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生きること、そして人生について。

今、この瞬間、この世界に生きている。
この生きている実感というのは、
意識を向けない限りは感じられないと思うのですよね。

ただ何となく時間を過ごしていても
それでも生きれてしまう、現代の日本。

世界は常に変化していて
自分は大して変わらないのに
周りはどんどん変わって、
ますます便利になって、環境も豊かになって、
新しい優れた便利なものも世の中に出回って、
日々刻々と変化していっています。

それは、誰かの研究の追求や、日々の研鑽、
閃き・インスピレーションや、開発の努力や協力、
過去の多くの人々の叡智の積み重ねや
そこに注ぎ込まれる労力の恩恵のお陰で
生み出されているものだと思います。

本当に豊かな時代に生きているなと感謝します。

でも、豊かな時代といっても、
どの国のどのエリアのどの場所で、
どんな環境下で生まれたかによって、
その恩恵を受けられるかどうかは変わってきます。

私が子供の頃、
『世界がもし100人の村だったら』
というTV番組を見ました。
そして、これは書籍にもなっていて、
シリーズとして何冊か出版されています。

この本の内容を、私の子供たちにも知らせたくて、
日本の実家の本棚に今も置いてあります。

世界の情勢は日々変化しているので、
実際の現状の全てはわかりませんが、
現代はインターネットが普及している世界なので
世界のどこかでどんな問題が勃発しても、
世界中にニュースとして瞬時に伝わることも可能です。

実際にその現場に行かなくても、
ある程度の状況の情報は手に入れることはできます。

なので、日本以外の国や文化の実情というものを
知ろうと思えばいくらでも知ることができます。

それを知れば、自分が現代日本に生まれて
その環境の中で生きられているということが、
どんなにか恵まれていて有り難いことなのか
ということを少しは実感できると思います。

自分を磨こう!進化・向上しよう!と決心して、
適切な努力を積み重ねれば、必ず知識やスキルを
手に入れることが可能です。

日本を始めとして、先進国に生まれれば、
飲む水がない、食べるものがない、
安全に眠れる場所がない、親がいない、
スラム街や命の保障もない危険なエリアに住んでいる
という状況下ではないと思います。

どんなに過酷と思われても、
日本に生まれたというだけで選択肢があります。

どう生きるか。
どんな人生を選ぶか。
決めるのも自分だし、行動するのも自分です。
生き方が選べるということは、
すごくラッキーなことだと思います。

情報は様々なので、どんな媒体のどんな人から
どのような情報を入手するかで、情報の質は変わってきます。

でも、一般のTVやメディア以外にも、
インターネット上などで、
個人で自分の主張を発信している人もいますし、
革新的な考え方や、日本の一般的な常識に捉われない視点から
様々な見方を発言している人もいます。

ありとあらゆる情報が錯乱して、情報過多な時代なので、
自分にとって必要な情報は選ばないといけませんが、
でも、素晴らしい考え方の視点を持っている人や、
幅広い視野で、俯瞰して物事を認識して判断して、
世界がより良くなるようなものの考え方を
発信している人も多くいます。

なので、情報さえ選べば、モデリングしたいと思えるような
目標としたい人も見つかるでしょうし、
自分が進みたい分野でメンターとする人を探し当てて
その知識や知恵を参考にして、
向上するために努力するということもできます。

今生きていても、ただ生物として生きているだけで、
本当の意味で生きていなかったら
宝の持ち腐れというか、もったいないと思いませんか。

才能を磨かなかったら
そのまま何も変わらず現状維持またはそれ以下で、
人生の時間はあっという間に流れていきます。

昨日、作家のジョン・キムさんのあるYouTubeを目にしました。

彼が影響を受けた本に、
哲学者・思想家のセネカの『人生の短さについて』
という本があるそうです。

ジョンさんは、お父様を子供の頃に亡くされて、
子供の頃から一人暮らしをされていたそうです。

お父様は教師だったとのことで、ジョンさんは、
お父様の遺された本を読んで過ごされたそうです。

ジョンさんにとって本は、家族のような存在で、
本によって救われて生きてきたと思うと仰っていました。

その、セネカ氏の著書の内容としては、
人間は人生を短いと嘆くけれど、
人生を短くしているのは自分自身であると。

人生を短いと言いながらも、
あたかも永遠に生きられるかのように
怠けた生き方をしたり、
また、自分の人生で本当に大切なことを見極めずに、
また、本当に大切なことに対して、
自分の時間とエネルギー、集中力、愛を注ぐことをせずに、
ある種どうでもいいこと、本質的ではないようなことに
自分のエネルギーと時間を使ってしまっている。

なので、本当に自分の人生を生きる。
また、大切なことを大切にする瞬間の積み重ねがあるとするとすれば、
人生は決して短くなくて、
人生は一度生きれば十分なのだと。

なので、決して人生というのは、
生きた時間の長さではなくて、その人が生きた時間の深さ。

つまり、瞬間に対してどれほどの集中力を持って、緊張感を持って…
その瞬間というのは、時間のかけらであって。
命のかけらが時間であって、
時間のかけらが瞬間であるとすると、
今、自分が手にしているこの瞬間に対して
我々がどれくらいの集中力を持って生きたか?という
その生きた時間の長さではなくて、
時間の深さによって人生の価値は決まるのだと。

なので、100年生きても200年生きても
その人が本当に自分の人生を生きていないとするとしたら、
その人生は、ただ運面の女神に人生が翻弄されただけの時間であって、
自分の人生を生きたとは言えない。
という、そういうことを遺しているそうです。

セネカの死生観も、ジョンさんは共感を持っているそうです。

人間は、生まれた瞬間に死ぬことが決まっている。
それが、最初からの神様との約束なんだと。

だから、人間は長く生きたい、永遠に生きたい
という欲望を持っているとしても、
実際それは不可能であると我々は最初から分かっていて、
必ず終わりが来るということわかっている。

ただ、そういう人生の有限性、限界があるということに加えて、
終わりというものは、ほとんどの場合は予測不可能なんだと。

つまり、生まれる順番はあっても、死ぬ順番はない。
死というものは、年齢に関係なく、
いつ、どんな時に訪れてもおかしくはない。
それを、十分、我々が認識することが大事なんだと。

なぜ大事か?というと
自分の終わりがいつ訪れてもおかしくないのだということを
本当に明確に我々が認識できるのであれば、
次の瞬間に終わりが来るかも知れないということがわかる。

そうすると、我々が次の瞬間に終わりが来ても、
自分は悔いのない人生を生きたか?ということを
自分が胸を張って言えるような人生を
自分が生きることこそが大事であるということ。

なので、彼(セネカ)自身は、死に対して怖さもないし、
誰かが死んでも、それほど悲しみを持たない。
なぜかといえば、それが最初から、神様との約束であるから。

ーーー
読むたびに自分の中に新しい気付きと学びを得られる本だと思うと、
ジョンさんは仰っていました。

また、一般の自己啓発の本の100冊分を超える、
深い本質的な、そして人々の人生を支えるような
内容が詰まっている本だと、ジョンさんはお薦めされていました。

世の中には、素敵な素晴らしい考え方を持った方がたくさんいます。

様々な視点から物事を見聞きすることは、本当に学びになります。

新しいことを知ること、
知識を得ることは喜びだと感じます。

私のメンターのマインドセットの一つに、
『耳と耳の間に投資しろ!』
というものがあります。

積極的に知識を得て、
自分を向上させるために適切な努力をする。

自分の意識、意志次第で、人生はどの方向にも進めます。

死ぬ瞬間に、人生の時間を短いと感じるか、十分と感じるか。

それは、自分が自分に対して、どれだけ誠実に生きたか?
ということや、
どれだけ生きることに真剣に取り組んだか?
ということによるのだと思います。

人生の成功の定義は、人それぞれだと思います。

でも、自己満足だけでなくて、
世界が少しでも良い場所になるように
自ら何かを生み出したり、
何かしらの価値を創り出して提供するような人生であれば、
生きてよかった、生まれてよかったと
思えるのではないかなと思います。

私自身も、残りの人生、後悔のないように、
世の中が少しでも良くなるような、
そして、次世代や未来の子どもたちが生きやすくなるような
活動をしていきたいなと思っています。

人生は今の連続で、確かに、
明日の命の保証はありません。

歳を重ねてからではなくて、
若い頃から、10代から、人生について考えたり、
生きるということに対して追求していくと
個人個人が、意義ある価値ある人生を
創り出せるのではないかなと思います。

お読みいただき、ありがとうございます!








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