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映画「1999年の夏休み」

 この映画の異世界感は、かなりの神経の細やかさと、まだ劣化していない感受性というか、感性がないと受け取ることができない視聴者を選ぶ映画です。
 まず、少女マンガの特殊な世界観。
 海外の、キリスト教の社会でもある寄宿学校での出来事。日本人にとっては、なじみがないものです。
 ウイーン少年合唱団の世界観。この映画の登場事物は四人だけなのですが、誰もが楽器を演奏することができる。則夫と薫はピアノ。和彦はヴァイオリン。直人がチェロ。それと自殺した悠もピアノ。
 ヨーロッパの洋書のような重厚な本を読書しているシーンもあります。
 「ヘッセのデミアンだね」
 これは直人のセリフです。
 ヘッセも知らなければ、ふつうはデミアンも知らないですよ。
 古すぎるというより、もはや歴史の人物です。
 もともと、この映画自体が、奇妙な感じで時間がねじ曲がっているのでしょう。

 この映画は、1987年の夏に撮影されています。
 横浜の歴史的に有名な建築物が広大な敷地にありまして、それがこの映画の聖地のような扱いをされています。一般の観覧も可能。入場料はいくらか払うと思います。その建物を、この映画では寄宿学校としています。大倉山記念館ですね。
 脚本の人が演劇や劇作家もやっている人なので、セリフがとてもインテリで、演劇のようでもあり、そしてピアノの音楽とも相まって、芸術的とでもいうような異世界を見事に作り出している作品です。
 女性4人が少年を演じています。
 そのうち二人は、明らかに女なのですが、それがまた不思議とこの映画には合っています。
 オーディションとかが終わって、キャストが決まって撮影日が決まると、監督はキャスト全員に髪を切ってくるように云ったそうです。
 それはそうですよね。だって、少年を演じるのですから。
 夏の暑いさなか、キャストの四人が全員学生で、夏休みに撮影されたそうです。
 半端なく暑くて、たくさん汗をかいたそうなのですが、そんな男くささはいっさい映画では出てこないです。
 映画の題名の1999年といえば、1980年代からノストラダムスの予言で注目されていました。
 それの10年以上前なので、当時のみんなにとっては、本当に夢の未来だったのです。
 この映画は直接、映画館では見ていないのですが、この映画の予告は映画館で見たのは覚えています。シチュエーションが面白そうだし、題名は最高だったことを覚えています。なかなか面白そうとは思っていたのですが、実際にこの映画のビデオかDVDを借りて、まともに見たのはそれから何年後かの話です。

 薫が、単線の駅に一人荷物をもって降り立つのですが、その駅には何かの機械に、原子力のマークが貼ってあったので、やはりこれは物語の和彦の言葉にあったように、発電所の事故で、放射能が拡散されて、その放射能を吸収する機械なのかもしれないです。映画を見ただけなので、そう連想してしまいます。
 小道具も不思議で、レコードを機械仕掛けのプレイヤーで聴きます。
 パソコンも裸のブラウン管と、むき出しの基盤のようなもので、近未来を演出していました。
 つまりは、少女マンガの世界と、ゴシックな異国の雰囲気の寄宿学校。
 女性たちが演じるセリフは演劇のような愛憎劇であり、それでいてまだ少年という設定なのです。
 この映画が公開された後、女性たちのなかではコアなファンたちが発生しました。
 同じような少年の格好をして、鞄を持ち、映画の撮影地を訪れるのです。
 この映画の異世界感は、見た人を強烈にその世界へと引き込むのです。
 そして音楽が、ピアノの旋律がこの世界を見事に作り上げていることに貢献しています。
 個人的には、これは少女マンガの世界なのですが、それでもミステリーでありSFだとも思っています。
 この映画がどうして生まれたのかが理解できないです。
 邦画で、この作品ですよ。いや、邦画だからこそ、この作品が生まれたのでしょう。
 個人的には、いくつもの要因が重なった奇跡だと思っています。
 湖に落ちて、誰かが死にそうになるたびに世界が変わる。

 映画のDVDにはこう記してあります。

 閉ざされた近未来の学院に
 死んだ筈の少年が帰ってきた…
 彼は幽霊なのか?
 それとも……

 邦画ニュー・ウェーブの
 新たな地平を切り開いた、
 透明感あふれる
 異色ファンタジー作品、

 物語の最初では、主役の少年が大人になったようなナレーションが入り、最後にはなぜか声ではなくて、文字としてナレーションが入ります。これに関して賛否両論なのですが、やはりそれでも時間は流れて、その頃の思い出と変わるのでしょう。
 はっきりと云えば、もう私も最初の頃に見たような感性はなくなってしまい、そのナレーションのような感覚しか持っていません。まるで昨日のような出来事。
 単線の電車で乗客は一人だけで、キャストはずっと4人だけです。
 低予算でありながら、これほどの作品が生まれたのはやはり奇跡だと思いました。


 Wikipediaの情報を載せておきます。

映画『1999年の夏休み』
1999年の夏休み
監督 金子修介
脚本 岸田理生
出演者
宮島依里
大寶智子
中野みゆき
深津絵里
音楽  中村由利子
撮影 高間賢治
編集 冨田功
製作会社
ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
ソニービデオソフトウェアインターナショナル
配給
松竹
ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
公開  1988年3月26日
上映時間 90分
製作国   日本
言語  日本語

『1999年の夏休み』は、萩尾望都の少女マンガ『トーマの心臓』を翻案した金子修介監督の青春映画。公開は1988年3月26日。

 出演者は4人だけで、(公開当時の)近未来を舞台に少女が少年を演じるという大胆な演出がなされている。スタッフロールには萩尾の名も原作名もクレジットされていないが、金子は翻案という形で萩尾に製作許可を取っている。製作当初、金子が押井守に「これだけナーバスな映画を撮ってしまってこの後どういうものを撮ろうと思ってるの」「究極の一本を撮って終わりというんじゃないんだからな」と言われたことが映画パンフレットに記されている。なお、角川ルビー文庫からノベライズ版が刊行され、脚本を担当した劇作家の岸田理生が執筆を担当した(ただし、エンディグを主として大幅に映画と違いがある)

2018年7月28日には、公開30周年を記念してデジタルリマスター版がリバイバル上映された。

 この「1999年の夏休み」の小説は、文庫版は今、中古でも3,600円もしています。


 それでは、本日はこれで失礼いたします。

ありがとうございました。生きている間は、書くことはやめないつもりです。