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視点が変わったときに起こる変化

こんにちは、もなこです。

直近の2回は幼い頃の記憶を辿って、ちょっと暗めなお話しを書きました。
癒されて元気になるアカウントにしようと考えていたのですが、ちょっとズレてしまいました汗

でも、肩ひじ張らず気楽にnoteを書いていこうと考えた記事なのでそのまま受け止めていただけると嬉しいです。

関連したお話しで、次の話題です。

noteを読まれる方は、本を読むことも多いと思います。
サスペンス系の小説を読んだときに、事件は起こるべくして起こったって思いませんか?
わたしは湊かなえ先生の作品を読んだときにそう思いました。
これはどうしようもないよなって。
登場人物に感情移入したときに矛盾点がないのです。
他のドラマや映画でも同じです。事件は起こるべくして起きていますよね。

ここからわかることは、根本の原因は登場人物の考え方・捉え方・思考になります。

わたしの若い頃の捉え方は常に受け身で、なにか「される」という視点を持っていました。
すべて外からの要因のため、他人によって心の内が右往左往乱れ、物事は起こるべくして起こっていたのです。

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大きく変化があったのは、自分を大切にしようと決心したときでした。
どちらに利があるかという考え方をやめて、自分の心が何を求めているのか、何を感じているかを基準にするようにしたんです。

軸を他人から自分へ移しました。
外から内側へ。

「〇〇するべき」という思いに捉われたら、それに付随する恐怖とかそういう感情を解き放つ練習をし続けました。
疲れたら休むし、無理もしません。仕事も休めそうな日は堂々と休みました。

同じサイクルの生活をする中でも、少しずつ起きる出来事や出会う人たちの変化がありました。
だんだん「自分の機嫌は自分がとる」という言葉の意味を理解できるようになっていきました。

美味しいものを食べて、休養をとり、好きなことをやる。
子供たちと川沿いを走るとか、夕日を見に行くとか、夜コンビニへ食べたいものを気分で買いに行くとか、そういう小さなことです。

合わないものからは距離をとるようにしました。

自分が満たされてくると、満たされない人がなぜ満たされないのかがわかってきます。
だって以前の自分自身ですからね。

どんな人の中にも、純粋無垢な魂がいて、その魂は子供の時のままなんです。その人の中に泣いている子供がいることに気付けたら、許すとか許さないとか、どうでもよくなりました。

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わたしはとても楽に生きられるようになりました。
でも、他人は何も変わっていないままです。

変わったのは私だけ。

自分が変化するだけで幸せになれるということは、大事なのは自分自身の捉え方・視点・思考・行動だけだということです。

それからほどなくして、人生の中で大きな動きがあったときは、自分の力は何も及んでいないことに気が付きました。
動くときはスムーズに変化していくのですが、特に何もしていないんです。

自分が生まれてこれたのも自分の力ではないし、
妊娠出産が無事にできたのも自分の力ではありません。
体が丈夫なのも、私の力ではありません。

そう思うと「お蔭様です」という感謝の念が現れてきました。

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人間関係とは不思議なもので、その時々に最良の学び相手が登場します。
学びが終了すると、距離ができたり、縁が切れたりするのです。
どれも有難い出会いでした。
気付くまでずっと似たような出来事が起こるんですから親切ですよね笑

そしてこれからも、新たな出会いと別れがあるのでしょう。

これからは、空から自分を視るように、高い視点から眺めてみようと思っています。

そして、流れるエネルギーに身を任せるように、神や自然霊というものを信じて委ねて生きていこうとも思っています。

「気のせいかも」と感じることは、きっと”氣”のせいです。
そこに流れるエネルギーをちゃんと捉えられているのだと思いませんか?

言いたいことが書けたような書けてないような…
最後まで読んでくれてありがとう!

ぜひご自身の感覚を信じて、内側に意識を向けてみてくださいね。
ではまた!






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