私がthe pillowsを好きになるまでの話
自分がthe pillowsというバンドを好きになるまでに生きてきた自分の環境や生い立ちから話す必要があるのかもと思ったので普通とは違った環境で育った自分の生い立ちについて書いてみる
物心着いた頃から児童養護施設で18歳まで育った
施設が作ってくれた記録を見る限り2歳から施設にいたらしい。
自分が世間一般的にみた普通の環境で育ってないと言うことを認識し始めたのは小学生の頃だと思う
なぜ親に育てられていないのか周りの同級生や下級生に聞かれても自分自身もなぜ親に育てられていないのか答えられないし今でもはっきり分かってない
施設全体の人数は80人くらいだったかな
2歳~5歳までの子達が同じ棟で小学生~高校生までが同じ棟にいて小学生と中学1年生までが6畳の部屋に同じ部屋ってのが6部屋くらいあったかな
誰がどの子と同じ部屋で誰と同じ部屋になれるのかは子どもたちは選べないけど1年に1度だけ部屋割りっていうのがあってどうしても合わないと判断された子達を離したりする学校で言うクラス替えみたいなものはあった
1部屋に1人担当の職員さんが部屋を持って子供たちの基本的な面倒を見るのだけどもちろん職員さんと子供たちにも合う合わないがあるから職員さんの入れ替わりもあった
その施設に物心ついた頃からいるので他人と生活する空間が当たり前で他人と言う意識もそこまでなかった
小学生の高学年の頃には自分で着た服を干すのも自分で使った食器を片付けるのも当たり前だった
中学生からは毎週入れ替わりで大人1人含め5~6人くらいで厨房の掃除をしないといけなかった
施設はたくさんの子たちのご飯を用意しないといけないため食堂で働く職員さんがいて大きい鍋に棟分で汁物やご飯なんかを作ってた
そこの厨房は飲食店の厨房みたいな感じですごく広くて日替わりの掃除は中高生以上は必須だった
みんなやりたくなかったけど嫌々やっていた
私もすごく嫌だった、ゴキブリがいるのは茶飯事だったし最悪なのは厨房に入る時に履く長靴の中にゴキブリがいたという話、それを直で踏み潰してしまった女の子の話を聞いた時は鳥肌が止まらなかった
今思えば思春期の子(中学1年生)が小学生と生活するのは相当ストレスだったと思う
綺麗好きの子がだらしない子と同じ空間にいるのが嫌なのは当たり前だし性格が合う子もいれば合わない子もいるのは当然だった
時に中高生の子たちのストレスが限界で小学生を泣かしてしまったりいじめが起きたりすることもあった
私はなるべくいじめのターゲットにされないように逆らったらまずいと思った人の顔色を伺って生活してたと思う
すごく運が良かっただけなんだと思うけどその部屋で1番歳上の子にすごい好かれてた
もちろん好かれるための努力もしたその子は少し潔癖症なところがあって部屋を汚くしないようにとか自分自身の身なりも気を使った
そーゆう訓練みたいなものがあったからか相手がして欲しいことや相手のテンションを合わせたりする能力はあったと思う
その頃は自分の生活を守るのに必死だったからそこまで自分自身の性格を理解してなかったけど今考えたら自分が平穏に暮らしてく為の自分の立ち位置を理解するのは得意だったんだと思う
性格は明るくて小学生の頃はマイペースで先生によく怒られてた記憶がある
協調性がなくて周りに自分の行動を合わせられないような子だった
自分の好きなことしかしてこなかったから外遊びは好きだけど勉強は嫌いだった
夏休みの宿題は終わらせないしテストで良い点数を取った記憶がほとんど無い
音楽に興味を持ち始めたのは中学生の頃深夜帯のアニメを見ていてそこで主題歌をしてたかっこいいと思った音楽を自分でメモして覚えておくようにしていた
SpecialThanksに出会ったのもこの頃だし高校生の頃に好きになったUNISON SQUARE GARDENに出会ったのもこの頃だった
当時は音楽を聴く手段がなかったので知らない音楽を知る方法がアニメの主題歌かチャリで10分くらいのところにあるショッピングモールの中のHMVで貰えるフリーペーパーだった
ちなみにまだ pillowsには出会ってない
中3の受験位のタイミングで自分の中で今までとは意識が変わり始めた
高校に行けないと施設に居られなくなるということを上の世代の子達を見て理解した
今まで勉強はしてこなかったので行けそうなところに入って何とかしないとという焦りが自分の中で出てきてた
その頃同時期に施設の内装工事が行われた
中高生と小学生が同じ空間で生活するストレスを減らせるように少人数で生活するユニット化が色んな養護施設で進められてたらしい
工事中は同学年の女の子2人と同じ部屋だった
1人凄く仲のいい子がいたけど同じ部屋になった途端ギスギスし始めた
自分は人とある程度の距離感がないと上手く付き合えないんだと認識したのはこの頃からだったと思う
そして何とかして高校に入学することができた
新しいユニットが出来て高校生は一人部屋を与えられたそのタイミングで担当の職員さんが変わった
30代の男性の職員さんでその人も音楽が好きだった
後の恩人となる人なんだけど仮でこの人をmさんと呼ぶ
mさんが好きだったdustboxというバンドに当時ハマったのがパンクを好きになるきっかけだった
高校を中退した子達が施設から居なくなるのを見ていたから自分は卒業までできるように最低限のことはしないといけないという認識はあった
高校生になってWALKMANを購入しTSUTAYAでHMVで見つけたフリーペーパーから気になるバンドのCDを借りてWALKMANで聞きながら通学するのが楽しかった。
SpecialThanksのPunk Rock PartyやSEVEN LOVES
というアルバムを知ったのもこの頃でパンクをもっと好きになっていった。
WALKMANにたくさん曲が入っていくにつれ自分の中での生活が音楽を中心とした生活になって行った
中学の頃当時高校生だった女の子に貰ったベースを弾いてみたいという思いからベース教室に週一で通ってひとりで部屋で練習するのが楽しくて仕方がなかった。
今はもう全然練習してないし弾けなくなったけどなにかに夢中になる楽しさを見つけられるきっかけだった
その頃には自分の時間や自分のペースを邪魔されるのが何よりもストレスで高校生活は最低限やるべき事をやりアルバイトをしながら貯めたお金でスマホを購入した
私生活でも朝は自分で起きて学校に行くし部屋を綺麗に保って周りに迷惑をかけないようにするのも自分の中では当たり前の事だった。
やるべき事をすれば誰にも文句を言われずに好きなことを楽しめる時間として使うことができるからだ
自分の中で自由であるという事が自立した生活を作っていくというのも施設での生活していく中で身についた感覚だった。
まだpillows出てこないです
期待させてしまってすみません
長くなるので続きは分けて書こうと思います。