本当の気持。?

僕は鬱でも躁でも基本的に希死念慮を持っている。楽しい時でも「楽しいけどなんか死にたいな〜」と思うからどうしようもない。

でもこれはあくまで希死念慮。自殺願望のように絶対に死んでやるというようなものではなく、なんとなく死にたいのだ。(希死念慮とかいう便利な言葉思いついたのすげーよね)
ただ、鬱が強くなってしまうと自殺願望になってしまうから注意が必要だ。

まあそんなこんなで情緒を乱しながら過ごしている。odする時もリスカをする時も本気で死のうとは思っていない。むしろそれらは生きるためにしているのだ。

このままだと希死念慮が自殺願望になってしまう→その前にストレスを発散しないと→ヨシ!!(自傷)

これが僕の思考。odは単純に楽しくなりたいからでこれとは少し違うが…

まあ基本的にはこんなんだ。本当に死のうとはしていない。しかしうっかりやりすぎてしまうと、「マジで死ぬかも」という感覚を覚える。

普段生きていてもそうなる事はあるだろう。事故に合いかけたり、物を喉につまらせたりetc…

本当に肝が冷える感覚。漫画にあるように喉がヒュッとなる。(ちなみに今は前日のodで心臓へ負担をかけすぎて止まらないかと冷や冷やしている……)

その瞬間は本当に、心から「死にたくない!!」と思う。

あくまでも、生きたいとは言っていない。死にたくないだけなのだ。

死にたくはない。死ぬのは怖い。これは全人類が猿の時から持っている防衛本能。恐怖心があるからこそ人間はここまで発展できたのだ。

とは言っても普段から死にたいと呟いてるような奴がいざ死を前にすると死にたくないなんて、あまりにも虫が良すぎる。あまつさえ生きたいわけじゃない、死にたくないんだとか変な拘りを言いだす始末。

矛盾でしかない。

そうなる度に本当の気持ちとは何なのか考えてしまう。いつも持っている死にたいという気持ちは嘘なのか、それとも瞬間的に出てくる死にたくないという気持ちが嘘なのか。
どっち本当でどっちが違うのか。もしくはどちらも本音なのか。
嘘をつき慣れた人間は自分にも嘘をつきすぎて自身の何が本当なのかもわからなくなってしまう。
だからといって今更この性格を治すことはできない。白黒つけなくても良いという寛容な考えが染み付けばこんな意味のない事に時間を使わずに済むのだろう。
そうやって足りない物を埋め合わせるように性格が形成されていくのかなぁなんて。


やばいまとめ方が思いつかない。無理やり綺麗事でまとめることはできる。でも僕は綺麗事が吐くほど嫌いだ。そういった気持ちにまで嘘をつくほど落ちぶれてはいない。まとめとかないです。これは僕の僕による僕のための記事だから。散文と言っておけば良いでしょう。
少なくとも、もう自分には嘘はつきたくないなぁ……

そうやって無理やり思考を放棄した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?