おかんのこと
今うちのおかんはがんの闘病中で入院している。
とても危ない状況なのは分かっているけれど、あの人なら必ず回復してくれると信じている。
毎日毎日おかんのことばかり考えているので、ここに今までの思い出などを書いて気持ちを整理したいと思う。
おいたち
おかんは長崎県五島列島で5人姉妹の末っ子として生まれる。父親はおかんが3歳頃の時に、海へ漁に出た時の事故で亡くなっているので女手ひとつで育てられる。
中学卒業後、愛知県へ移り住み夜間学校へ通いながら日中は近所の開業医の元で准看護師として働いていた。
おやじの前に「のぼるちゃん」という岡村隆史似の優しい年上彼氏が居て、彼の実家に一緒に行くくらい親密になっていたらしい。
しかし、今のおやじの方がダンスが上手くてイケメンだったので、心変わりしてしまいおかんの方から「のぼるちゃん」を振ってしまったそうな、、、。我が親ながら溜め息が出るエピソードだけど、本人が1番後悔してるみたいなので、若気の至りはそれだけ怖いってことなんだろう。
なんにしても末っ子パワーも相まってかなり天真爛漫な性格が根っこの部分、遠く離れた地での人生経験で色々気遣いが出来るようになった部分の2面性があった様に思う。
悪いところ
こんな時に言うのもなんだけど、うちのおかんには悪いところもある。ものすごく大好きで尊敬しているが、こればっかりは見逃せない悪いところがある。
圧倒的に口が悪い。息子が言うんだから間違いない。
今からもう14年程前、僕が新社会人で働き始めて社会の荒波に揉まれ始めた頃の話。
当時人手不足だった事もあり、割と早い段階で教育期間を終えて独り立ちを命じられ「自分にちゃんと務まるんだろうか」とオドオドしてしまっていた。
そんな僕を見た事業所の責任者が
「お前なんかでやれるのか!!」
と謎の叱責をしてきた。
今だったら「いや、充分な教育期間も与えずにやれって命令してるのそっちだろうが。責任転嫁すんな。」とでも言えるのだが、当時はまだ若くて素直だったので普通に凹んだ。
家に帰って様子がおかしかった僕を心配しておかんが「なんだ、、、?なんか会社で嫌なことでもあったのか?」と声をかけてくれた。
「上司の信頼を得られなかった」と考えてしまっていたので少し言いにくかったけれど、精神的にキツかったので会社であったことを話した。
すると、少し間を置いて
「、、、はぁ?ぶっ殺してやれそんなやつ!」
と言われ耳を疑った。
え?、、、ぶっころ、、、?とキョトンとしていると
「おっかんがぶっ殺してやるかそいつ!」
いやいやいや!!いい!!ぶっ殺さなくて!!!!
その後はおかんを宥めるのが大変で自分の悩みなんかどうでも良くなってしまった。
この人に安直に相談するのはやめようと思ったのと同時に、まるで自分の事(もしくはそれ以上)の様に怒ってくれたのを嬉しくも思っていた。
他にも、2歳頃の孫(僕の息子)が同い年の子に押されて転んでしまった(もちろんワザとじゃない)動画を観て
「なんだこのクソガキ!うちのかわいい孫に!!」
とキレまくったりしていた事もあった。
流石に本人を前に喧嘩っ早い事をする様な事は無かった(と思う)けれど、自分の家族に危害を加えられたりすると攻撃的になる節があったなぁ。
まぁそういうの関係なく「おい」とか「ムカつく」とか日常的に言ってたので普通に口は悪いだろう。
とにかくそんなこんなでうちのおかんの悪いところは「口が悪い」ところである。
男を見る目もないのだけれど。
良いところ
おかんの良いところを挙げるなら「家族愛が強い」ところだろう。圧倒的に。
これは家族愛が強すぎる故に攻撃的になるので良くも悪くもあるのだけれど。
ただ、僕にとってはいつだって圧倒的に味方で居てくれたので、息子の視点からしたらとても良いところだと言えるだろう。
基本的に何かにチャレンジをしようとした時、資格を取る、受験、転職、趣味、、、絶対に「お前ならやれる」と言ってくれた。ほぼ即答で。
言われた時は「何を根拠に言ってるんだ。難しさを知らないから気軽に言えるんだ。」と捻くれた根性が顔を出す時もあったけれど、今思うとあれは失敗した時の為の予防線を張っていただけだったなぁと反省している。ごめんね、おかん。
でも、そんな根性なしの僕でもチャレンジしてみようと思えたのは、そうやって心から信じてくれるおかんがいたからだって今すごく分かる様になった。
高校受験で志望校に受からなかった時は、一緒に泣いて悔しがってくれた。
小学校の頃から希望していた大学に合格した時は、一緒に叫んで喜んでくれた。
自己採点で絶対落ちたと絶望してた社会福祉士の合格通知が届いた時は泣いて大喜びしてくれた。
どんな結果になっても一緒に気持ちを共有してくれた事がどれだけ嬉しかったか。
大人になって色んな人の話を聴いたり見て来たりすると、そういうのって決して「当たり前」の事じゃなくて「有り難い」事だったんだって、やっと気付いたよ。
昔からおかんは僕たち兄弟を子供扱いしないで気持ちを共有することを大事にしていたと思う。
僕らが夢中なって観ていたアニメや漫画には必ず目を通して自分の推しキャラを持っていたりした。
ドラゴンボールでは「おかんはピッコロが大好き!」といつも言っており、劇場版で悟飯のピンチにピッコロが駆け付けると「ピッコロが来た!やっつけろ!!」と盛り上がっていた。
そんな姿を見て当時は「うちのお母さんは本当にピッコロが好きなんだなあ」くらいにしか思っていなかった。こんな面白いアニメ誰が観たって夢中になるに決まっている、と思っていたのだ。
呑気なものである。
たしかに、普通に楽しんでいる部分もあったんだろうけどそれ以上に「息子たちはどんなことに夢中になっているんだろう?」という気持ちから積極的に観てくれていたに違いない。
30代の女性が、現代みたいにアニメが当たり前に観られていた訳じゃない時代に、ただただ好きで観ていたとは考えにくい。
思春期を過ぎた頃からは自分の好きを追い求めるようになり、大好きな中山美穂のドラマを少なくとも100回以上は繰り返しで通しで観たり、韓流ドラマを次から次へと観て過ごしていた。
今まで息子に合わせて来た反動だろう。
当時は何度も同じものを観るのでうんざりしていたが、僕らも録画したドラゴンボールなどを何度も繰り返し観ていたのでお互い様だと思う。
多分。
おやじとのこと
おやじのことをあんまり事細かに書くと、マジで碌でもないことばかりになって人格否定をする様な内容になってしまうので詳細は控えるが、大まかにはこんな感じだ。
ギャンブル依存症で借金を繰り返し、育児にはほぼ一切参加せず(次男の僕は2人でどこかに連れて行ってもらったりした覚えがない)、気に入らない事があれば妻だろうが息子だろうが手を上げ、ヘビースモーカーでどこであろうとスパスパ吸う感じの人である。女もいた。
大まかに書いたのに控えめに言ってクズである。
やっぱり詳細は書かないに越した事はない。
まあヘビースモーカーなのはおかんもそうだったのだけれど、がんが発覚してすぐにスッパリと辞めている。
親父は辞めていない。
流石におかんの目の前では吸わないようになったけれど。はよやめろ。
そんなヤツと負けん気の強いおかんである。当然のごとくほとんど毎日の様に言い争いをしていた。
とは言ってもおやじは元々口下手なタイプなので、口喧嘩になると「うるせえ!」とか「バカが!」みたいな事しか言い返せず、エスカレートすると手が出てしまう、といった感じだった。
後におかんが「あいつは口喧嘩が弱いの分かってるのに言い過ぎてたおかんも悪かった」と反省していた。
ちなみにちゃんと反省するのもおかんの良いところだと思う。
そんな「なんで結婚したん?」と疑問しか浮かばない夫婦だけど、ある意味言いたい事はなんでも言い合える関係だったんだと思う。
おかんは嘘を吐くのが下手な方だし(口は固いけど)、言えないとだんだんと悪い気持ちを溜め込むタイプだと思うから、ああいう親父と結ばれたのかもしれない。
というか、それくらいしか前向きな理由が見つからない。
言ってはいけないこと
思春期頃と、婿入りを相談するタイミングで、言ってはいけないことを口走った事がある。
僕は母親は大好きだったが、父や祖母については不満を抱いていた。
というかハッキリ言って大嫌いだった。
今は色々あってそんな事はない。むしろ好きにすらなった。
人間変わるもんだ。
昔おやじに言われて腹が立った言葉
No.1「お前はガキだからまだ分からんのだ。いずれ分かる。」
がまさか現実になるとは。
当時のおやじの価値観に完全に同意する事はないがたしかに「分かる」様にはなった。
閑話休題。
ひとつめ。
当時おやじとそのばあさんが嫌いだった僕は、原因は覚えてないが何かにキレていた。
そして、おかんの前でおやじとばあさんへの罵詈雑言を吐いていた。
見兼ねたおかんが
「自分を産んでくれた親やそのおばあちゃんになんて事言うんだ!2人が居なかったらあんたは居ないんだぞ!」
と僕を諌めた時に
「別に産んでくれなんて頼んでない!頼むならあんな奴らが居ないもっと良い家にしてたわ!」と言い返してしまった。
それを聞いたおかんは怒ることもなく
「そうだなぁ。ごめん。」
とだけ哀しそうに言った。
最悪。書いてるだけで吐き気がする。
一応言い訳をしておくが、おかんの元には産まれたかったけど、あいつらには頼んでないって事が言いたかったんだと思う。
アホだなぁ。
何ひとつ欠けても無理なのに。
おかんはおやじと結婚しなかったら、僕らが産まれてこなかった事をもちろん分かってた。
そして、僕ら子どもが全てだったのでその全てに関わるルーツを子ども自身に否定される事が許せなかったんだと思う。
どんな事があっても。
僕も今の相手と結婚しなかったらどうなってたんだろう?って考える事はあっても
結局「でもそうしたらうちの子産まれてないからそれはないな」ってなってしまって終わる。
自分の子どもが存在しなかった世界線なんて、とても許容出来ないのだ。
ふたつめ。
婿入りをしようと勝手に決めておかんに伝えたら、賛成出来ない、とお断りをされる。
碌に相談もしてないので当たり前だ。このバカと言いたい。
しかし、この時はまだおやじとばあさんに嫌な感情を抱いていた僕はこともあろうに
「今までこの姓が僕らに何をしてくれたの?今の姓なんて捨てていいと思ってる。」
と大暴言を吐いてしまう。
これにおかんがブチギレる。
今思えば当然。
間違いなく人生で1番怒らせた。
ここからおかんの大反対が始まった、、、けど結局は許してくれて結婚をしている。
なんて器の大きいおかんなのだろう。
これにも一応言い訳しておくが、僕はおかんの旧姓だったら婿入りにはかなり抵抗があったと思う。
大好きなおかんの家の姓なら大事にしたい。
でも今までさんざんおかんを大変な目に合わせて来て、離婚直前までなっていたのだからそこまでこだわりはないだろう、、、おかんも。と考えていた。
そんなわけないのに。
この姓になった先に僕らが産まれて、僕らを守るために必死で戦ってきたおかんの人生があるんだから。
それを軽んじて「捨ててもいい」はいくらなんでも雑過ぎる。
過去の自分は存分に叱られてほしい。
この2つはずっと謝らなきゃって思いながらも、許してくれたのをいいことにちゃんと伝えないでいた。
でも、先日とうとうちゃんと謝る事が出来た。
笑いながら
「もう過ぎた事だよ。とっくに許してるから泣かんでいい。」
と言ってもらえた。
涙が止まらなかった。
ちなみに、ひとつめの事は覚えがないが、ふたつめに関してははらわたが煮え繰り返るくらいキレていたらしい。
兄から「宥めるのが大変だった」と後日怒られた。ごめん。
そんなふたつめを許してやるかと変わったきっかけは
「自分も嫁入りをして旧姓から変わったんだよなぁ、、、かあちゃんや親戚のおじさんと喧嘩して飛び出してきて結婚したし、、、自分も同じ様な事したんだよなぁ、、、」
と思ったかららしい。
おかんの過去の出来事に救われるとは、、、繰り返すんだなぁ。
僕も息子に何か言われて腹が立ったらこの投稿を見返す事にしよう。
自分の事棚に上げて言えなくなるだろう。
最愛のおかあさん
そんなおかんは今もがんと一生懸命戦っている。
苦痛が激しくなったのでモルヒネの投与が始まり、はっきり喋ることも難しくなっている。
だけど、まだきっとここから良くなってくれると信じている。
身体がすごくポカポカしていて、とてつもない気力を保っている。
危ないと言われて、僕は奈良から飛んで駆けつけたが兄弟2人が揃って今は安定してくれている。
だって、僕たち兄弟を全身全霊で愛を注いでくれた最愛のおかあさんなのだから。
ずっと側に居るから安心してね。
心の整理をしようと思ってスキマ時間に書き始めたが、書くことが多くてとても書き切れるものじゃないな。
多過ぎて書けるか、そんなもん。
今おかんの部屋のソファーに横たわりながら、ベッドの横に椅子を並べて寝そべっている兄を眺めている。
久しぶりに親子3人で昼寝でもして元気溜めるかぁ!
今日は天気が良くて暖かい☀️
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