

『スノーデン・ショック』

 アプリなどをインストールすると求められる同意文書に、プライバシーポリシーが必ず記載されていますが、私はそれらの記述をほとんど読んでいません。アプリは必要最低限しか使わないことにはしているものの、結局、同意しなければ使えないから、必要悪と考えて、えいやあと同意していたわけです。そしてプライバシーの大切さは、スノーデンの本を読み始めてから少しずつわかってきたものの、つかみにくい概念だと感じています。とはいえ、プライバシーポリシーといったものがあること自体、その活動をしてきた人たちの努力の賜物でもあるわけですから、そういった先人たちの視点を今後の読書でさらに深めていきたいと思っています。

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